コロナウィルスで気づかされたこと
- 2020.02.29 Saturday
- 17:16
JUGEMテーマ:癒し・ヒーリング
皆さん、お元気?
世の中てんやわんやですが。。同じくこちらも。
色々と手配しなくてはならなくなって、ここ一週間ぐらい大変でした。
ホントに困ってしまいましたけれども、でももやもやヒヤヒヤしていたフェーズから、悲しみ、諦め、恐怖などを超えて、
このコロナウィルスってのもなんかの意味があるんだと一生懸命考えながらもわからなかったけど、ここにきていろいろ感じ始めています。
息子が卒業年度だったので、今までの思い出として計画していたことが全部チャラになってしまって、調整とか手配とかに追われながら、
なんでこんなことに?とわが身と息子の不幸を思い、コロナウィルスにも政府の対応にもキリキリしていました私も。
でもなんてのかないろんなことが見えてもきたかな、と思います。
どうしても人って何かの目的に向かって《目指し》ちゃうじゃないですか。卒業式とか晴れの舞台とか。好きな人とのデートとか、受験とかなんでもそうだし、
その日を楽しみに楽しみに頑張って頑張って生きる。もちろんそれって喜びだし、楽しみですよね。
でも、そういう事って必ず叶うわけじゃない。コロナウィルスもそうだけど、津波や地震で一気に考える暇もなく、自分の肉体すら失ってしまうこともある。そういう自然の摂理じゃないけれども、どうにもならないものって確実にあるよね、って思います。
とても残念なことだし、悲しいし、何かを目指して頑張るってすごくいい事だし、決して悪い事ではない。
でも、喜びを先伸ばしにしちゃうってところもありますよね。今、苦労したらここで報われるはず!とか。
でも報われないこともあるんだな、って。私たちって、今この瞬間に満足して生きないとなって。
常に常に、今の自分が“気分がいい”選択をして生きる。結果はダメだったとしても、その過程で心に残ることを経験したり、日々のありがたさを感じたり。原点みたいなものですよね、スピリチュアルの。
卒業式だって、学校だって、満員電車だって、
当たり前だと思っていたけど、当たり前じゃない。スルーっと日々を過ごしていた延長戦上にただ生きていたら、そのありがたさってわからず、やれもっとこうした方が良かっただとか、あれはもっと考えるべきじゃない?とか、
今にして考えてみたら「どうでもいい事」にフォーカスしてぷりぷり怒ってたかもしれない。
こういう事態になって改めて、日常のありがたさ、ってのが身に沁みます。無下にしてたな、って思う。日々を。
そして、子供の事で胸を痛めている、のももちろんあるけれども、
私自身が随分と子供に乗っかって生きていたことも痛感します。息子、娘、という大義名分のもと、表現したかったのは私自身と私の思い、それが叶わなくなって怒っているのは《わが身の》不幸なのかも。
もちろん子供だって動揺しているし、悲しんでいるけれども、思いのほかけろっとしてたりもするのよね。
そしてこういう事態になって、自分が無い人っていうのは、周りに翻弄され、ニュースにかじりつき、ってなっちゃうのもほんとだと思う。周りがOKなら自分もOK,周りの空気を読まないと、と思っていると、結果が悪かった時にはずっとタラレバ話で自分の不幸を嘆く。
ウィルスのみならず、自分を必死で守ろうとする人から人が遠ざかる。人を気にして気にして生きている人の周りからも人が遠ざかる。なぜか?と言ったら、そこまで気にしている人に自分が何かしちゃったら、何を思われるかわからないから。近づかないのが一番、となる。
もちろんウィルスは怖いよ。死にも結び付く。だから同一線上で語るものではないのかもしれないけれども、でも被害者意識が普段も強い人ほど、ウィルスに「やられる」という信念があり、その信念がむしろもっと怖いものを引き寄せている。
国の対応が良かったとは私も思わないけれども、でも、リーダーってそういうもんでもあると思う。そのいろいろな反応の《全責任》を負わねばならない人の立場に全くない人ほど文句をいう。お前のせいだ、と指をさして責める。じゃああなたは何ができたのだろうか。周りに嫌われないように、波風を立てないように、好かれもせず、嫌われもせず、恨まれもしない立場を求めて戦々恐々としながら、生き、流され、そして何かあったら鬼の首取ったみたいに《私の不幸はあなたのせい》となる人のことの方が信用ならない。
日本は気遣いの国。そして、「よしなに」の国。それが美しさでもあるけれども、
今回のように誰かの利権や意見を気にし過ぎたり、空気を読み過ぎた結果、やっぱり誰も幸せにならなかったよね。
そういう事なんだと思う。直観でわかっていたこと、揺るがない真実や感情。そういうものを無視して取り繕えば取り繕うほど、
自分もそして周りも幸せにならない。
代表として安倍総理は矢面にいるけれども、あなたも私も同じなんだよね。日常の中で、私はちゃんと自分の意見を持ち、周りが何と言おうが自分の意思を貫きつつ、公正な判断などができているのだろうか。そこまで頭いいだろうか。そこまで責任を負う覚悟などあるのだろうかとかね。
子どもが家にこれから張り付きだったら働きにも出れない人もいるし、私だって子供がうようよしながらの中データの精密整理などできん。困った。ほんとに困った。
でも、子供を持ったのも、この仕事を持ったのも、私の判断でもある。誰かに強要されたことだったとしても結果として受け入れたのであれば自分の責任である。そこんとこをぐずぐず言ってる人が日本には特に多いと思う。
人を責める前にじゃぁこの事態の中で、
どう対応しようか
と考えなくちゃならないのかな、と思いました。
でも、
この限られた環境のなかで、どうやったら一番ハッピーになれるか。今まで見過ごしてきた事をもう一回レビューする機会にしてみようとか、これから私はどう生きようか、とか考えるチャンスでもあるな、と思った。
そして、そこでみんなで知恵を絞り合って考えだした結論で何かをすると、
一体感や感動が生まれるんじゃないかな、と思いますよ。
人生何があるかなどわからない。意思の力、高次の力、神頼みなどで運命など変えられない。
今、この瞬間のこれをパソコンで打っている自分が肉体的には一番若く、体力もある。
先伸ばすのはやめよう。明日死んでも悔いがないように、そして自分を幸せにするものは自分しかないという事を心に刻んで生きねばな、って思うわ。
オリンピックもイベントも無理繰りやることがウィルスに打ち勝つ、という事でもないっぽい。
洗いざらい表に出ていなかったいろんな社会構造の問題とかが暴露されてテーブルに上がれば良いと思う。
そこで考えて、私たちはどうしたいのか?を一人一人考え、進化することが、ウィルスへの一番の報復でもあり、そしてそれがウィルスの功績でもあると思う。
恐れを餌に生きるウィルスちゃんに負けてはならないのよん♪ 頑張れ人間!
ではね。
夏子