スターウォーズに見るフォースと陰陽。
- 2019.12.30 Monday
- 01:37
JUGEMテーマ:癒し・ヒーリング
そんなわけで、明日から帰省しますので今年最後の更新になりますけれども、皆さん、くうねるあそぶの準備はOKでしょうか。
お仕事の方もいらっしゃるかと思いますが、ほんとにひと時でも、明日の予定は何もありません!の日々を少しでも楽しく過ごせるといいですよね。
昨日家族でスターウォーズ最新作を観に行きまして。面白かったです。
イケメン談義ですが、カイロレン役のアダム・ドライバー氏のビジュアルがエピソード7,8を観た時はいまいちピンと来ていなかったのですが、本作で見る彼のお姿はとてもセクシーでございました。ダースベーダーの若かりし頃、ヘイデン様も好きですが、さらに人間ぽい、アダム様、カッコよかったです。
ダークサイドの結集力というのは“恐怖”とか“怒り”なわけで、疑い合い、探り合い、だまし合い、相手を罵り合い、そしてこの力に屈しないとお前どうなるかわかってんだろうな?あぁ?という恐怖のチェーンでつながれていますよね。
ダークサイドに堕ちる、というのはそういう事で、常に自分は誰かにやられる可能性があるので、やられる前にやってしまえ、という非常に心休まらない世界。全部自分がやられるかもしれない設定の世界で生きるのはちょーしんどい。
若かりし頃のダースベーダーであるアナキン少年も、“物事を悪い方に悪い方にとる”という性格がエピソード2ぐらいで描かれていましたが、それだけ彼は厳しい環境の中で、常に最悪のケースを想定しながらサバイブしてきたのでしょう。そんな経験が一度でもあれば人間猜疑心に苛まれて生きるのはしょうがない事なのだと思います。
逆にジェダイというのは、まっちろけの人達で、そういったネガティブな感情の“種”を生まれた時から取り除かれてきた人たちで、
例えば仲間が放り出されて死のうが何しようが、とにかくミッションが先、悲しいとか憎いとか言った感情を取っ払て常に正しさとか秩序とかを守るわけです。
どっちが人間ぽいのか?と言ったらダークサイドの方に私は親近感を感じます。付き合うならダースベーダーかカイロレン。だってその苦悩する姿が悩ましく、人間ぽく、その人らしくて色気があるように感じます。
なので、このスターウォーズでずっと語られている“バランス”という言葉。つまり人間の世界はライトサイドとダークサイドが半々の状態になることこそが和平であり、決して真っ白けになったらハッピーハッピーである、と言ってるわけではないのですよね。
ただ、私たちはダークサイドに飲み込まれそうになります。自分は嫌われてるんじゃないか、馬鹿にされているんじゃないか、ちゃんと評価されていないんじゃないか?? 悪口を言われてみんながそれを信じたらどうしよう、四面楚歌だ、そうだ、孤独になるんだ、孤独怖い!怖い!怖い!と、
時折自分たちを襲うあのぶわーん、もわーんとした重くて暗い気持ち。まさに暗黒面。暗黒面に覆われてしまいますよね。
そこから見る世界は冷たく、刹那で、何とかしてここで生き残るためにあの手この手で人をだまし、自分をだまし、自分を正当化させ、“安心”を勝ち得ようとします。そして、そこで非常に人の心を操るのが上手いトリックスターであるパルパティーンのような異様なパワーを持つ人っていうのも必ずいて、その前ではもう屈するしかない、みたいな。怖いですよね。
パルパティーンがアナキンをダークサイドに招き入れる方法は非常に巧みです。君はすごい、ほんとにすごい、私は君を知っている、私なら君の力をもっと大きくしてあげる。。。と揺れるアナキン青年の心に入り込み、こここそが君の“居場所”だよと誘い込み、実は利用しているという事。気持ちを慮ってわかってあげる、居場所を提供してあげる、と見せかけて陥れる。洗脳ってのはそういう状態で行われるのだと思います。
このシリーズを見ていて、私は常にダークサイド側に惹かれてしまいます。っていうのは、私の心にダークサイドがあるから。人を騙したり、欺いたり、利用したり、ってことも考えてるし、また、憎しみや不条理に対する怒り、正義だなんだとかじゃなくて、とにかくあたしは今ここでこうしたいだよ!みたいな気持ちとかね。だから人間っぽいのはどちらかというとダークサイド側ですよ。
私たちの心の中には常に光も影も存在している。陰陽ですね。でも、このバランスが3:7とか1:7とかにならないように、運命を背負ったアナキン少年やらカイロレン、ルークやレイなどが現れ、きっかけを作ってくれている。
そして、今回の作品で、レイア姫がレイに、“自分の力を恐れないで”みたいなセリフを言ってました。
そうなんですね、これもこの作品の鍵であるForceってやつです。私たちも全員Forceがある。超能力があるとかそういう事ではなくて、皆何らかのパワーがある。実は自分が持っているForceを使うのが怖がってる人もたくさんいるのだと思います。
自分の本来の力を出すと、社会から受け入れられない、変な人だと思われる、親が悲しむ、などなどの恐れ。つまり、自分の力を使ってしまうとダークサイドに堕ちるんじゃないか?という疑念です。
で、アナキン青年のように実際にダークサイドに堕ちていってしまい、利用され、脅威を振り回している人もいるわけです。ああなりたくない!と思うと、また恐怖がまた芽生えます。有り余るエネルギーを、暴力とか破壊に使ってしまう人もいますよね。
でも、ちゃんと自分の魂が望むことに使うと、それは自分も世界もハッピーにするはずのもの。でもその才能を隠して、“私は普通の人です”と仮面を被っている人がたくさんいる。
ダークサイドは確実に自分の中にある。むしろ暗黒面のほうが比率が高いレベルで。でもそれは自分を“人間らしく”生きるために必要なものでもあり、けっして抹殺したらハッピーな訳ではない。感動というものを味わいに来た地球ではダークサイド無しで感動も感謝もないのですよ。
ダークサイドを“怖い”と思うのは、自分の中にも憎しみや猜疑心や悲しみ、怒りがあるから。自分が持っていないものは他人からやられてもそれがなんだかわからない。
ダークサイドは確かにあるけれども、常に自分のForceを信じていれば、ちゃんと自分の良いように使いたいようにパワーを使う事が出来るのですね。そしてその先にあるのは“喜びと安心”です。
私もずっとダークサイドに怯えてきました。自分は騙され、馬鹿にされ、あてにされ、利用されて生きているんじゃないか?と。
だからこそ、自分はそんなことない、正しく生きよう、怖いと感じないように自分を強くしないと、と頑張ってきましたが、
本当はビビりまくりまクリスティ。怖いったらありゃしねーわ?ってね。で、正しくそよ風みたいな風情で自分もアレコレと “やらないためのノウハウ” などを駆使して、人を操作し、何でもないような顔をして復讐しようとしたりして、いろんなことをやってんだなと思いました。ダークサイドど真ん中っすよね。
でもだからこそ、ダークサイドは怖くない、とも思うようになりました。自分の中に“それ”があるから怖いのです。でも、なぜ怖いのか?の種である自分の悲しみや怒りを自分で認識すること、そして、そんな事に怖がる必要が無い、自分にはForceがあることを認識すると、ダークサイドって別に怖くは無いのですよね。
パルパティーンに誘われても断れる自分、っていうんでしょうか。端的に言うと。パルパティーンみたいな人いっぱいいますからね。じわじわと周りから人を孤立させることを図る人。孤立させ、選択肢が無いと思わせ、自分がたった一つの希望みたいに追いやって人をコントロールしようとする人がいます。でも、こういうのもちゃんと自分が自分のForceを正しく使ってれば怖くなく、きっぱりと断絶出来るんですね。
そして自分のForceを恐れず、どんどん出してきゃいいのだよ、と映画全体から伝えられたような気がします。つまりやりたいようにやるってことですね。
氷川きよし氏とかね、Forceフル回転モードに入ってきましたね。清々しい。
出てきたままに打ちまくった文章なので支離滅裂かもしれませんが、
年末に畳みかけてそんなようなメッセージをいただいた気がします。映画や自分の周りで起こった事でね。
走馬灯のように足早に過ぎていった年でしたが、なかなか濃かったです。お話会とかもしたしね!仕事もたくさんやりました。面白かったです。
ホントにあぁ、こんな感情があるのか、こんなにまだ怒ってたのか、そしてここまで世間体に縛られているのか、とか、いろんな気づきがありました。それに対して今まで私は【なんて未熟な人間だったんだ】と自分を責めてしまっていましたが、
なんですかね、ここにきて、いやまぁダークサイドもありますよ、って事で受け入れだしている気がします。持ってていい。でも、それに覆われないようにするだけです。感情に気づいて手放す、この繰り返しですね。
2020はどうなるかにゃー。オリンピックとか天候とか気になるところです。たぶんいろんなことが今年以上に起こる年になるんじゃないかな、と思います。社会的にも個人的にもね。エキサイティング!
本年度もこんなしがないブログを読んでくださった皆様に心から感謝いたします。ほんとにありがとうございました。
そして、お話会に出席してくださった方、リーディングのお申込みをしてくださった方、ほんとにありがとうございました!!
来年もよろしくお願いいたします<(_ _)>!!!
では良いお年を〜
夏子