自分の感情を認める事の大切さ
- 2017.10.29 Sunday
- 00:47
JUGEMテーマ:癒し・ヒーリング
こんばんは、夏子です。
ちょっと喉が痛いっす。風邪引かないようにしないとねぇ。
今日ひっさびさにあったママ友が見違えるほどスリムになっていてびっくりしました。糖質制限ダイエットをしたそうな。
痩せればきれいってわけではない年齢になってるのですけれども、なんだろ、スッキリしたその表情から、何か新しいフェーズに入ったんだろうなと感じました。何なのかはわからないけれどもさ。
生活を整えて栄養をとって自分を大事にすることって言うのをしていくと人はきれいになってくのだろうと思います。
でもなんかそれもさ、無理ぐり外側から必死になって死に物狂いでやるとくたびれちゃってその反動がリバウンドって形になっちゃうんだけれども、
心が整えられてくると自然と無駄なものが抜け落ちていくのだろうと思います。とは言え例えば断捨離とかとりあえず取っ払ってみて、その清々しさなどを観じてみるってのも1つのやり方ではあるよね。
話変わって。。
子育てってのは向き合えば向き合うほど難しいものではあるのだけれども、DJあおいのブログ読んでたら、
子供が友達に嫌がらせされてて、やられたらやり返しなさいよ、といって学校にいかせてる親の投稿があって、その親御さんも悩んでるんだけれども、
それ読んでてあーーーって自分も思ったわ。
絶対に起こってることにはエネルギーの波動として似通ったものがあるから事象は起こったように見えるってのはスピでよく言われるじゃない?
だとするといじめる・いじめられるの間にも同じエネルギーがあって引き合ってるってことになるんだけれども、
そうなるといじめられる子にも原因があるってことじゃん?ってなっちゃうじゃない?そう言われると合点がいかないわよね。
不安定な波動、愛が感じられない者同士の引き合いではあるのだろうけれども、親として私も「やられたらやり返しなさい!」っていつも言っちゃうな、って思ってね。
バカにされたら自分がバカじゃないってことを力ずくで証明してやれ、あなたはそんな事言われる筋合いのない子だよ!って親としては自分の中の自分が経験してきた事をそこに乗っけて、また子供を元気づけるためにどうしても言いたくなってしまうのだけれども、
やっぱそれでは子供の自己否定をカバーしたことにはならんのだね。
自分の子もいろいろやっちまってることはあるんだと思います、もちろん。私が特に長男のケンカなどに首突っ込んで見るとうちの息子なんかもわがままや意地悪みたいな事で相手にもなんかやってる、でもそれを知らずに息子が一方的にやられた!っていう彼の申告だけを聞いてつい被害者意識に染まることもあるんだけれども、
とにかく何かされて嫌だった、悲しかった、っていう事を聞いたら、
悲しかったね、嫌だったね、そんなこと言われたらほんとに嫌だよね、って共感してやらないとな、と思いました。
理由はどうあれ、子供はそう感じたわけです。それを「親」という子供にとっての「世界」である存在が、
「やられたらやり返しなさい」って言うのってのは、つまり「そんなことでくじけたらあかん!」みたいなことでもあって、それはその子供の悲しい、悔しい、辛いっていうSOSの声に対して、ダメ出ししてるってことよね。
そしたら子どもは「悲しんでる自分はダメで弱い子でいじめられちゃうような卑屈な人間なんだ」って思うじゃん?自分の感情に蓋してしまうよね。そんな気持ちで学校行ったらまた同じ目にあっちゃうよね(T_T)。
あんなことがあったら悲しいと思って良いんだ、辛いと思って良いんだ、もう嫌だと思っていいんだ、と自分の感情を子供が認めたら、
子供もそれなりに対応していくかもしれない。悲しい思いをする必要がなぜあるのか?について疑問を持って、そんな思いをしたくない!とちゃんと立ち向かって行けるかもしれない。波動が変わるよね。
それでもいじめが止まないとか改善を見ないのであれば、親が出るべき場面も来るかもしれない。でもとにかく戦って来い!といって突き放したり、自分で処理してきなさいよ!っていうのは子供の感情を認めない=自分の感情を認めない、悲しいなんて思ったらダメだ、苦しいって思ったらダメだ、ヤバイと思ったら逃げる術を覚えなきゃダメだとかさ、親の心の問題を子供に押し付けて逃げてるだけなのかもしれない。
かと言って、子供に何かあったらギャンギャン前に出て来る親もいるけどそれもよくないよね。
親が前にでてなんでもうちの子は絶対悪くない!って姿勢でいると、その子供は難を逃れるかもしれないけれども、
子供自身がなぜそうなったのか?のコアの部分を見ずに触れずにいたままだと、うまく人間関係が作れなくなる。
周りの人だってそりゃぁさ、その子と何かあると絶対に悪者になるんだからだったら触れないで置こうってなるよね。孤立しちゃうよ。
親にしてみれば強くなって欲しいからやり返せ、とか適当にあしらえ、とか言っちゃうんだけれども、
それやっちゃうと子供が自分の感情を認められない、感じたことを感じたままに肯定できなくなるんだろうな。
泣いても何してもそんな風に返されたら、
もう言わなくなるわね、親になんか胸の内を。言ったって仕方ないじゃん。
同じく自分以上に燃え上がって怒る親でも、または絶対に親を悲しませたらいけないって思ってしまう場合でも、
子供はもう言わなくなるわね。だって余計問題が膨らむだけで解決にならない。
でも最もわかってもらいたい人に自分の感情を素直に吐露できないって言うのは拷問レベルでキツイ。
全部この「自分の感情を認める」ってところに帰ってくるのだと思う。頑張った!と思ったのに頑張ってない、と言われたり、
悲しかった!のに、悲しんでる場合じゃねぇ、やり返してこいとか。全部✕つけて返されたら自分の感覚なんて「正しくない」って思っちゃうさ。そしたら何言われてもすみません、すみません。。ってなって最後爆発するよ。
やり返すことに専念し、全てにおいて自分で解決してやる、と生きてきた人間ってのはすごい孤独よ。周りに手助けしてくれた人がいたとしても、如何に1人でやってるか?が自己証明になってる時はサポートの手も追い払ってしまうのよね。
そして自己否定と完全自己解決を孤独にやってる人間が、責める側になったり責められる側になってしまうのかなと思う。
私なんかも真っ赤な他人でもなんかこの人わかってくれてるのかな、と思うと、ぞっこんその人に「わかって」を注入しちゃうんだと思う。
人はわかってくれそうなところから全取りしようとする。それはみちよさんが言ってた言葉だけれども、
彼氏とか親とかだったらまだわかるけれども、友達とか上司とか職場の先輩とか何か自分を認める・認めないを行う仕事や役割がある人に対してどうもやっちゃうんだよね。
まるで駄々をこねてスネている子供のように。だってやなんだもーんひどーい(●`ε´●)みたいな気持ちとか、だってー(´Д⊂グスンみたいな気持ちとか、それはあんたおかしい!とか批判したりして。
冷静に考えれば向こうからすれば「なんで私がそこまで」という立場にいる人で、礼儀と距離を持って接しなくてはならない相手なんだけれども、その人がわかってくれない、聞いてくれない、となるとぎゃーー!と怒ってあの人ひどい人だよ!とか言って攻めまくったり。
でもとりっぱぐれている、わかってもらえない、自分の感情が認められない時って言うのは、そんな無節操な自分の感情の奥底の叫びが自分の主張が世界で一番正当だ!ぐらいに思って声高らかに言ってしまうものなのね。松◯一代さんみたいな感じ。
自分の感情を理解して、自分でそうかそうか、と理解した上で相手と話し合う。聞く耳を持って、そして自分への確固たる軸とリスペクトは持ったまま相手と向き合って見てはじめて、相手の言い分にも納得できたり反省出来たり、勘違いだったと気づけたりするもんなのだと思うわ。
腹が痛いわ。。。明日はテスト受けてきます。
ではまたねーん
夏子