わかっちゃいるけどあえて世界の中心で叫んでみたい。
- 2017.08.30 Wednesday
- 11:24
JUGEMテーマ:癒し・ヒーリング
おはようございます夏子です。
ただいま10時ジャスト。子供学校。家にアローン。
すっきり
いやー。。今日はソフトボールもあるんですけれども、やや腹が痛いので休みますのでね、2時PM ぐらいまでアローン。
なんてフリーダム。見渡す限り私だけ。別に聞きたくないと思いますけれども今ジーンズ脱いでます。フリーダム!!ワム!!
もちろんね、子供がいて家族がいて、だからこその日々。彼等がずっといなかったらどんだけ寂しいねん、ってわかってますよ。
でもフリーダムはフリーダムよ。四六時中誰かといるってなかなかにしてしんどいものですよ。
コントラストの妙ね。もう元気だけが取り柄のおバカで困っちゃうのうちの子ーとか言っていても、
いざ熱が1週間下がらないとかなったら、おバカでもなんでもいい、とにかく元気になって!って思うものね。
こんなはずじゃない、と思う日常。でもそれが消滅した時に如何に幸せだったか、また深いところではその状態である自分でいたかったのかがわかったりする。
あれもしたいこれもしたい、でも〇〇のせいで出来ない!というのは自分がビビってるだけだったりもするので、
わかっちゃいる。けれども、あえて叫びたい!
私不満足!おかしい!こんなはずじゃぁないのよ!って。ね。
社会通念とか常識に照らし合わせて生きてきちゃったからさ、何が良くて悪いか、何がすごいかすごくないかなんて外側から植え付けられたものしかそもそも基準がないんだな、と思うの。
それもそのはず、というかこの世ってそういう概念の産物だからどれを取っても実はなんの根拠もないんだけれども、
でもスピにハマろうとハマらずとも、今私達が目指してるものって言うかほんとに欲しいものは「充実感」じゃない?
それって結局自分の感覚を自分で納得できるかどうかなわけよね。
そもそも外界は不確かで真実などないのだから。人によってはどんなことでも違う見方がある。マジョリティが正しいと信じていてもそれも時代の変化と共にひっくり返されちゃったりもするし。
だからこそ自分のほんとの感覚をじーーっと見て、今ナイスかしらどうかしら?とかやってみるけれども正直分けわかんなくなってくるよね。これが心地よい♫と感じていることすら、心地よいと皆が言ってるから心地よいと思ってるだけじゃね?とか。
でも「感覚」があるよね。スッキリと腑に落ちる感覚。マジョリティからはかけ離れているけど、でも流されたらきっとモヤモヤするな、みたいな説明出来ない感覚。それが自分の軸なんだと思うのだけれども、それが人としてOKな軸なの?とかまた参照したくなったりね。
わけわかんなくなるから、他人にスタンプ押してもらいたくなるじゃない。はい、あなたは可愛いのスタンプ、賢いのスタンプ、素敵のスタンプ、すごい4つももらえたね!とかさ。
自分が思うスタンプだらけの人に擦り寄って見てみて〜私もすごくない?ってやってみたくなるものよ。
でも拒否されたらガラガラーーーっとまた崩れちゃってね。あの人おかしい。私の本当の魅力がわからないなんてきっと病んでるのよ、ヒャダもしかしたら嫉妬対象なの私?とか、きっと人には言えない痛みがあって私がなんかクリックしちゃったのねきっととかさ、
どこまでも想像が膨らむわ。私は悪くないって思いたいじゃない。
でも、散々相手を責めたあとに、最後の落とし所として「私の何が悪かったんだろう」って思うしかないわよね。
だから更に磨きをかけなくちゃ、とどんどん自分探しの旅に出て、あぁ日本のどこかで私を待ってる人がいるを探しまくっちゃうわ。
でもなかなか見つかんないわよね。ってかその待ってる人って結果的に自分である、という。
わかっちゃいるけれどもスタンプラリーの日々は続く。で、その道中で押してくれた人と蜜月を過ごしたり押してくれなかった人を心底恨んだりするのが人生の醍醐味でもある。
ふと何をやってるんだろうかと思うわ。だからなんなんだ?みたいなさ。
ありのままの自分を認めましょう
ってのもさ、ありのままの自分になれている自分を目指す、という今の自分以外の何者かになりたいことのようにも思えて、この思考の堂々巡りとトンチ話みたいなのは延々続くわ?
他人を見ていたら明らかにわかる「そのままでいいじゃん!最高じゃん!」という姿。
なぜ自分ではわからないものなのかしら。そして人から「そのままでいいじゃん」と言われてもいやいや、何をおっしゃるウサギさん、、とまた襲う自己否定。
360度自分しかないのよ。
わかっちゃいるけれども他人の言葉で確かめたい自己肯定。
でもいざ肯定してもらえたらもらえたらで「誰かにいくらかもらってお慈悲で言ってくれたんじゃないの?」と疑ったり、いい言葉をかけてもらってるのに最後の言葉ジリだけ捉えてほらやっぱり馬鹿にされてる!と感じたり。
いろんなねじれがあってそのままを受け取ることが出来なくなってるものよね。そんな風になるまで頑張って生きてきたのよ。
そのねじれが味よ、味。お気に召すかどうかはわからないけれども、皆各々いろんなフレーバーがあってこそ、なんだけどね。
わかってるんだけれどもね。でもおいしい!って言われたいのよね。めんどくさいわね。
そんなうだつの上がらない自己問答を長年続けてきた私、そろそろキレそう。
このキレた先にサレンダーがあるといいな、なんてあるといいながあるといいななんて。淡い期待。
今週の金曜日、東京最高気温22度ってあんたもう秋じゃない。
おかしいわ。おかしい。秋は寂しいから苦手よ。
涼しい風の中煮えてますけれどもそんな感じ。とりあえず昼寝します。
ではね!
夏子