自分を主軸に生きる、って事よね。
- 2017.05.31 Wednesday
- 10:23
JUGEMテーマ:癒し・ヒーリング
おはようございます、夏子です。
長々と母のことを書いてなんか区切りがつけたかったのかなと思いますわ。主観ですけどね、全て。でも主観でしかものを語れないですからね、所詮。所詮って言う言い方もどうかと思いますけれどもね。
ネット見ていておもろい記事が。
堀江貴文氏「多動力こそが最も重要な能力だ」 「1つの仕事をコツコツと」では負け組になる
堀江氏には賛否両論ありますけど私はファンです。
この記事にかかれているホリエモンの新書の内容についても頷けます。本読んでねーけどww
時代の変化だよね。良いとか悪いとかじゃなくて、情報が入ってきちゃうし、実現出来るかどうかはさておきこうすればこうなる、という情報が行き来する世の中でどうやったら出来るか?みたいなコツはどんどん入ってきちゃう。
までもなんだろうな、そりゃそうなんだけど、でも100%ホリエモンの意見に賛成というわけでもない、と言うかこの人の発言について思うのは「言い方」の問題もあると思います、個人的に。
でもその「だってそうじゃん?アホらしくない?そんなのおかしいですよ」と言い放つ彼の個性がいろんな概念を批判も受けつつ世の中の常識をぶっ壊しているのでもあって、このしたり顔あってこその彼の良さでもあるとは思う。
昔は石の上にも三年耐えたような人じゃないと次の仕事なんか教えてやらん、としていた世界が常識であったわけよね。で、親方から情報を得るしかスキルを取得するすべも無かった。また、そうやって脈々と耐え忍んできたチェーンを経験してきた人がその後スキルを体得して教える側になった時、
やっぱりこの方法でしかわからないものなんだ、俺が耐え忍んできたのだからお前もそれをするべきだ
と言う半分エゴが入った思いってのはどうしたって人間でてきちゃうのよ。
姑の嫁いびりと一緒ですよ。分かってないのねー、これはこうするものなのにー、手作りじゃないなんて愛がないわねー、最近の若い娘は!と構造としては一緒。
でもそれを粛々と耐えてきた人にとってはさ、「修行なんて意味なくね?」と突きつけられたらそりゃむかっ腹たつよね。自分の人生まるっと否定されているようなものだから。もちろん細かく説明したとて分かってもらえるかどうかはわからない、なのでホリエモンのようにザクッと切ってしまってもしょうがないとも言えるけど、でもその耐えて頑張ってきた人の気持ちってのもあり、それがあっての今であるというねぎらいと言うか感謝、それがあってこそ、という思いは常に持ち続ける必要があると思う。
でも、この飽きっぽくていいじゃん?っていう意見は賛成。その時のフィーリングであ、これやってみよう!と思ったことにどんどん移動して経験して飽きたら止める、それで良いんだと私も思う。
しかしここでも引っかかるものもあるわ。
ってのは、飽きっぽくコロコロとホリエモンやスティーブジョブズはいろんなことをつまみ食いしてやってきていると思うけれども、彼等の動悸って多分
「面白そうだから」
って言うハートの声に従ってやってる事なんだと思うのね。
そうだとすると、ちょこちょこ目標変えたり辞めちゃったりしても、良いところを吸収して、プロにはなんなかったけどどんどんそれが彼等に厚みを持たせていける。
って言うのはホリエモンなんかもいろいろと思い悩んで生きて来られた方だと思うけれども圧倒的に自己主張というかおれはやりたいようにしかやらないっていうエネルギーが爆発的に濃い人じゃない?ぶっちぎって来ちゃった、お金と言う成果で自己の価値証明をやっていた時期もあると思うけれども、でも私はホリエモンはほんとに自己のエネルギーが強いと思うのよ、だって俺はほんとにそう思うんだからしょうがないじゃん、として世間の意見とか他人軸で物事を考えない、もしくは考えないようにしている。
そういう人達が、ここでは多動的という表現を使っているけど自分のアンテナにピンと来たものをどんどん吸収していって、いらなくなったものは捨てて、ってやっていっても結果としてその人本人の軸に肉がついていくだけだからそりゃどんどんプラスに持っていけるよね。だからそれはほんとその通りなんだと思うの。
でも私も含め軸を見失ってる人も多いじゃん、特に島国Japanの中年の皆さん。
そもそも心踊るって何?ってなってて、でも必死で私のやりたい事ってなに?って模索している上で、自分が少しでも貢献出来ることは何か、馬鹿にされないことは何か、と消去法で選んで選んで仕事を探したりとかしちゃってる人もたくさんいる。そこがそもそもダメなんだよと言われてもそうなってしまった経緯があるわけで責められもしょうがない、それでも必死で生きてるだけ。
そういう人にホリエモンのようなカッティングエッジなコンセプトを乗っけると勘違いも起こると思うのよ。
そっか、ここの職場クソだから辞めても良いんだな、やっぱそーだよね!クズの集まりだもん!とか、
そっか、これって皆が良いというからやってみたけどやっぱ才能ないみたいだからやめ!とか、
頑張らなくても良いんだから、責任とかカンケーねーし!
って言う感覚もでてきちゃうよね。でもホリエモンが言ってるのはそういう事ではないと思うの。
やる必要のないことを三年以上頑張る必要はない、やりたくないことをずっと耐えてやってきてもその間にどんどん時間だけが過ぎる、また1つのことに集中してこそ匠と呼ばれる域に達するのだから余計な浮気心はご法度と思う必要なんかない、ということを言ってるのであって、
一概に努力とか辛抱とかまるっと無駄よ?と言ってるわけではないわよね。
やりたい事なんて浮雲のようにコロコロ変わるものであって、1つバシッと芯の通ったブレない何かを持ち続ける人は少ない。イチローとか羽生先生とか持ってる人はそりゃいるわよ、でも多くの人は今日の興味を明日はなんとも思わないじゃん。だから1つ何かを徹底的に持ち続ける必要もないのだと思うわ。
今俺はこれをやりたい、興味がある、と思ったことは世間の概念ぶっ飛ばしてどんどんやりゃぁいいじゃんって事だと思うのね。
もちろんそこには経験も努力も我慢も必要で、ただただ傍観してるだけではほんとの面白さも体験できない、これが出来るようになりたい、出来るようになった!っていう過程には地味な努力が欠かせない訳で、そこには悔しさや嫌な思いや自責だって起こる。
でも、ほんとは嫌だけどやらされている、と思ったり、やらないといけないんでそ!とやさぐれたり、やらないと殺されると恐怖心もってやっているのではなくて、ただ単純に「ただやってみたい!」と思ってるかどうかであって、それってほんとに自分の軸がしっかりしてないとできない事であって自己肯定感とかお腰についた自信とかがないとなかなかApplyできない考え方でもある、と思う。著書を読んでないからわかんないけどそれは多分ホリエモンも本の中でそれは伝えていると思う。
でも彼の表立った発言とかこの記事だけを読むと勘違いしちゃう場合もきっとあると思う。もしくはだってそれはホリエモンだから出来る事であって普通はそうはいかねーよ、っていう見解も出てくるわよね。
でもさ、いい子ちゃんぶるわけじゃないけど、
人生の先輩方のいろんな地味な努力とかど根性とか自分を殺して尽くしきった人たちがあってこその今なのよ。
嫌だけど1つのことをコツコツとやってきて社会の1つのネジになってきたからこそ全体がまとまった時代もあったわけよ。
その部分への理解は必要であると思うけれども。
で、やっぱり卵焼きの焼き方を検索してほうほうこうやれば出来るのか?と頭で分かってもそれを具現化出来るかどうかについては正直「才能」とかも絡んでくる。いくらクックパッド見たって私は築地で売ってる卵焼きを今焼くことはできないけど、でもたしかにそれを体得するのに3年以上かかるのか?についてはもっと現代はスピーディーになっているとは思うので、
年齢とか、出席回数とか、手を上げた回数とか、どこの店で働いていたとか、どこで教育を受けたとか、
そういう常識がもはや通じない世の中になってきていることは事実。
東大ならOK!という世の中がもう存在しないように、肩書とかお家柄という昔はそれが印籠となっていたことが今やポケモンシールぐらいのカジュアルさになってることを徐々に受け入れていかないと拗ねてののじ書いてるおばさんになってしまうのだろうな、ということは肝に命じたいとちょっと思う。
相手の生き方に文句を言わなくて済む自分になるのなら、文句がないように自分を生きるしかない、という結論ね。なんだか良くわからないけど。
ホリエモンの正論と一刀両断にしびれつつも、なんでそれが分かってもらえないのかなぁという彼の怒りとか鬱屈がゆえのたたっ斬りとしたり顔。ものすごいこの人ドライに思われてるけど、めっちゃナイーブだと私は感じます。
ヒャダもう10時じゃん。おまけにもう月末じゃん。はえー。はえーわ、月日。
ではまたねん!
夏子