今年の振り返り。そして最後にやっぱり「家族」
- 2015.12.31 Thursday
- 00:26
JUGEMテーマ:癒し・ヒーリング
こんばんは、夏子です。
明日から北陸に行くので今日が今年最後の投稿になるわぁーん。。。
バイ・ザ・ウェイ、厚切りジェイソンって私すげぇ!って思うんだけどどう?
だって日本語ネイティブでもないのにお笑い芸人の中でネタやるってすごい事だと私思います。
企業プレゼンと違うからねぇ。いやぁ、すごい人がいたもんだわ、と思ったわ?
それから演歌の山内恵介くんね。いや、もうほんっとねぇ、もうやってくれたわ!!っていうビジュアルでね?
すごい背負ってる感じがまたもうたまらない魅力。。通ってきてるわ、色んな物通ってるきてる感じがするわ?? でも魅力的ですよ。
で、今日は日中買物行った後に深夜にスターウォーズのエピソード2とか3そんなのの特集を夫が録画してたからそれを観てたんだけど、
アナキン・スカイウォーカーのヤング時代を演じたヘイデン・クリステンセンってめっちゃカッコよくないっすか?
もうさぁ、あれがダースベーダーなんだって思ったらベーダー卿に真っ逆さまに恋しますけどね。
さて、前置きはともあれ、
今年の振り返り。。となるともうかなり遠い目になるけど。。いろんなことがあったわぁ。
みちよさんのスピカン講座に行ったことは大きかったです。ここでかなり大きなウロコを取ってもらった感じがします。
あの講座に行く前の自分とか今考えると猛烈に恥ずかしいですけどね。それもプロセスだったのだとは思うけども。。
それから怒涛のように色んな事があって、このブログでも日々綴ってましたけど、
自分を知るというのは長い道のりだなーと感じます。
今私、鏡月のお湯割りでかなり酔っ払って書いてるんでw,支離滅裂かもしれませんけど、
ふみかもブログで書いてたけど次に目指す、というか肝に銘じたいのは「調和」だと私も思います。
腹の中に怒りや悲しみがあるときはどうしたって一方通行です。とにかくゲロしないとフラットになれない。
自分の中に染み付いた色んな宿便みたいな思いが取れない事には他人のことを自分の事のように思いやることは難しいです。
もちろんそれなりのことは日々やりますけど、でも100%人や物と共存し、平和に生きる、優しさを持つとか皆平等とかそんなコンセプトなかなか入って来ない。
最後に私が今行き着く先、としてどうしてもまた「家族」にフォーカスをあてることが重要になってくる気がします。
恨みつらみを超えて彼らに対して「愛」を感じること、感謝すること、そこが要なのかもしれないと思います。
スターウォーズにしても、最後の最後は「家族」でもあると思います。
ダースベーダーを最後にダークサイドから救ったのは息子のルークでした。
不思議なことが一つあって、
こないだ実父からメールがあり、なんでか知らないけど母は何かに吹っ切れたようでちょっと変わってきた、と言っていました。
ペシミスティックな父からそのような発言があるのはかなりの驚きなのですが、つい2ヶ月ぐらいまで生きるの死ぬので大騒ぎしていた彼女と比べて確かにクリスマスに会った時の彼女はちょっとエネルギーの質が変わっていたようにも感じます。
9月ごろに電話で「もう私死んでも良いかな?」みたいな電話を母から受けた時、あぁ、もう勝手にしてくれ、と思ったのを思い出します。
しかし、その後MICAさんにあってお話をさせていただいた時に、
「それも自分の投影だよ。あなたが自分を生きることを放棄しているから。もう全て幻想とかそういう風に持って行きたいんでしょ、諦めたいと思ってるんだよ。それがお母さんからそっくりやまびこで返ってきてるだけ。」と言われました。
それから私も変化をしていって、いや、私はまだ自分を生きることを諦めたくはない、そんな風にいっそセレナーデな人生を歩みたくはないと切り替わったわけですが、
なんでしょう、そうやって私が私を循環させる事を意図しだしたら、自分が見る世界の現象が変わってきて、その中に母もいるような気がします。
そうやって考えると私の人生が彼女の人生の指針になってるとか、私次第なわけ?とも思ってしまいがちですが、
その辺りのはっきりしたことはわかりませんけどでも何らかの形で影響し合っているとは感じます。
向こうが一石を投げて来て、それに対して私が自分自身を見つめる。そして私が返すエネルギーで相手も影響を受ける、そんなところかも知れません。
何よりそんな濃ゆいトランザクションが行われているのはもしかしたらそれが私と母が今世で「母娘」たる所以なのかもしれないとも感じます。他人とはそこまで影響しあわないのかもしれませんね。
もちろん、親がもうこの世にはいない場合もあります。もしくは生まれた時からいない場合だってある。それも含めてだけど、
自分がこの世に降りたった時の最初の人間との関わり方、そこが自分の最小単位の世界で、そこで築き上げた人間関係や思い、感情、それらが
後々何十年と続く自分の人生に多いに関わっていくのは否めないと感じます。
最後にその部分とどういった形でか、また人によってそのハードさも内容も違いますけど、
再び戻ってそこに調和を生み出すこと、そこでのわだかまりが無くなること、
それ以上に自分をフリーにすることはない、と感じます。
最後のわだかまりを取る、というか。
非常に難しいところですよ。この部分以上に自分がモロモロに砕け散るような柔らかいパートはない。
けど、やっぱりどう考えても重要なところで、そこでまた生まれた時の状態とおんなじピュアさと愛と自分軸を取り戻す事が必要なんかな、と思います。
そしてそれは家族と鼻突き合わせてあの時私はこうだった!とか言う朝まで生議論をすることが答えではなくて、
全て「まず自分から」でしか解けないものでもあると思います。
まず自分が何を感じ、何が理不尽で、何を訴えたかったか。それは略すると「無条件で愛されたかった」事になっちゃうんだと思うんだけど、
その部分を自分でまず認めて、そのハートの訴えを思い出しながら自分を大切にしていく事で確かに何かが変わっていくのだ、というのは実体験で感じます。
そしてそれは「そりゃぁ、できれば愛されたかったですよ?」ではなく、もっと腑に落ちたなんの引っかかりもないハートの声の事です。
そうした家族との関わり合い方がパートナーだったり友達だったり、近所の人だったり、と色んな形で関連し、連鎖してくるのだと思います。
そして血が繋がっていないけれども自分と関わってくれる人たちがその部分について気づきや癒やし、理解に向けたヒントをくれているんだな、と思います。またそこで得たものを再び家族との関係に持ち帰って学び直す、そんな循環を感じます。
ま、あんまりまとまりませんけど。でもここに来てまた再び、「家族」という非常にベタでヒリヒリしたものに舞い戻ってきているような気がします。
今回のみちよさんのクリスマスヒーリングのカードに、
「準備は整いました。今まで頑張ってきた成果を今後は努力ではなくて喜びで刈り取ってください」というメッセージを頂きました。
純粋に嬉しかったですけど、きゃっほー!!!というそれではなく、なんかしみじみとした感じ。。と言いましょうか。
なんつんでしょうか、「愛もお金も女性性も思うがママ!!」とかそういうイケイケどんどんというよりも、
落ち着いて優しさと愛、また他人や物、出来事との調和でやっていきたい、そんな感じ。
何をするのかよくわかりませんけどw.とりあえずヒーラーの看板は掲げたままにしますけど、去年の年末に感じていたような「何かやらな!!」といった焦燥感は消滅しました。それはかなりの収穫です。
さて、
ま、もう文章のろれつが回らないくらい酔ってますけどww、そんな感じの年末です。
皆様もお疲れさまでしたね。そりゃいろいろありますよ、生きてりゃね。
よーやった!皆よーやったよ!マヂで!!!お疲れちゃん!ゆっくり酒飲んで寝よう!
今年も大変お世話になりました。
皆様にとって来年もすっばらしい、あぁ、すっばらしい年になりますように。
そんじゃねー。
また年明けからくだらない投稿しまーす♪
アデュー
夏子