幸せってご褒美じゃないし。
- 2015.10.31 Saturday
- 00:34
JUGEMテーマ:癒し・ヒーリング
こんばんは、夏子です。
いきなり悪態ついたようなタイトルですけど怒ってる訳ではなく、なんかポロッと。
今日はお友達とランチしておしゃべりしたりしてたんですけど、
やっぱり私らの世代ってまだまだ世間の壁に縛られてるよねみたいな話しになって。
会社の若い世代の人はしっかりと自分の意見を持ってはっきり言ってるよ、と友達も言ってたんだけど、
うん、なんかそうなんだろうな。もう世代ギャップを感じる年齢だからしょうがないんだろうけど、今私は主婦になって若い人たちとふれあう機会が少なくなったんだけど、友達みたいに会社でどんどん若い人たちの中で働いてるともっとそういうの感じるんだろうと思った。
なんかさ、やっぱり私達ってどっか「皆平等が美徳」とか「幸せになるのは苦労した後のご褒美的なもの」な感覚があって、
頑張って勉強したら東大入れるとか、良妻賢母になってれば愛されるとか、幸せになるためのトレードオフを条件付けられてて、昭和が色濃く残ってるんですよね。
それがもっと根本に言っちゃうと、「良い子にしていないと愛されない」みたいなシンプル・ディープなところに行ってしまってさ。
目標のない苦労やワクワクを後ろに感じない苦労をしたって幸せなんかにならないのに
でも結果は人に尽くして苦労した分は報われて欲しい、じゃないと今こんなに苦しいのが意味ありませんでしたーってなるのが苦しいからお伽話的に苦労して苦労した人が大金持ちになりました!!!、みたいなお話を未だに美しい話として扱っちゃったりするんだろうと思うんだけど、
やっぱり嫌だと思うことを続けてたって報われるかどうかは今後それをひっくり返せるかどうかにもかかっていて、「必ず」良い結果、満足行く結果になるかと言ったら多分ならないと思う。いかに途中で気づいてそれを糧にするかどうかだよね。
楽しくなりたいのだったら今楽しくなきゃ未来になっても楽しくなんかなんない、という非常にシンプルなことなんだけど、呪いがかかってるうちはそれが理解できないんだよね。
それとか、
恋愛系の話題でも、例えば他の友達なんかでも結婚したくてお相手を探してる人がたくさんいるんだけど、
「自分の目が肥えすぎちゃってよっぽどすごい人じゃないと興味がもてない」とか、
「私が興味ない人には好かれるんだけど自分が好きな人には振り向いて貰えない」とかっていう話をよく聞くんだけど、
ま、かつて私もこれらの常套句を「彼氏ができない言い訳」として多用してたわけなんだけど、でもやっぱり言い訳。。だと思う。
と言うのは、自分の軸が定まってないってことなんだと思うんですよ。
全く意識してないラフな自分を見て気に入ってくれる人ってのが「自分は興味ない人」なんだと思うんだけど、その興味のない人は飾り気のないありのままのその彼女が良いと思ってくれている、ということでまさに等身大のその人と引き合ってる人、つまりエネルギーの釣り合ってる人なんだけど、
そういう人に興味が持てない、つまり「お前ごときと付き合いたくねーわ」ってことで見下げてるんだけど、それってやっぱり自分自身を見下げてる、受け入れていない、その人の良さ=自分の良さがわかってないって事だと思うのよね。
自分に対してダメ出ししてるのよ。「あんたなんかアウト・オブ・ザ・眼中よ!」って。(古い。おったまげ!(平野ノラ好き))
多分その興味のない人が見せてくる何らかの要素がイラッとするんだと思うのよ。で、そのイラッとする要素って自分が抱えてる要素そのものだから反応しちゃうんだよね。
そんで自分が憧れて好きで追いかけてる人ってのは本来は自分も持ってるけど発揮出来てない何らかの光を既に体現している人で、
あの人と一緒にいれば便乗して自分も輝けるんじゃないか?と思って恋い焦がれちゃうんだけど、自分の中にもあるその光が見いだせてない、そんなものない、と思ってるから、相手から取ろうと思ってもやっぱり「ない」が「ある」状態になって手に入らない、上手くいかないかも知れないし、
後は手に入った途端急に覚める、とかもあるじゃない?あれって多分どっか「自分ごときが手に入れられるものなんて実はくだらないものなんだろうな」みたいな。なんだがっかりーみたいなね。
やっぱりそれも自己卑下だと私は思うんですよ。
自分をリスペクト出来てないと相手もリスペクトできないし。
自分に言い寄ってくる人の中には確かに「自分の光に便乗したがってる人」もいるのかもしれないわ、だからま、いろいろあるとは思うけど、でももう既に「関わっている」時点で引き合ってる、自分の中の要素があるってことは確かで。
ま、もちろんいろいろあるとは思うし、譲れないものもたくさんあると思うし、無理なものはしょうがないってのもあるとは思うけど、
なんかきっかけがあるのなら
「とりあえずちょっと付き合っちゃえば?」と思う、どんな相手でも。
別に深い関係にならずとも、よ。数人ぐらい同時でも良いし。
誰かとの関係性に私はゴールなんかない、と思う。
自分も相手も常に変化することは受け入れないといけないんじゃないかと思います。
特にいま特定の相手が居ないのであればそれって実はものすごい「自由」な期間でもあるわけよ。
だから思いっきり楽しんで見たらいいじゃん?って思うわ。
ま、そんな訳で、(どんなわけで)で今ちょっとはまってるのが
星野源 ね?
サブカル王子。
この人もきっと渋谷のスクランブル交差点に立たせたら女が何万人もマウンティングしてきそうな。
モテるでしょうねぇ、ほんと。本日のいい男さんいらっしゃいですわ。
ビジュアル具合もほんとちょうど良い感じで。
でも私は彼の音楽好きです。Loveを感じます。なんかやりたい事ばっかりでうぎゃーーーー!!と全速力な感じがします。
そして聖・お兄さんのブッダの声だったり、ライターだったり俳優だったり。。ダンスもできたり。。となんてマルチ。
色んな引き出しがあって「それ持ってるって素敵だな」みたいなののオンパレードで。やっぱそういう人憧れるよね、男女問わず。
ちょっと病気とかもされて一時期心配しましたが、多分そこでなんか更にもっと生きないと!みたいなポジティブな方向も見られたのではないかと勝手に思います。
でもなんかこうたおやかに、無理をしないように、しなやかに「生きる」を満喫してるような感じがして私もそうありたいと感じます。
なんの話かわかんなくなったけど、とりあえず寝ます。
アデュー
夏子