『ホッとする』実感
- 2015.06.30 Tuesday
- 13:44
JUGEMテーマ:癒し・ヒーリング
こんにちは、夏子です。
今日は学校関係の一仕事終えてリラックス中。
否、
『もうちょっと完璧にできたんじゃないのか』
と相変わらず自虐気味です、あぼーん。
最終成果物がファイナルアンサー、もうこうなるよりほかはなかったはずなのですが、
相変わらず私もホコリをチェックするような姑根性で自分をチェックしております、お疲れさま私!
いいっぺいいっぺ、やったべやったべ、とそれでもなんとか自分を慰めねぎらい、
昼間っからハーゲンダッツ食ってます。ぜ・い・た・く♪
さて、
全国山登り女子連合会会員(クリックしても飛びません)の皆様、
府中支部40代の部会長の私としては、
この、リラックスが大変苦手で。
今ではかなりそれも出来るようになってきましたが、10年前ぐらいは、
香料を入れたお風呂に入りながらも『香料入ってるからいつもよかリラックスしてるらしい』などと頭で考えてしまったり、
スピリチュアルなことでさえも『メソッド化』して黒いものを潰していくようなゲーム感覚で『勝たねば。負けたらダメ』と思ってしまったり、
公園でチョウチョウを目で追いながら『目で追いかけちゃってるなんて、私ったらなんて自然感覚少女』などとゲラっと自分でしてしまったり、
『力を抜きなよ』と言われてももはや力など入ってる感覚すらなく逆に筋肉つけなきゃとか思ってたり、
昼休みなのにコンビニのおにぎりとコーヒーでささっと食事を済ませ、ネットで恋愛相談とか見ちゃったりとか、
あるよねー。無いですか? いや、ありますよ、きっと。
『ホッとしましょう』とはいえ、
何がどういう場合に『ホッ』なのかすらわからない、という。
私も頭ではわかっていても一体どんな感じなのかがあんまわかんない、というのが長い間続いていましたし、多分今でもそれが感覚できる人よりかなり感度は低いとは思っています。
で、こっからすごい話ってか汚い話になりますけど、
今日小学校からの帰り道、ものすごいお腹の急降下があったのですよ。
まずい、これはもしかしたら間に合わないのでは??と冷や汗を垂らしながら小刻みに震えながら信号を睨みつけながら帰り、
ギリギリのところでセーフ、無事に自宅まで辿り着き間に合ったその時の感覚。
『これってホッじゃね?』とかって思って。ゲラ
いや、確かに、例えは悪いですよ、例えは。
でも、もうギリギリマックス、人間の生理現象だけに身体を支配され思考などブットンでもう何も考えられねーーーー!!!ってなった後救済された時のあの感覚って、
究極の『開放感』ってこれなんじゃないかななんて。ダメ?
もちろん、同じような『あ〜♡』な感覚は他でも体験できます、
一杯スポーツやった後の生ビールとか、
サウナで長ラウンドやった後の水風呂とか、
あれもおんなじ感覚の解放エネルギーを味わえるんですけど、
でも、スポーツもサウナも臨界点にもっていってるのは自分の故意でもあるじゃないですか。
ここまで頑張って我慢したらあの感覚に会える、みたいな。
なのでどっか頭でその臨界点Maxにまで自分でもっていってる、ってところでどこかしら自分自身の思考コントロール作用が働いてる気がするんすよ、便意とか尿意とかってそういう脳操作ぶっ飛ぶじゃない?そういう意味ではもっと究極なのでは?と。
バイザウェイ、
会社員時代によく朝のラッシュで中央線がなんかしら止まっちゃって一時缶詰になるじゃない?
あの時実は『Max』だった人の事考えるともう夜も眠れないくらい(うそ)苦しいわ?
でもきっと東京のどこかでは無事にならなかったケースも多々あるよね。。うぅ、皆お疲れ
。。。。
つまりよ、
『ホッとした♡』ってあの我慢の頂点の後の開放感のもっと小なりバージョンっていうか。
オサレなカフェで高いコーヒー飲んでボサノバ聞いてもあんまり何にも感じなかったり、
花屋の花見てもふーん、みたいな感覚があったり、
公園で本を読んでみようと思っても風が強くて室内の方がマシじゃね?とか思っちゃったりしても、
世の中では『リラックス出来る』と謳われているものに同じように共感できなくて、そんな自分が人間として不具合があるんじゃないかとか、情緒が欠如しているんじゃないかと私も随分悩んだけど、
それだけ自分を『ホッとさせる』機会が作れなかったし、与えられなかったんだと思う。
一生懸命走ってて休んでる暇なかったのよ。休んだら『やられちゃう』と思って立ち止まれなかったのよ。
よく頑張ったのよ。
だからあんま自分を『無感動・情緒欠如人間』とかって思わないで? と思って。
もちろん、そこに疑問があるならリハビリしていった方がいいから、
徐々に感覚を取り戻す必要があるのだけど、もはやカフェ行くところから始めても店員の態度とかが気になっちゃったりするのでw、
じゃなくて、
体力があるなら身体動かしてみるってのいいと思う。ダイエットにもなるし一石二鳥。
で、風呂入って出てきてぷはー!とお好きな飲み物で一杯やる、と。『はぁーー♪』が味わえるわ。
山登り女の思考として『せっかくダイエットにもなったんだからビールとか炭酸やめてここは水でしょう』とか思っちゃうのよこれが。でもそこはもういいとしてさ、
身体という五感を使ってちょっと自分を追い詰めて、でもその後は制限せずに思いっきり目に飛び込んできた一番飲みたいもの、食べたいものを思いっきり味わうとか、
私が前にやったけど、もはや『何が食べたいのか』もわからなくなってきたから、極限までお腹をすかせてその時に一番食べたいものってのを電車に乗ろうがタクシー使おうが何がなんでも食べに行く、とかでもいいと思う。
それが結果として感覚を取り戻すのに繋がって、取り戻すと自分が開いて、開くと人生の目標が見えてきて。。。。
とかいうタラレバはとりあえずOffにして、もちろんゆくゆくはそういったものに繋がるとは思うけど、
とりあえず『ホッ』とかそんな感じの『充実感』『気持ちよさ』を体感するのを目的としたら良いと思うわ。で、結局そこを体感できるからこそ『何がしたい』も見えてくるのよ、きっと。
空きっ腹で強烈な時にカレー食べたらものすごく舞い上がったわ?勢いでインド歌謡のCD借りたぐらいだから。
ショック療法みたいなものかもしれないけど、悶々といつもと同じようにしたり、世間で良いと言われてることをなんとなくやるだけでは感覚が戻ってこない場合も多いと思う。
もちろんその中でものすごく自分と合うものもあると思うから何でもやってみたらそこには良い物があるとは思うんだけど。
ま、そんなんで、『論破』に行き詰まりを感じてきたらいよいよフィーリング、感覚、感情、五感、という分野への入り口かも知れない。で、そんだけ押さえつけてきたのだからそれらを享受出来るようになったらその喜びの大きさはものすごいとも思うのよ。
なんでもポジティブへのポテンシャル、陰陽なのね、と思いました。
アデュー
夏子