罪悪感と支配
- 2015.04.30 Thursday
- 10:13
JUGEMテーマ:癒し・ヒーリング
さかなさかなさかな〜♪ さかなーをたべーるとー♪
釣りに行ってきました、夏子です。
結果は一匹も釣れませんでした−(・ω<)、なんですが、ひっさしぶりに海をみて癒やされてきました。
釣り堀ではなく海釣りだったのですが、あまり釣れる日ではなかったようで、でも入場制限がかかっていたのでおそらく150人くらいは釣りをしてましたが、見ている限りでは釣れている方は2,3人でした。
釣れない釣りはもうほぼ瞑想か!と突っ込みたいくらいの皆さん無の境地。
でも皆イライラしておらずとても平穏な空気。
仕事にすると大変だとは思いますが、でも趣味で釣りする人の気持がなんだか分かったようなわからないような。
魚が食いつくのを待つあの感じ、いいです。
そんなわけで夕飯のおかずをゲットすることはできませんでしたが、その足でラー博行ったりして気分はすっかりGW。
で、GW終ってうかうかしてるともう夏休みとかになるので、またしても一年が高速に過ぎていく、そして振り返ると子どもがどんどんでかくなっているという。
バイザウェイ、またハードなタイトルつけちゃいましたけど、
相変わらず続いている道端リーディングシリーズ。
LINE経由でもあら、ちょー久しぶりな人から立て続けに突然相談がきたりしてます。
なんだかよくわからないけど、私自身の事を言振り返るためのものと、またたくさんのサンプルを見せられているのとで感慨深い。
結論から言うとやっぱ根っこは罪悪感、私は私のままじゃダメなんだ、という思いグセ、でも実はそうではなく誰でも平等に愛され、皆それぞれが特別な人間であるということを自覚できれば様々なフィルターはとれていき、物事は全て中立で起きていることが理解出来て嫌な事象も人間もいなくなる、というかそこへの執着がなくなって自分軸が保てるようになる、ということだと思うのですが、
なかなかその境地に行くのは簡単な事ではなく、私も辿りつけてないわ?
でも自分の周りの出来事や人の相談事を聞いてて感じるのは罪悪感と支配の関係。
「私が悪いのかもしれない」と思っているけどその感情を持っているのが辛いので「私は悪くない。周りが悪い」と自分の中で自分を救済しようとするマインドが起こって、「私は悪くないよね?でしょ?」と周りを固めて味方を作るために「こんな散々な目にあった、あの人やばいから」みたいなことを言いまわってしまうのだけど、逆にそれは「私はこんな事されちゃうような人間なんです」と触れ回っていると言う意味で絶賛大ブーメラン、自分におもいっきりリターンしてくる、ということもあって、
特に女子の皆さんが学校でサバイブするためにあれこれと色んな画策をした方は多いと思いますが、
その時の気分って「ヒヤヒヤ」だったと思います。その後ろには、
「あの人の文句を言ってしまったけど、私がそんなこと言ってたよって本人に言ったりしないかな?」とかいう思いがあったり。
で、そのヒヤヒヤはヒヤヒヤを呼んで、最初は相手を責めてて自分の方が有利だったのに今度は責められる側になって孤立したりとか。
投げたエゴは大きな鮭になって帰ってくる、それを「言霊」と称して「人の悪口言いうと自分が言われるよ!」と自分の子どもにもそうやって叱ってしまう事があるんだけど、
ま、事実そうなんだわね。
だから誰かに向かって言霊(悪口、恨み、ショック等)を口にしたり文章にしたりして投げずに、その時感じた思いを自分だけに向けて書き、流す、といういわゆる「毒ノート」にはそういうエゴリターンを回避しつつ自分の思いを流す効果があるのだけど、
でも人間ってバーバルコミュニケーションで成り立ってるところもあるし、日常のやりとりとか、それこそブログとかHPとかも本人の「思い」をワールドワイドウェブに載せちゃってるので色んなしくじりも私も散々やってますし、エゴの塊を投げてそれがおもいっきりブーメランで自分に返ってきてうなだれる時も多々あります。
「私はこういう人なんです」とか「私は何も悪く無いんです」と強く主張してしまう思いの後ろには「私はこういう人に見られたい」とか「私は悪くないですよね?そうですよね?」という他人からの承認要求があり、結局のところ自分で自分自身を認めていない、という。イラッとすることは図星、だから反発する。
じゃぁ必ずしも自分は悪くないのか、と言ったらそうではない。さっきも書いたし、みちよさんも言っていたけど「物事は必ず中立で起きている」ので、良い悪いで言うと混乱するけど、結局のところ「お互い様」、でも互いに被害者意識が顔をだすと、私が白で相手が黒、と思いたくなるんだけど、実際は双方おんなじトーンのグレーみたいなそっくりさんだったりする。
でもこういった罪悪感と被害者意識が自分の中にあると、これが子どもがいると子どもに自分自身を投影してしまって、
自分が思う自分の子どもの「こうあるべき」像を「周りに」信じこませるように仕向ける、ということもある。
人といざこざを起こさない子、勉強がよく出来る子、活発な子、ハキハキしている子、いじめられない子、強い子、お行儀の良い子、何でもいいんだけど、
自分が「私にとってはそれをするのがしんどかった」と思っている事を自分の子どもはやすやすと出来る子になるように、子どもをコントロールしようとする。
それは親としては「そうあって欲しい」という願いでもあり、親ごころで愛情でもあるんだけど、
でもやっぱりそれってエゴなのよ。私の弱点克服のために子どもを使うという親のエゴ。
コントロールの仕方は私が思うのは2つあって、
子どもに罪悪感を持たせて一念発起させる、「あなたが頑張らないとダメなのよ。戦ってこい!」という突き放しか、
「あなたには全然否はない、悪いものは全て排除しなさい(もしくは私が排除するから)」という被害者意識を植え付けて過度に保護するか、
いずれにせよ根っこには再びその親自身の「罪悪感」がある。
前者で突き放され、様々なところでサバイバルをすると強くなるはなる、確かに。
でも、のっけから「あなたがダメなのよ」が前提にあるから、子どもは戦って勝ったらやっと認めてもらえると感じる。
でも常に常に勝てるわけはない、弱い心もあるし、悲しいこともあるし、ただただ受け止めて欲しい時もあるのに、それはNGだと言われたらものすごく苦しい。
後者のように全肯定されたらそれは良いかもしれないけど、でも「世の中敵ばっかりなのよ」と言われているに等しく、魂が萎縮する。そして生きてる限り色んな困難にも直面するし、親が敵だとみなしたものは実はほとんどの場合敵ではない。だから他人との間に摩擦も起きるのに、それに対処出来なくなったりして、「自分は世の中を渡ることが出来ない、能力のない人間なのかも」と思いながらも人のせいにし続けて生きる、これも苦しい。
で、こうやって支配されていた子どもたちが親になって、また子どもを庇いたい一心から、また同じような形で
もっと強く
もっと能力がある
もっと人付き合いが上手い
子どもになってくれるように望み、コントロールしようとする。
もしくは、もっと色々と転じて自分と自分の子どもとの境界線がわからなくなると、我が子にいじわるをしたり、敵視したり、軽蔑したり、と、
そんなエクストリームなケースもたくさん事実ある。
いずれにしても全て子どもに自分を重ねて自分自身を見ている。
書いててつれーわ。
のっけから「そのままのあなたでは無理」って言ってるようなもの。
もちろんこれはものすごく極端な例で、
もちろん親は、子どもを褒めたり、好きな事を優先させようとしたり、気持を大事にしたり、と色んな愛情を与えている。
一生懸命育ててるんだけど、自分でも気づかない部分でそうやって子どもを抑圧しているところもあり、それがまたリターンしてきて子どもも自分がしんどくなる時もある。
私はそうなるもんか!と思っていたのに、そっくりそのまま親と同じ事をしているのよ。
これは気づいた時ものすごく怖い。
で、あたしなんかその自分のエゴを今子どもを通して全体レビューさせられててしんどいのよ。
ちなみに私は突き放し型だったし、今でもそうかも知んない。
今はそういう自分の思いが生む歪みに疑問を持って、スピリチュアルな世界、見えない世界、思いの世界に気づいてレビューが始まってる人が一般人レベルでもたくさんいる一方、
まだまだそうではない思いに縛られている人もたくさんいる、という二極化が進んでいるようにも見える。
で、でも気づいたらハッピーかっつーとそうでもないのよ。
その後ものすごくハードな膿出しも出てくるので、それはそれでキツイ。
私だってエゴでエゴエゴしている時に「自分を愛して」と言われても、は?と思っていたわ?
なんで、自分を愛すのよ、「私を愛して」ならわかるけど、みたいな。
自分もそうだったように人はその人が気づきたいタイミングでしか気づけなかったわけで、
なんかしらモノ申したい気分が強い時の自分っていうのは相手を責めてるようで自分を責めているだけで、
子どもの人生も子どもの感情も、その他の人の人生も感情もコントロール出来ない。
でもなんかその辺私勘違い、ってかわかってなかった、被害者意識になって逆に自分が加害者にもなっていたのだと思う。
で、あれこれと言いたい反面、でもその自分に自信がなくて「恐れ」があり、自分の言葉に責任が持てないな、みたいなのもあって、自分を抑制していた部分も多いにあると思う。
しくじり先生じゃないけど、そうせざるを得なかった状況、自分ではどうしようもなかったこともたくさんあるけど、でも振り返ると色々と私、しくじってるわ。しくじりっぱなし。
でももうそのしくじってしまった自分を形成した元凶を責めても何も変わらないし、そして彼らのしくじりの結果、としてジメジメ恨みながら不幸せに生きるのもつまんないわ?と思うのよ。
全部がマルっとクリアにはならないけど、一個気づいたなら、せめて今日からはその部分については考え方を変えて行こう、見方を変えていこう、手放していこう、と一個一個片付けて自分がその思いから自由になり、自分の子どもも自由にしてやらないと、と思います。。そういう意味で親子ってやっぱすごいディープな魂の相手よね。。
で、親子もだけど、男女間ってのはそういう自分の隠された思いを散々見せつけられる、丸裸にされる、という意味でものすごい気づきの相手、陰陽のパートナー、ありがたいと思うわ。
バイザウェイ、カレー熱は収まってきました。もう十分満たされたわ??
今個人的に盛り上がってるのが、
カオマンガイよ。
蒸鶏とジャズミンライスのあれです。ちなみにパクチーはほどほどなら好きです。
アジア料理の最高傑作だと個人的に思うわぁ。。そういやタコベルはまだ行けてないわ、エニウェイ。。
もう長期休暇に入ってるかたも多いでしょうね。
休んじゃぇ休んじゃぇ。イエーイ♪
アデュー
夏子