子育てって難しい
- 2015.03.30 Monday
- 23:38
JUGEMテーマ:癒し・ヒーリング
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こんばんは、夏子です。
日曜日はグラウンディングをしていました。
目をつぶって精神を整えて。。。ではなく、
草むしり
息子のね、スポーツクラブの親による慣習のグラウンドの草むしり。。ね。
まだ暑い季節じゃないからましでしたけど、
いやー、雑草ってすごい。。あそこまで深くしぶとく根を張るってのはものすごい生命力。。
しかし、太陽光の下、草木土を触ると言うのはものすごいグラウンディングの効力があるので、それはそれで良かったな、と思います。。が、
なんせ一度どっぷり疲れると回復力が衰えているのはあからさまな事実で、
まだ手が時々わなわなしている。。という。うぅぅ。。
まぁさー、うちの娘と息子もまだ5歳と7歳で小さいんですけど、
子ども一人が運んでくる人間関係ってものすごく広くなってきて、
例えば息子は学校の学年、クラス、習い事や少年野球からの他学年との付き合いがあって、
子どもの人間関係もバーっと広がってるわけだけど、それにまつわる親同士の付き合いも急激に広がってくるわけで、
もちろん関係する人全員と打ち解けてお茶を飲むほどの密な関係を持つわけじゃないけど、昨年度一年で新しく知り合った人って合計したら200人以上ぐらいになるわけで、
そうなると私が付き合いたいか、気が合うか、とかそういう事にかまけてられない、というか、
もちろんそれぞれと「上手くやらなきゃ」と思う必要もないんだけどでも自分だけの問題じゃないし、とか言ってやっぱり色々気を使います。
独身の頃とかは、自分で会う人なども選択して、ちょっとでも嫌だったら避けることも出来るし、
もちろん会社とか仕事関係でどうしても嫌だな、みたいな人は出てきますけど、でも仕事と割り切ることも出来るし、最悪こっちが辞めちゃえばその関係は切ることも出来るわけだからドライにやればいいんだけど、
そこに子どもが一枚噛むと、子どもの世界を尊重しなくてはならない場面もあったりするし、親同士が仲良くても子ども同士は険悪だったりとかその逆とかもあって、色々あります。
前にも書いたかもしれないけど、再び利害関係が発生しないメルティングポットみたいな多種多様な人がいるでっかいプールに、
ポンっと再び入っていく感じ。
子どもの頃は義務教育ゆえ、親の環境ゆえ、学校なり何なりと選択できないところで色んな人とぶつかり合ったり嫌な思いもしてそしても、
大人になる過程で自分が居心地が良い、波動が合うところに流れていく事ができていくのだけど、
自分に子どもができるとまたあの感じを経験しているみたいで、
正直たまに嫌になります。。
ま、子育てしている方は誰もが経験することだとは思います。
もちろんスピ的に言ったら、色々と私自身の中の子どもの頃の悲しい思い出などを自分の子どもに投影して一人およよ。。と思っている部分も多いにあるのはわかってるのですが、
そして親の立場、大人になってから子供らの世界を客観的にみて始めてあぁ、そういう事だったのかとわかることも多いんだけど、
だからといって、完全に自分の子どもを自分から分離させて俯瞰する、というのもなかなか難しい。
例えば今日娘がメソメソ泣きながら帰ってきて、
「お友達に追いかけられた〜。。知らんぷりされた〜(;_;)」と言っておいおい泣いてたんだけど、
こういうのもさぁ、やっぱり私としても、相手の子どもにも親にも嫌な感じは受けてしまうし、でもかと言ってじゃぁうちの娘が何の落ち度もないのか、と言ったらそれも疑問なわけで、
多分やったやられた、の結果でもあり、またうちの娘も気が強いですからなんかやったんだろうとは思うんですけど、
自分が子供の頃そういう思いをした時のことなどをぐわーーーーっと思い出しちゃって、ものっそ切なくなります。
しかも、娘の場合は女ですから、あの女子同士の独特の感じってのはよくわかる、男同士の小競り合いの話の方がもうちょっとサラッと聞いてやれるんですけどね。
でもそうは言ってもまだ娘は5歳、これが小学校の高学年レベルになって女子内のマウンティングが始まるとものすごい状態になるのは私も嫌ってほど経験済みですので、
今後年齢が上がって精神的な悩みが増えるのがもう今の段階で憂鬱。。
もちろんわかってるんです、娘が私と同じではない事、私が経験したことと同じことを必ず繰り返すわけではない事、更に今の段階で私が憂鬱になってどうする?とも思うんですけど、
でもその部分ってのはいくらスピリチュアルを学んでも自分は親としては子どもの年齢と同じしか経験がないですから、いつでも手探りで、大きな愛をもってどーんと受け止めるのが親!と理想像はわかっていてもなかなか自分も弱いので無理。
何か子どもがいじめられたとかそんなことがあったとして、
「そんなこと大したことじゃないわよ!」と突っぱねたら更に「私がおかしいんだ」と思って更にひどい状態になるかもしれないし、
「お母さん忙しいんだから、そんなことでいちいち泣かない!」などと言ったら親に相談できない子になって更に悩みが深くなるかもしれないし、
「やだ、そんなことされたの??ひどいじゃない、お母さんその子叱ってあげるわ?誰??」と過保護に対応したら、それがきっかけで子ども同士の世界を破壊してしまうし、
その匙加減ってわからないわ。
なので今私の対応としては「そうか、嫌だったね。。」とただひたすら起承転結にもなっていない娘の恨み節をうんうんと聞いてやり、「じゃぁ、今度はまた仲良く遊べるよ!」という事ぐらいしかできないんですが、
私の中でもスッキリと「これでいいのだ」みたいなストーンとした感じもないし、非常に悩ましいわ??
で、これがもっと複雑な問題になってきたら私も同じように悩んじゃって共倒れしそうだな、とか思ったり。
でも人付き合いで何一つ嫌な思いや障害物がない人生を送った人なんていないので、子供らには子供らなりに解決していかなければならない事があるんだけど、
それを暖かく見守る、って非常に苦しい。。ぐぬぬ。。。
ディープよね。子育て。乳幼児期が終って、改めてあぁ、地域社会で子どもを育てるってこういうことなんだ、みたいなのを今痛感しています。
人一人育てるのって大変だな、って思います。
でも、多分そういうような状況の時、私は親にどうして欲しかったのかな、何が悲しかったのかな、と思い出す事が重要なのかもな、とも思います。
そして、親がどうとかじゃない部分も確かにあったとは思うので、その部分は子供らの力を信じてただ静観する。。のがいいのかしらね。
そしてすごくシンプルに考えると、もちろん色んな親はいるとは思いますけど、
毎日ニコニコと楽しそうに何かに打ち込んで生きている子どもの姿を見るのが一番うれしいし、ほっとする。
のは真実だと思います。
でも、それが親のエゴを納得させるような事を精一杯やっているのか、
それとも子どもが心から喜ぶ事で活き活きと生きているのか、の見極めは、
エゴに取り憑かれている親側にはわからなかったりするのも事実で、
傍から見ていると、いや、お子さんかなり無理してます。。と言いたいけど、親としては「うちの子は一生懸命夢に向かって頑張ってるの♡」みたいになってる場合も多い。
そして「うちの子は穏やかで人に嫌なことなんか一切言わないのにみんなにいじめられるの!!!」と豪語している親の子が実際は親の見ていないところでものすごいやんちゃ怪獣だったりもするので、
自分の子どものことって良くわかるけど一番よく見えてないってもあるよね。。うちの子にかぎって。。ってやつね。
私も自分が全くエゴを子どもに押し付けていないか、と言われればそれもクエスチョンで、
それは我が子に真相を聞いてみないとわからない、私だけの「これが正解ワールド」から見ているだけなのかも、とも思ったりします。
だからもう子育てって楽しいし面白いけどなかなかのレベルで胸が苦しい。。ってのが私の本音。ぐぬぬのぬ。。
それでも私も子供らも夫も何らかの合意があって、魂を磨き合うために今ここで家族をしているのだな、と思います。
しんどいのも正直本音ですが、サクラを見ながらお子らと外で遊び倒します。
アデュー
夏子