目標達成主義と結果主義
- 2015.01.30 Friday
- 11:28
JUGEMテーマ:癒し・ヒーリング
雪!!ですね。さみーわ??
ところで、ボジョレー・ヌーボーとは、(フロムWiki)
毎年11月第3木曜日に解禁される、特産品の新酒をボジョレー・ヌヴォー (Beaujolais nouveau) という。以前はその年のブドウの出来栄えをチェックすることを主な目的としたもので[要出典]、ワイン業者が主な顧客であったが、その後、解禁日をイベントとして、新酒として大々的に売るやり方が確立され、現在はフランスでも、日本と同じ目的で一般の消費者向けに売られている
つまり、
今ごろ2014年のボジョレー・ヌーボーを飲んでる私は
まるで意味ない
のね??
まぁ、いいわ、ワインとかまるでわかんないけどそれなりに美味しいじゃん♪
バイ・ザ・ウェイ、
タイトルにもある目標達成主義と結果主義。。。これについて考えさせれる今日このごろです。
ある目標を掲げて、それを達成するまでの道のりでは意気揚々と奮起する。
その間は活力に満ちた自分、私すごいわ??みたいな気持でいられる。
そして頑張ってるから結果は出る。望んでいたものと同じレベルではないかも知れないけど何らかの成果は出る。
でも、
それを達成したら安心するかというと、また別の目標を掲げて奮起していないと、またもやっとした不安が出る。。
ま、私もね、常にこういう感じなわけです。
それは山登り女子の典型でもあるし、根っこにあるのは皆さんも同じ「承認要求」です。
これは、さんざん頭ではわかっていて、そうではなく「自分がやりたいと思うこと」に目標をセットしなければ。。と思いつつも、まだまだ抜け切れていない、という事がわかりました。
なぜ、目標を掲げて結果を出したいのか。
それは、
水戸黄門のように「印籠」を持ちたいのだと思います。
「私はこんな事も出来る価値がある人なんだよ。だってこれが証拠よ? この紋所が目に入らぬか!!!」
と、やりたい。
なんでそんな印籠を突きつけたいのか、と言うと、
そのまんまの自分でいても誰も評価してくれないと思っていたから。
無条件で何をしてなくてもほめられたり可愛がってもらえなかったから。
色々と頑張ってるけど、アテンションがもらえなかったから。
頑張ってる課程も無視されてたから。
色々あると思います。
だから、わかりやすい「結果」を見せたい。
結果を見せたらぐぅの根も出ないでしょ?社会が認めてるのよ?あなたもう私を否定出来ないでしょ?
と「自分に価値がある事の証拠集め」をやっている。
掲げている目標はなんだってよかったりする。親が、友達が「すごい」と思ってくれるものだったらそこに目標設定をする。
死に物狂いで修行をしてやって「結果」を出す。
回りは、わぁ、すごいじゃん〜、と褒めてもくれる。
でも、自分は案外その結果は満足だけどそれをこれからもずーっとやって行きたいとまで思うほど執着がない。
別に自分がやりたくてやったわけじゃないから。
そして気づく。
その結果を出したけどそれほど自分の価値が上がったような感じもしないし、回りもそれほど興味を持ってない。
だからまた目標を探す。
もっと充足感が味わえる「何か」を探し続ける。
そしてエンドレスの目標探しが始まる。
そこでスピリチュアルに触れ、「自分のやりたい事をやりなさい」「努力は喜びを味わうために使いなさい」といわれる。
で、ここでポカーンとなる。
「私のやりたい事って何?」
こういうのでモヤモヤしている人多いんじゃないかと思います、もれなく自分もそう。
目標に向かっているけどその後ろにある気持が「欠乏感」だから、頑張っても頑張っても同じ気持が蘇ってしまう。
色々な欠乏感があると思うんだけど、
お金がないからそんな夢を持つなと言われていた人は、
お金がなくたって自分にはなんでも可能なはずだ、お金がなかったのは私のせいじゃない、家のお金がなくても私には価値がある、と頑張るけれども、常にお金がない状態になってしまったりする。
なぜか、と言うと、その後ろには「私にはお金がない」というすり込みと、「お金がなくても達成できる自分になれることを証明する」という目標があるから。
ほんとうはお金がバンバン入ってしかも自分のやりたい事を達成したい。でもお金がなくてこんなにつらいけど頑張って成し遂げようとし、諦めないでいる自分を「お金が無いから諦めろ」と言った相手に見せたい、そしてお金があっても達成出来てない人にザマミロとも言いたい、だからお金が欲しいけど自分も「お金があるのに目標達成できてない」状態になると困る、だから無意識に自分で「お金がない」状態をキープしてしまったりしている。そして実際お金が無いから自分の思う通りには出来ず、目標が達成出来ない、だからその理由がわからなくて自分を責めたり、誰かを責めたりして、常にしんどかったり。
もしくは、見た目(外見)は美しいけどその「中身」を評価されてなかった人は、
自分は「美しさ」しか価値が無い、と思っているから美しさに更に磨きをかけ、美しさだけで人を圧倒しようとする。
でも中にはとても敏感で弱い自分もいる。美しさを取っ払った自分を見せるのが怖いのでビクビクしている。
でも美しいだけでは人を魅了しきれないこともわかっているし、その「中身」について触れてくる人に出会ったりするとざわっとする。
ざわっとして怖いので、はねつけようとして中身に触れてきた人の外見の欠点を責める、もしくはあの人私に嫉妬してるんだよね、とエゴで転換したり、または自分の美しさの欠点を根堀り葉堀り探しだし、「あ、ここが変だからあんな事言われるんだ」とその箇所のせいにする。そして延々自分が美しいかどうかにフォーカスを置き続けていつもピリピリしている。
いずれにしてもいつもいつも努力しているからその頑張りが生み出している結果は客観的に見たらタダ事では無いレベルまで言っていて、回りをほうーっと感心させられるし、たくさんの称賛も与えられている。
しかし
本人には「欠乏感」がついてまわってるから何を達成しても「いや、まだまだこんなもんじゃない!!」ってなって足りないところを探しつづけるし、その自分の思いがその欠乏感を更に刺激してくる自分にそっくりな「あら探し」をする人を回りにひきつけてダメ出しされ、あぁ、やっぱりだめなんだ。。とまた目標を探しつづける。
一言でいって、
しんどい
わよね。
「そのまんまのあなたには価値がない」と植え付けられた過去はあったかもしれない。でももう成人して何もかも自由に出来る自分になっているし、そのまんまでも十分に価値があるのに、欠乏感の思いから抜け出せない。
ディープよ。
もちろん他人からの承認要求がまるで無い願望なんて無い、かも知れない。
アイドルになりたい!皆にキャーキャー言われたい!!
という純粋な少女の憧れや願望であっても、その裏には認めてもらいたい、思いがある。
そして、「アイドルになって皆を元気にしたい!」みたいな世のため人のためのお行儀の良い押し付けがましい願望が「正しい自分軸の願望」だというわけでもない。自分の魂が求める願望なんてハレルヤな内容じゃなくたっていい、でもそれは決して他人を傷つけるものではないと思うけど。
とどのつまりは「自分が感じる充足度」と、あぁー、楽しいなぁ、とかわー嬉しいなぁといったような本人が感じる「喜び度」や「矛盾のなさ」がその目標のウラにあるかどうか、なのかと思う。
私なんかだめなところだらけだから、そう思われないように頑張らなきゃ。。。という思いがあるのであればそれはやっぱり自分軸の願望ではないのよね。
でも、この辺の見極め方はなかなか難しいわ? 私も書きながら色々疑問に思ったり、こういう場合はどうだ?とか思っちゃうし、
それから本当にやりたい事をやってる最中にだって大変な事とか落ち込むことだってある。
でも、そこで、うまく言っていないのを自分以外の「何かのせい」にしているかどうかがキーのような気がする。エゴが作用している時はその対象がとても都合のよい身近な人だったり状況だったりする、親が、彼氏が、夫が、先生が、家が、友達が、お金が。。。などなど。
ここで羽生先生を思い出す。彼はどんな困難も全て「ありがたく」受け取って、自分のワクワクのための糧にしている。
なんとなくうまく行ってねーな−、頑張ってるのに、と思うのであれば、常に常に自分のお尻を叩いて向かっている先に自分が本当は何を求めているのか。。みたいなものをレビューするのは良いと思います。
そしてその目的が自己証明にガッツリ根付いたものだったり、ホントはそこまでやりたくもなかったけどもうここまで来たらやるしかほかないじゃん、他に私に何が出来るの?。。みたいな恐れに根付いているものだったら、
もうやめたほうがいいかも、と思う。しんどいだけだから。
でもやめる自分を責めないで欲しいと思う。逆にやめるほうが勇気がいることだし。
でも目標達成主義、結果主義で成し得てきたことは無駄かって言うとそうじゃない。
お客様をリーディングしていると、会社員であっても携わってることはどこかしらその魂が求めていることに関わることをしている。
または全然関係な い職種でもそこで経験した何かが必ず役に立つ仕組みになってるし、何よりあなたが出してきた「結果」はやはり結果として勲章、資格みたいな形でちゃ〜んと 形に残り、それをまたどういう形かわからないけど、利用出来るようになっている。
人生ほんっとに無駄はねーわ?
なんでそうまでして結果を出したいのか。
あなたが醸し出す雰囲気、性格、態度、能力、価値、ただそこにそうしているだけであなたのことを「素敵だな」と思っている人もいるのに、自分だけが「印籠づくり」に必死で、それに気づかないだけなのかもしれない。
だって回りにそんな人いねーし?と思うかもしれない、でもそれもあなた自身が「私、価値ありませんので」と言い続けていたら「ですよね、無いですよね」と指摘してくる、自分と同じように「自分に価値がない」と思っている人が寄せ集まっているからかも知れない。
結局のところ、結果と目標達成にフォーカスを置いているってのは自分の弱さを強さで必死でカバーして見せないようにしているからかも。
だから、やっぱりこの努力、自分の弱さをカバーするためじゃなくて、自分を喜ばすために使わないとつまんないわよね。
と、そんなレビューをこれまた私やることになりそうよ?
スピあたりするから、そこんとこよろしく。。。。
アデュー
大将