エゴ太郎その後 − 超いまさらですが『今ここ』
- 2014.10.31 Friday
- 10:06
JUGEMテーマ:癒し・ヒーリング
おはようございます、大将です。
ちょっとリアルライフを満喫してました。
ま、スピスピせずとも日々新しいいろんな出来事があります、子どもいると特に。
とは言え夜な夜な昔のみちよさんのブログを読んでいたら、何か自分ととっても似た境遇の方の質問に対する彼女の答えとエゴに関する記事を発見、5年前くらいの記事ですけどね。
エゴと愛
エゴの話
読んだことがある、と思うんだけど、おそらくその時はサラッと読んだだけで身につまされてないので、へーそうかー、なるへそで終わってたんだと思いますが、
今読むと『ですよね』と超リアル。ていうかセッションとかでも耳タコでお話されてるはずなんだけど、そこも多分潜在意識で痛いところなので聞いてるようで聞いてない、自分の事なのに自分の事として咀嚼出来てなかったのかもしれません。
ここでみちよさんが言ってるように、エゴちゃんが出てきたら、
『あらいらっしゃーい』とその存在に『気づいてあげる』、でもそこで抗ったりするのではなく、エゴちゃんを天使に預けて手放す、というのは何かとても安心するやり方だな、と思いました。
結局無理ぐり仲良くなろうにも、なんだこのやろと突き放そうとしても、エゴちゃんは自分自身でもあるから
『そこに居る』
わけであって、消滅はしない。いろんな感情の場面で時折また顔をだしたり引っ込めたりと人間である限りそれは止められないし、止める必要もないけど、
あぁ、今はエゴちゃんが出てきているのだな、と『気づく』だけでいいのか、と。
その存在を認識しているかいないかだけの違いのような気もします。
エゴちゃんの勢力が増していて、自分の全体を覆っている時、ちょっと前の自分がそうでしたけど、そういう時って外界のメッセージがまるで心に響かず、攻撃だと思ってしまう。ホントはそうじゃないのはどこかで分かってるけど、『いやー、でもね?』と自分のほうが正解だ、間違ってるはずがないととても頑なになっていて、何を言われても無駄なのだな、と。
みちよさんの記事にもある通りエゴVSエゴで他人のエゴとぶつかり合っているときのテンション足るや、モノノフ同士の戦いレベルにもなります。
でもそこで『あ、これはもしかしたらエゴちゃんマジック?』と気づけたら、
『あぁ、そういうふうに感じちゃうよね〜、わかるわかるー。』とエゴちゃんと『共感』できるというか。
そしてそう気づくと同じようなエゴに覆い尽くされている人の気持も身にしみてわかる気もします。
エゴの排除は自己否定に他ならないので、自分が苦しいだけです。でも同時に無理ぐり『説き伏せる』のも苦しい、ってか無理です、だって過去にエゴちゃんが発生した背景や環境は『なかったこと』にはならない。
なので、繰り返しになりますが、その存在に気づく、気づけば自分の周りにあったマジックフィルターがザーッと取れてハッと夢から覚めたような感じがして、もっと違った確度から物事が見えるような気がします。
エゴちゃんとて1人ではなく、いろんなタイプの経験を背負ってきてくれたエゴちゃんがいるので、あー、この人会ったことあるなー、とかあら、この人は始めてだわ、とか色々これからもあるだろうし、またそれがエゴとは気づかず暴走したりそれを繰り返すのでしょうが、それも『人間だもの』しょうがねーわね、そしてそれが何かしら次の段階に行くきっかけでもあるのかもしれません。
娘画伯がNewな絵を描いてくれましたよ。
タイトルは『エゴちゃんとママ』
エゴちゃんが女子になってるわ??
楽しげだけどまだエゴちゃんをグイグイ押してる感じもするわ。
今回もちょっとお二人のためにスイーツを。。
すあまと茶よ。
かまぼこじゃないから。伊達巻でもないから。すあまですから。
なぜすあまってそりゃ私の好物だからですよ。
すあまと茶を書いたら、
『ひゃだ!!!すあまよ??エゴちゃん、食べましょうよぉ』
『きゃだホント!疲れた時にいいのよねー』
みたいな女子の会話にも見えてきた。マジック!
☆☆☆☆☆
それからちょっと思ったのは、
散々今ある自分の環境を『受け入れないと』と思ってそうしてきたつもりだったけど、
やっぱりどうもそうではなく、現状に対して不平不満を抱えているのにそうではないふりをして日常の自分は『演技』していたのかな、とも思います。
ま、それほど大層な感じではないんだけど、常に頭のなかで
違うそうじゃない(By 鈴木雅之)
をつぶやきながらいたのかも。。みたいな感覚に襲われた数日間でした。
幼稚園のお迎え時にとあるお母さんと話をしていて、
私が『今日は家で昼寝してたわー』と言ったらその方が、
『えー、大将チャンにもそんな日があるんだー。専業主婦なんかしてらんない!ってなってもう職場復帰したいんじゃないのぉ??』
と言われました。
私は、
『そうか、そんなエネルギーを出していたのか』
と思いました。
『やってらんねぇよ』
という不満エネルギーを醸し出しながら、でも今はそう有るしかない(だってこれこれこういう理由で)、みたいな諦めモードも漂わせて居たのかもしれません。
それは自分の意識が未来と過去を往来しているだけであって、
『今ここの自分』を受け入れてない、ということなのかもしれません。
でも結局、今ここにある自分を否定していたら、運命の輪は回らないんでしょうね。
『受け入れる』と『身の丈を低く設定する』の違いとかもなかなか混同してしまったりして難しいですけどね、自分にとっては。
割りきって楽しむ、自分の素性をもっと恐れずに出していく、みたいなことを自然の流れの中でやっていこうかね。
と思ったら昨日近所の奥さんにお茶会に誘われ、くっちゃべってた中で、
なんとなくそういった自分の『内面』の話になってきたので、ちょこっとひやっとしましたけど私のスピ背景を話したところ、
皆なんだか普通に
『そうなんだー、あー、でもわかるー、大将ちゃんそんな感じだよねー。』
とあっさり。驚いてもいないみたいな。
私はなんだか1人でビビってたけど、なんだ案外そんなものなんだな、と気持が楽になりました。
相変わらず長くなりましたが
皆様秋の三連休お楽しみ下さいませませ。
明日から怒涛の『少年野球』3連チャン、休みなしよ???
よい週末を〜♪
アデュー
大将