まず、目の前の事を一生懸命やる、ってやつよね。
- 2019.02.15 Friday
- 00:17
JUGEMテーマ:癒し・ヒーリング
こんばんは、夏子です。
余りお腹の調子が良くないわぁ。むかむか。
ベッキーちゃんが結婚したとのこと。良かったですよね。でも堂々と幸せです!で良いと思います!ベッキーガンバ!
なんかねぇ、頭が良い人なだけあって、余計な自己防衛が多いような気がするのですよね、彼女。あえて先回って自虐的に自分を装うような感じがあったり。そんな必要はないと私は思うのよベッキー。
さて、
結局は自己管理能力なんだな、って最近すごく思います。仕事が出来る人を見ていると自己管理能力がやっぱり高いですよね。
エクゼクティブになると皆朝晩ワークアウトとか通って、いつ寝てんだよ?とか思うんですけれども、なんつか一番効率の良い時間の使い方を知っていて、パンパンと予定を入れてやりたいこと全部やるようにすっかりプランニングしてるんですよね。
というのはやっぱり「やらされてる感」が無いのだと思います。自分でやりたいと思うことがあって、そのやりたいことをやるにはもちろん雑多なこととか避けて通れないことなんかもあるんだけれども、それを後回しにせずちゃっちゃと片付けてベストな方法で臨む、みたいな感じ。
こういう人っていうのは「忙しくて返事できない」とかもあんまりないんですよ。もちろん会議や出張の途中でライン送ったりはできないかもしれないけれども、必要なことであれば普通にレスポンスが早い。
私は役員秘書なども何度かやりましたが、あっちゃこっちゃやることが変わったり計画倒れになったり、来るべき時間に来るかどうか。。みたいな上司は大体すぐ偉いポジションから降ろされてました。特攻隊みたいな感じで勢いのある人たちではあったけれども、結局そのDisorganizeな感じで自分の首を絞める。それをまとめるのが、君の仕事なんじゃないのか?と私も良く怒られましたけれども、香港行きのチケット持たせて空港に行ったのに、なんで夜中にノルウェーから電話かけてくるんでしょうか?とか。理由は「会いたい人がいた」とかそんな理由なんですけれどもめっちゃ仕事に関係なかったり。
まぁこれはかなり突飛な例ではありますが、
朝ちゃんと起きる、時間を守る、返事をする、体を鍛える、
これらの事は別にやってるといい人とかえらい人とか言うんじゃなくて、自分が何かをやるときに一番ベストな状態に自分を持っていくこと、つまりあくまでも自分の為にやることであって、それができている人っていうのはやっぱりものすごく有能なんだと私は思います。
「目の前のことを一生懸命やる」っていうじゃないですか、スピリチュアルでも。
でもこれもほんとにそうですよね。
間違えやすいのは何でもかんでもこだわってやるとか、自分のハートの声に従うとか小難しく考えてしまうと【一生懸命やる】が一気にクソ面倒なものになったりもするのですが、細かくなれば良いってことじゃなくて、
一番わかりやすい例だと、どんな仕事であれ目の前の仕事を一生懸命精いっぱいやってる人っていうのは結果的に評価されていきますよね。
もちろん自己肯定感が低くて何でもかんでもやりすぎちゃうと、自分が消耗してしまうのですが、
言われたことを期限までに、正確に真面目にやる、っていうことで信頼って得られますよね。
で、その時は頑張ってみたけれどもあんまり意味なかったとか、なんもやってない人と評価は変わらなかったとかいろいろあるかもしれないけれども、
頑張ってやったことってその人の血となり肉となり、筋肉になって、「身」になる。
そしていつか必ずそれを「やっててよかった」と生かせる日がくるのだと思います。
ここで被害者意識が強いと、
なんでこんなことやんなくちゃなんないんだとか、
こんなことをするために私はここにいるんじゃない、もっと違う場所があるはずとか、
こんなこと誰にもできるわけないじゃない、もともと無理難題なんだよねーとか、
そういうこと言って中途半端に放棄すると結果的に何にもならんのですよ。
自分としてはいろんな大義名分や正当な言い訳があるのかもしれないけれども、結果として「やってない」だけだったりします。
「最後まで一生懸命やらなかった」という思いは、
結局罪悪感になって自分を刺すのですよね。最終的に。
最後までやる必要なんてそもそもねーしという意地になったり、
いや、あそこは普通私に頼まないでしょ、みたいな責任を誰かに擦り付けて私は悪くない!という姿勢を保とうとしますけれども、
そういう言い訳をしている時ほど自分がみじめに見える時っていうのはないですし、
誰も心から【そうだよね】と頷いてくれていないのは自分が一番良くわかりますよね。
人生の目的など私もわかりませんし、私の使命も良くわかりません。
でも目の前の仕事とかを精いっぱい可能な限りやっていくと自ずといつかそれぞれの時間や場所などの「点」で頑張ったことが全て繋がっていき、あぁ、あの時のあの経験はここで生かすべくものなのね!と何か大きなピクチャーが見えてくるのではないかと思います。
仕事に限らずですけれども、生きてく上では働かないといけないので、仕事っていうのが一番考えやすい。
どんなにつまらない事でも難しい事でも与えられたことを一生懸命やる、と。
どう考えても無理ならちゃんと主張しないとダメだし、嫌なら嫌としないとダメですけれどもね。
一番立ち悪いのが中途半端に引き受け、中途半端にやり、出来ない理由は他の人のせいで、評価が悪いと上司が無能だとかなんだとかで誰かを見下げようとする人なのよ。でもそういう人いっぱいいるよね。私も若いころはだいたいそんな感じだったわ。。。
まず目の前の事。目の前の人。なのだな、と思う。
自分がない時って未来の見果てぬ夢の事ばっかり考えてるか、過去の事ばっかり考えて悔やんでますよね。今ここって場所に自分が不在。
会ったこともない理想の人を描き、自分の周りの者はクズ同然に感じる、これらも全部目の前を見ようとしていない、目の前にあるものは自分にふさわしくないと感じる、つまり自分の目の前に来るものなんてだらないものなんだ、というこれまた他人を見下しているようでいて、「あたしなんてくだらない」っていう自己否定なんですよね。
ですので、ベタですけれども、目の前のことに集中して、一つ一つの仕事の完成度をあげたり、誠実な態度で取り組んだり、っていう事が、結果的にいい人脈を生みます。
で、この年になるともう仕事の伝手とかは人間関係しかない、っていうほど過去の信頼の蓄積が非常に大事なんだと痛感します。見ず知らずの他人に自分をSalesするにはもう年齢でも跳ねられるし、どんな人なのか?というのがわかりやすくないと雇ってもらえない。でもここで誰かが、「あ、あの人すごく真面目な人だよ」と自分を知っていてくれたら、つながるわけですよね次に。自営の人たちなどはずっとこういうことをしていたんだなぁ、と遅いけど今更になって理解する。
身をそがず、かといって出し惜しまず、そして不貞腐れず、どんなことでも一生懸命やってみるとなんか進んでいく気がしました。
そうやって取り組んでいる先に、新しい話って出てくるんですよね、不思議と。
息子、義理チョコ一つもらって非常に喜んでいました。義理でも友でもやっぱりうれしいのね。誰か本命チョコくれるかもしれない期待があったのか、夕方5時ごろに
「誰もうちに届けに来なかった。。か。。ま、そりゃそうだよな」とヒヒヒと笑っていました。
なにそれ、せつねぇ。う、、、息子頑張れ!!!!!お母さんと妹から貰えた、ってことだけでも幸せのはずだぜ!来年はもっとあピれよ!!
また書くわ。お腹がゴロゴロするわ。。。
ではね!
夏子
人生さくさく生きないとね。
うん。急げ!というよりは無駄にしたくないよね、時間を。
コメントサンキュー!!