嫌いな人の中に見る、自分の“法律”

  • 2018.11.01 Thursday
  • 14:52

JUGEMテーマ:癒し・ヒーリング

 

こんちは、夏子です。

 

朝からべったり机で仕事して疲れたわ。でも外に出ると余計なもん買っちゃいそうだから部屋でアイドリングしてます。

時間経つのはえー。

 

嫌いな人とは自分の鏡、ミラーの法則などと申しますよね。

 

心理学的にはいろんな説明があるでしょうし、またスピでもあるのですが、感情というものがある人間である以上、なかなかそれでは解せん!t思うのが普通。

 

え?じゃぁ、なんですか?あの人と同じ要素が自分にもあると?とイラっとしますよね。

イヤイヤそれはない、だって私はおんなじこと他の人に絶対しないもの!とか、

じゃぁ嫌い嫌いも好きの内、ってことで“大好き”と唱えてれば相手を許せて楽になるのか?などなど、

 

情報を聞きかじって考えたり実践したりしても私もあんまり腑に落ちないところが多く、いまだにスッキリ解せてるわけでもないです。

 

しかし、一日中ついて回る“あの人への恨み”ってのは無いに越したことないですよね。

 

人を恨むのは疲れる。だからこそ相手を許そう、すなわち相手を恨んでいる自分を許そう、と思っても「でもさぁ。。」とケチ付けたくなるのは世の常。

 

私的に「相手は自分の鏡」を自分の言葉で置き換えてみようかと思うわ。

他の人の焼きまわしだけれども、何となく落とし込みたいのよ。

 

親に対して“言いたいけれども言いたかったとか”“わかって貰いたかったけれどもわかってもらえなかった”思いが昇華されていない場合に、親のシャドーみたいな人が現れて、これでもか、これでもか、と自分の感情に向き合うまで手を変え品を変え似たような人が登場してくることはよくありますよね。でもこれはその根源となった親への気持ちを吐き出して自分自身を取り戻すことによって、向き合うことによって割と平気に対応できるようになってきます。時間はかかりますが、親からの呪詛が解けると同時に、シャドーちゃんはその存在を見せなくなってきます。

 

親には従わないと愛されない=自分の死 という自分の中の戒律がほどけたからですよね。

なんだ、その常識別にノーマルじゃないんだ。とか。もっと適当に失敗しながらも元気にやってる人いるんだなってことがわかると薄れてきます。その戒律に自分が封じ込められていたからこそ、の苦しみだったのかーがわかると解脱してきますよね。

 

確かにそれも自分の鏡っちゃ鏡。“絶対こうしなきゃ自分を守れない”と怯えているものに対して、

 

“はいそうです!それをまざまざと見せてあげましょー!”とそっくりそのままミラーで見ているいう状態。

 

後は嫉妬っていうバージョンもあるわよね。

 

自分は水も飲まないで仕事してんのに、加湿器の水取り替えますとか言って20分返ってこないんですけどあの女?とかありますよね。

 

それは、ほんとは自分ももっと楽に仕事したい、何をやっても許して認めて欲しい、という心があるけれども、そんなのダメよ、ダメダメ、絶対だめ、掟破りをするやつなんざ、成敗されちまうのよ!という自分に対する戒めを、

 

緩い人に反映させて実行させ、そいつがいつ陥落するかを見届けることによって、やっぱり掟破りはいかんのよ、としたいんだけれどもなかなかどうして相手は陥落しないどころかむしろもてはやされちゃったりして、

 

え?なんで?といういら立ちが募り、その人が嫌いになるという。回りくどいけれどもこれもやっぱミラーよね。自分の心のミラー。ほんとは自分が掟を必死で守ってることが自分にとって正しいとは魂レベルでは思ってない、でも私は間違ってない!(んじゃないか?)を確認したい心のミラー。

 

自分にないものを持ってる人を嫌う、という。でもこれは自分と同レベルと思ってる人に対してやるもので、突き抜けちゃってる人には嫉妬は湧かないですよね。一生懸命馬鹿にしたいんだけれども、できない苛立ち。

 

もう一つは、なんでこの人こんな態度取るんだろう、あー、こいつほんっとムカつく!という説明つかない苛立ちを覚える人もいますよね。それは思うに、

 

その人がそれをやってる理由が自分もわかるから

 

なのかな、と思う。

 

例えば、自己否定感があると自分を常に優位にもって来ようとしてしまいます。俺が一番!みたいな。

あっさりとそう、あんたが一番!とやってくれる人はもう下に見ちゃってハイハイどーも、とやれるんだけれども(でも大体の場合相手の方が達観していて、ハイハイわかったよ、と見過ごしてくれてる場合が多い)

 

この人こんなこと表面的には言ってるけれども、実はこういう風に思っていて、こんなこと考えてあいつ馬鹿だなとか私の事思ってんだな、みたいなことがわかっちゃうバージョンです。

 

これもミラーよね。実に。相手の思惑がわかる、ってことは自分も同じことを他人にやってるということなのね。

まんま自分、っていう。

 

でもその包み隠している私の秘密をあからさまにしかも自分に仕向けてくる人が怖いし嫌いで排除したくなる。

だからいかに相手が自分を見下げようと必死で、馬鹿にできるアイテムを探してて、でも不安で、怖くて、しかしこれだ!ってのがあれば鬼の首取ったみたいにへっへーんってなるのがわかるからなのよ。

 

自分も相手を見下げたいけれども、相手も自分を見下げているのがわかるからこその嫌さ。これは、自分は馬鹿にされているから絶対目にもの見せてやる、という悲しみを背負って頑張ってきた私みたいな女にある現象だと思うわ。

 

そして、何よりも、自分とその人がそっくり、ということを認められない、ということよね。自分はそんな道化ではない、と思いたいのよ。

 

 

 

だからやっぱり見ているものは自分で、自分の中の “法律” に抵触してくるものが憎い反面、また、自分の法律と同調してくれる人がいると認められた、と思いつつもその法律を持つことが本当は辛いとなると何度も何度もあなたは守れてない、守れてないじゃない!と叱責されているようでやっぱり嫌いなのね

 

だからこだわってるのは常にマイルールなんだと思う。

 

でもその法律はいろんな感情が折り重なって自分で作ってしまったルールで、世の正義でもなんでもない場合が多い。

しかもそのルールで自分を縛っている。世間の常識に対して反発しているのは、自分自身がザ・世間であることの証明でもある。

 

これらを崩すのは大変難しいし、やみくもにルール潰しをやることが解決策でもないけれども、

 

ただ単にやられっぱなしで相手が極悪ってわけではない、という視点を持たない限り何度も何度も繰り返し登場人物を変えて目の前に同じエネルギーはやってきちゃうのは避けたいじゃない?もう若くもないし、あたしも。

 

そんなルールを作った私のせいなのねと自分を責めたり、とかじゃぁ相手に感謝できるような自分になればいいのね、サンキュー×1万回とかやっても逆効果なのよ。自滅する。それは自分の感情を押しつぶすだけだものね。

 

しかしその仕組みを頭の片隅で知っておく、そして出てきた感情を自分で認める、嫌だと思ったらそこで戦うのではなくて一歩下がって何が私をそこまでイラつかせるのか?を考えるようにするとかすると、

 

ただ単に嫌い、大っ嫌い!っていう所からは抜け道が出てくる気がするわ。

わかった上でそのままに、“そういうことかもしれない”としておくと、自然にシンクロが起きてなんか変わるのよ、きっと。

 

ほんとに合わないものはエネルギーが交差しなくなって目の前から消えてくらしいじゃん。はっきり断言できるほど私も経験してないけれども。

 

この間、公園で犬の散歩をしていた時、幼稚園ぐらいの女の子がおばあちゃんに、

 

“ばあば、ありがとう、の反対言葉知ってる?”と聞いていたのよ。

 

おばあちゃんの方は、えー何だろう、迷惑なんだけれども、とかそういうこと?と言ったら、

 

“ぶっぶー。答えは“大嫌い”でしたー♪” って言ってたのよ。マジよ。作り話じゃないのよ。

 

だからってなんなん?とはっきり伝わらないと思いますがww

何となく、ほぉ、と思って。

 

愛と憎しみ表裏一体、と同じように、ありがとうと大嫌いはセットなのかもしれないと私も思ったわ。ひゃだポエティック♡

 

いい加減スウェット以外を着るわ。もうこんな時間じゃん。いやーん。

 

ではね!

 

 

夏子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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