命を使う=使命、か。

  • 2018.10.29 Monday
  • 00:27

JUGEMテーマ:癒し・ヒーリング

 

こんばんは、夏子です。

 

そんなんでちょっと落ち込み気味ではありましたが、急にすっきりしてきました。立ち直り早くなったわぁ。

 

どよーんとしながら仕事してたら急に激しく泣きたくなって。うぉーっと。独り言のように、しんどかった、馬鹿にしやがって、誰も助けてくれないじゃないか、みたいなことを口走っていたと思います。

 

そしたらうちのワンコ(オス一才)がどーしたお母さん!とすり寄ってきてぺろぺろ顔を舐め、腕をさすり、両足で顔をパタパタとタッピングして来たのよ。

 

犬ってのは純粋で無垢でなんてかわいいのでしょうね。ペットにはまる人の気持ち、ほんとわかります。ありがとうよ、ワンコ。

 

でもなんかそれでわーっと出たのかもしれません。一晩寝たらちょっと切り替わったのか。

 

押さえつけていたものが出る時、やっぱり私は怒り=悲しみが出ます。そこでガンガン出すと、前向きになるのですよね。

 

“使命”っていうと厳かなイメージがありますし、何かそれが世の為人の為になることじゃないとその価値がないような気がしていましたが、

 

単純に自分の魂に従って生きる、自分の命を自分の為に使って生きる、ということなんだろうと漠然と思いました。

 

それを予言者やヒーラーやチャネラーに聞きがち、なんだけれども、やっぱもうすっかり本人が持ち合わせてるんですよね。

 

ただ、自分でそれがなんだかわからない。わからなくしているのは“社会常識”とか“固定観念”とかそういうもので。

 

みちよさんの部活でも話されていたことですが、我々の世代は生きてる途中でふと、この社会常識みたいなものに疑問をもってシフトチェンジしていく青写真をもって生まれている、と。切り替わる時期は様々だけれども。

 

でも、親の世代はギリでもうたぶん変わらない。押しなべて皆さんもう変えない、気づかない、という青写真をもって生まれている。そしてそれはある意味その人たちの選択でもあり、そうあってこそ進化の一端を担うお役目でもあるのでしょう。

 

私もお客さんに“自分の好きがわからない”というご相談は多く受けます。そして大体の方が苦しんでいるのは、その人の特性と真逆の事、もしくは軌道が反れていることを必死で頑張り、居心地がよくないのに頑張って馴染もうとしてでも無理で、あぁ、こんな私は社会不適合なんじゃないかと、親の期待に沿えない自分は親不孝なんじゃないかと、そう思ってらっしゃるのですよね。

 

他人を見ていると明白なんです。全然あってないことを頑張って、できない自分を責めていることが。でもその矛盾が自分ではわかんないんですよね。

 

例えば、明らかに突出したギャグセンスとか個性があるのに、粛々と60まで勤められる職場でいやがらせに遭いながら毎日テンキー打って計算しています、とか。

 

ギャグセンスとか個性で食ってけないじゃないですか、と。

 

もちろんそうかもしれません。でも、

 

その人の個性を周りを気にせず突出させてしまえば、同じ仕事をしているにしても人間関係が楽になったり、趣味でお笑いコンビでも組めるかもしれない。そしたら、ものすごく楽しいと思うんですよね。楽しければそれが使命、なんだと思います。そんで、楽しければそれが社会的にどうだとか、世の中を救ってるかなんて気にならないと思います。

 

だから何か、その「常識」であるとか、親に言われた期待であるとか、これをやっちゃうと皆から白い目で見られるとか、

 

そういう恐れがその人のもともとの魂を曇らせてしまっているのだと思います。

 

それはやはり“普通が一番賢くて一番正しい”と教え込まれていた私たちのジェネレーション故のクセでもあると思います。

 

そして、突出したものや自由に生きている者をボコる世の中も実際に今まであったじゃないですか。目立ったらハブられる、自分の言いたいことを言ったら無視される、などなど。しかしそれは同じ恐れを抱くもの達が、“一人だけ一抜けすんじゃねーよ”とお互いを監視しながら、自分の魂を殺しながら、でもこれが常識だから、とやってきた前の世代の負荷なのだと思います。

 

でも、私たち以下の世代の人は“いや、ちょっとおかしくね?”っていうことに気づいてしまう。そしてこれから私たちの子供は我々が考えられないようなまた新たな縛りを経験するでしょう。SNSとかネット文化での様々な人間模様、ああいうのを見ても今の子供たち大変だなって思います。

 

突き抜けてしまっていいんでしょうね。

 

周りと同調しなくちゃとか、噂話の種にならないように、とかしっかりした仕事とかいい学校とか、

 

そういうのほんともういいわ、と思ってしまっていいと思います。

 

私はもうそうやって生きていける、と思ってたんですけれども、まだまだ実は怒りがたくさんあって、

 

これが私だからこれでいいんです!という主張が、

 

やはりまだ相手に対して「わかって!」のニュアンスを多く含み、私は私なんですけど何か?てか、おかしいのお前だから、と相手に喧嘩売ってるのだと思います。

 

やはり他人の気持ちを考える、ということを忘れてはならない。本当の意味で楽しく生きている人はそれが自然にできているのだと思う。

 

こんなサービスしやがってクソが!ではなく、

 

これは好みではないんですが、こういう風にしてもらえると非常に助かるんですが、という風に、

 

これが嫌!嫌い!ムカつく!ではなく、

 

私はこうありたい、こうしたい、こうなるとハッピーである、という方向に物事をとらえると、

 

人間関係で傷つくことは減ると思います。それが嫌なことではなく、心地よい方に気持ちを向けるということなのね。きっと。

 

特に女同士の輪に入ると私もいまだに緊張します。どうしても目を付けられやすいタイプなので。

 

変な人と思われないように、ハブられないように、と必死でやっているわけですが、そうやってるとどんどん魂が死んでいくのがわかります。

 

恐れがあるのですよね。昔、ありのままでいたら“平均”が良しとされていた監視カメラだらけの世界で煙たがられた。

 

苦しかったですよね、子供の頃。一人で弁当食う方がよっぽど楽なのに、嫌な奴とでもいっしょに席を近づけて食わないと友達がいない暗い子だと思われる、とか。でもほんとにサバイバルだった、いろいろと。

 

そしてまだまだ今でもそういう場面は山ほどあります。でも、

 

感情とおそれ。いつもそれが前に進む足を阻み、自分の魂を輝かせることを躊躇させます。

 

恐れの後ろには必ず怒りと悲しみがあって、そこを成仏させてやると、あれ?なんかどうでもいい事だなーと思えることがほとんど。

 

そしてそれがホントの意味で“強くなった”ということ、軸が形成されたということなんだと思います。

 

そうなると、そんな自分のエネルギーと同調してくれる人が集まってきて、居場所ができる。すごく安心しますよね。そうなりたいもんです。

 

そして魂に従って生きて行けるようになると、おのずと生活が整い、部屋が片付き、適正体重になり、健康になるんだろう、と思います。

 

そうなれない時っていうのはやはり何か身を犠牲にして何かに合わせて生きようとし、それができなくて自分を責めている。ですので、だらしないとか根性がないとか誘惑に負ける弱い自分とか思っちゃうと踏んだり蹴ったりでもう立ち直れないさ。

 

そんなことを思ってたら、昨日シリーズで“できれば会話したくない人”っていう人にオンパレードで会いまして。全員総出演みたいな感じ。面白い。試されてんな、と思った。

 

何を試されてるのか、と言ったらその人に会った時の“感情”を味わえ、って感じ。ヒヤヒヤしたのか、どよーんとなったのか。何をこの人に責められていると感じたのか、この人の中の何が自分の気に障っているのか。みたいなのを客観的に感じられたわ。

 

しかしここでも感じたのは、相手には自分と同じ要素があって、何か共鳴しているということ。私が恐れている最ものエッセンスを持ってる人や、自分があぁなりたくはないと思っているエッセンスを持ってる人、あとは自分を絶対に受け入れない人だろうな、と思わせる何かを持っている人、などなど、

 

このわだかまりを解くカギはやはり自分自身にある、と思う。嫌いな人っていうのはやはり気づきを与えてくれる人ですね。嫌いなのに好きになろうとする努力をしてるってことじゃないのよ。嫌いっぱなしでいいんだけれども、でもその人を嫌ってる自分を許し、また嫌いだけれどもその人はその人として自分とは別の人生を持つユニークな個人であることをつまり深いところで許す、という感じかな。で、そこまでなるともはやいい友人かまたは全く交わることのない赤の他人として付き合えると思います。

 

人間だから人間との関わり合いで気づくことしか私はできないと思う派ですね。

 

まぁ、そんなんで。無駄に長い文章になりましたけれども、そんな感じっす。

 

楽しく自分の命を使って輝きたい。それだけですね。うん。

 

 

ではねーん。

 

 

夏子

 

 

 

 

 

 

コメント
夏子さん、こんにちは。
朝晩めっきり寒くなりましたね。
今日のブログも「うん、うん」うなづきながら読ませていただきました。

私もずっと生きづらさを抱えて生きてきました、
最近になってやっと他人と関わって摩擦を起こしたり、悩まさせられたりすることが固定観念や思い込みを崩すことに繋がると思えるようになりました。
いろんな人と関わって自分の反応みるのが面白く、刺激を受けて変化することがイヤではなくなってきています。もちろん、合わないなと思う人もいますが、それもその人でしか表現できない個性だなと少し遠くから眺めています。

また矛盾してるかもしれないんですが、自分の好きな事もより鮮明になってきた気がします。
絶対描けないだろうと思っていた絵画を春から習っています。何にも役に立たないし、自己満足だけだけど、描いたものみて嬉しくなってます。
また、習ってみたい楽器があって密かに始める機会を伺っています。
いかに自分が楽しくいられるか、楽しめるかが本当に大切だなと思う今日この頃です。
  • miyano
  • 2018/10/29 10:13 AM
miyanoさん、こんばんはー!いつも読んでくださってありがとうございます(^▽^)/

紐がほどけて行く過程でいろんなことがシリーズで見せられますよね。それがいわゆるシンクロなんだろうって私も思います。ちょっと客観的な視点も入りつつ、感情にもアクセスしつつしながら人付き合いができると人っておもろいって思えます。そんで面白くなってくると怖くなくなってくる、不思議ですが私も体験中です。

私も絵を描くっていいなって思ってきてるんです。ただただ思い浮かんだことを描くって楽しい。我々は教本と手本を片手に世代ですが、あぁ、芸術家ってこんなふうに楽しんでたんだろうな、って思います。

何かになろうとしなくても楽しい事っていっぱいあるじゃんって感じます、いかに楽しくいられるか、ほんと肝はそこですよね。

コメントありがとうございます、楽しんでいきましょーねー♪
  • 夏子
  • 2018/10/29 10:32 PM
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