完全を目指すとは。

  • 2018.07.23 Monday
  • 00:26

JUGEMテーマ:癒し・ヒーリング

 

あぁ、つっかれました。。この超炎天下の中で息子練習試合。

 

この暑さの中で運動するやつ馬鹿だと思うぜ、と捨て台詞をはいて出て行きましたが、お母さんもちょっとそう思った。が、何とか休み休みよく頑張った、負けたけど。

 

最近みちよさんや友人のブログや身の回りで起こる出来事で気づかされてることがあるんですけれども、

 

いつから自分は“完全無欠”を目指すようになったのだろうか、と。

 

基本的には負けず嫌いでおっさん成分も多いので血の気が多いのはデフォルトとしてあるんですけれども、

 

そこまで勝ち負けにこだわるほど親からもプレッシャーがあったわけでもない、不利な立場でいたわけでもない、そして随分と自分の皮はむいてきたつもりだったんですが、

 

今でもどこかで“非の打ち所がない自分”っていうのを目指しているんだな、って思いました。

 

いや、非の打ちどころばっかりなんですよ、ほんとは。自覚してます。でも非の打ちどころがある自分が許せないわけです。

 

今のままのあなたで完全だ、と言われてもどうしてもそう思えない。

 

なぜなんでしょうね。気づいていないけれどもそこまでのプレッシャーがほんとはあったのかなぁ。

 

しかしふっと回りを見回して、自分がこの人好きだな、って思える人って、

 

別に完全無欠のスーパーヒーローじゃないんですよね。弱いところとか変なところとかいろいろあるけれども、

 

結局はその人の温かさとか表情とか優しさを見て私はその人を評価していると思います。

 

例えば私が100の資格を取ろうが、人ができない何かが特別できようが、顔が剛力彩芽になろうが、

 

それが私が“愛される”ことにはつながらないじゃん、ってあったりまえの事なんですけれどもポロっと先日思いました。

 

自分自身を認めていない、許せていない状態ってのが一番不具合を生んでしまって自分の進化を妨げますね。

 

私はこんなものじゃない、という特別意識も

私は何もできないこんなかわいそうな自分である、という被害者意識も

 

今のありのままの自分の実存を受け入れていないからこそ、

 

相手に対して厳しさやふてくされている態度や、私はかわいそうな人なんです、耐えてます、というアピールで人からアテンションを得て、そしてその必死で愛を乞う姿、とりっぱぐれ分を取り返そうとしている姿が、

 

実は自分から人を遠ざけている。

 

でもそこんところが気付かなくなるんですよね、自分で。 エゴちゃんの作用ってすごいパワー。

 

完全でなければ私は人から“もういらない”と言われ、“ほかの人の方がいいよね”と言われてしまうんじゃないか、という恐れを常に持っています。

 

代替えが効いてしまう人間だ、と常に恐怖を持っていると思います。

 

それは仕事でも恋愛でも友人関係でも同じです。なぜそこまで自分を非の打ちどころのない人間に仕立て上げないと安心できないのだろうか。

 

そして完全無欠を目指しているからこそ、完全でないものに対してものすごい厳しいと思います。

 

そして自分は絶対にそんなつまらぬミスはしない!と常に過緊張でいる反面、

 

自分が失敗したときには、だってでも、と、うだうだと言い訳をし、自分を「見切った」と思った相手に対して辛辣なディスりを送ったり一生懸命見下げようとして、ものすごい無駄な抵抗をやってんなと思います。

 

そして多分このやさぐれた態度こそが、私ではなく誰かほかの人の方がいいな、と人に思わせる最もたる理由なんでしょうね。

 

皮肉なもんです。

 

一番自分が恐れているものの種を自分でまいて育て、また収穫しているのですね。

 

 

私が最近ソフトボールやってるのは思考と感覚のバランスをとることと体力強化の意味もあるんですけれども、

 

どうもこの辺をちゃんと受け止めろよってことだったのかなと今思います。

 

例えばピッチングするにしても、自分で自己流に投げて誰にも指摘を受けないとなかなかうまくなんないんですよ。

 

反復しながら研究したり、うまい人から教わったり、後は実際に試合に出て、本番と練習の空気の違いの中でどれだけ練習してきたものが出せるかどうか、ってはほんとに実際にマウンドに立たないとわからない。

 

スポーツは勝負ですから結果がすべてで、マウンドがおかしかったからとか暑かったからとか相手が悪かったとかいろいろ言えますけれども、それはもう言い訳でしかないことは誰でもわかるので、

 

いつもマウンドで突き付けられるのは、

 

夏子よ、上手になりたいか?ソフトボール好き?

 

っていう問いかけだけなんですよね。

 

ソフトボールに関しては“好き”と言えますね。

 

“達成”というあの成功した時の瞬間を味わいたいし、うまくなってく過程が凄くドキドキワクワクします。

 

自分のために自分が喜ぶためにやることって人はちゃんと計画立てて目標作ってどんどんやるんですよね、回りが何と言おうと。

 

下手ならば“どこがおかしいんでしょうか?”と素直にソフトボールに関しては聞けますし、ミスしたら凹みますが次は絶対取ってやろうと思えます、そして自分のミスを誰かのせいにはしてないですね、ストライク入らないのは自分の実力以外の何物でもないですし。

 

好きこそものの上手なれ、とはそういうことなのよね。好きじゃないとそこまで自分の弱さをあえて見て、開いて、落ち込んで、でもそこから這い上がって。。。っていうプロセス耐えられないですよね。

 

人から言われて、そんなに興味ないけれども渋々やってることって、

 

“いや特にやりたくなかったし”っていう土台の上ではこんな努力できないですよ。バカバカしくって。だから失敗しても人のせいなんです。

 

でも人に言われたこと、世の中で良しとされていることを、を片っ端から完全制覇して、そしてそれを成し遂げればいつか愛される、と思っていた自分の闇ってどっからきてたんだろう?ってマジ思います。

 

何を目指しているんでしょうか、誰からも求められてないのに。もはや親ですらそんなこと考えてもいないと思います。

 

根っこは親だったのでしょうけれども、そこから派生して経験してきた上記のような“自分の恐れの種を自分でまき、収穫する”みたいなことの繰り返して増幅していったのでしょう。

 

不完全で完全な私を許そう、と思いました。

 

やりたいことは勝手にやるんですよ、たぶん。

 

出来ないことを指摘されて不貞腐れることはそこまでやりたくないのかもしれません。

 

しかし、不貞腐れながらもひやひやしながらもまだやってる自分もOKでいいと思います。

 

そしてやりたい!と思ったら自分にチャレンジを許してやらんとな、と思います。

 

一番初めにみちよさんに会ったときに言われたのは、

 

“超ーーー完璧主義ですね”でしたね、そういえば。あれから7年。まだひっぱってまーす♪

 

でもそれももう許しちゃいましょうね。

 

怒りマックスの時に“自分を許してあげて”というスピの言葉は

 

あ“”?

 

っていうほど意味わかんない、入ってこない言葉ですけれども、

 

自分が受けている厳しさは自分への厳しさ、

自分が受けている蔑みは自分への蔑み、

 

360度どこまでも自分である、ということなんですが、

 

なっかなかわからないもんだなぁ、と思うし、

 

それを理解するまでの一歩一歩の進化で落ち込んだり喜んだりすることが、

 

どうも“進化”ってことらしいわ??

 

眠くて文章がうまく終わらないけれどもそんなことを思う、途方に暮れる夜だったわ・け・(モー姉さんふう)

 

そんなわけであすからまた夏休みよ。しょぼーん。

 

 

がんばりまっす。

 

 

ではまた書くわー♪

 

 

 

夏子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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