救い=自分の正当化、が危うい。
- 2018.07.16 Monday
- 23:26
JUGEMテーマ:癒し・ヒーリング
また結構日が開いてしまいました、夏子です。
暑い。死ぬほど暑い。そしてその炎天下の下、試合してきましたソフトボールの。限界の二つ先向こう側に行った気がします。
寒いよりは私は夏子なだけに好きなんですが、それにしても何リットル水のんだかわかりません。。
オウム真理教の死刑執行が行われたり、といろんなことがありましたね。微妙な判断ではあったと思います。その存在がいなくなったら、また何かの神格化が始まってしまうかもしれない、でもこのままだと終結もしない、というようなことなのかな、と個人的に思いました。
しかし、例えば普通の人間関係であっても、なんでそんな人にいつまでもしがみついてるの?とか、
なんでその人の言うことには反論ができないの?とかいろいろありますけれども、
なんでそんな教義をいつまでも持って生きてるの?とか
はたから見たらすっかり壊れ切っているものであっても、人は離れられないことがありますよね。
それはそこに「救い」があるからで、そこに居れば自分の気持ちがわかってもらえる、自分の正当性を立証してもらえると思うからなんでしょう。
だから救われてんですよね。それが例えカルトであっても、DV男でも。一緒に居たい理由がある。
それはその洗脳する側も「わかってほしい」の塊だから引き合うのだと感じます。
そしてそのわかってほしい同士が結び付いた時にぶわーっと共鳴の輪が広がるんでしょうね、そしてそれが“居場所”となる。
ここならわかってもらえる、この人なら自分を理解してくれる、という桃源郷の中にいて、
自分を右に動かしたり左に動かしたりするにも指示通りに動けば絶対に幸せになれる、となったら、
楽、ですよね。やっぱり間違ってなかったんだーという安堵と孤独からの解放があるのでしょう。
真面目で勤勉な人たち、また頑張ればそこそこパフォーマンスを出せる素地があればあるほど、
でも【これが当たり前】とか【こうしないとだめ】というものを押し付けられるとある程度叶えちゃうんですよ、自力で。
90点は取れる、みたいな。でも9割以上のところに行くには、
情熱がないとダメなんですよね。
情熱ってのは単純にそれが好き、ってやつです。そう、いつものあれです。
でもトップを目指せ!を押し付けられていた人にとって、9割取れててもあんま意味ない。100じゃないとさ。
そこで100を獲得できない理由は何か?って言ったら、
腹の底ではガンガン自分を責めて、自分が馬鹿だクズだからと心では思ってるんですけれども、
それでも食いしばって9割という高得点を取ってきた自分はもういっぱいいっぱい頑張ってきたのに何でそれを理解してくれないのよ!わかってよ!!という感情も同時に発動して、
自分が100を取れない理由は○○だから、のように自分の今の状況を最も理路整然とがっちり説明しきってくれる何かがあったら、それを「これだ!」と思ってしまうんだと思います。
やっぱり私は間違ってなかったんだ!だってこういう考えがあるじゃん!これじゃん!と。
何も間違ってはいないんですよ。ただ、普通の人間として苦悩も喜びも持ち合わせて、失敗しないと成功しない凡人でもあり、また成功の鍵は喜びである一人の人間であるだけなんですけれども、
失敗した自分=価値のない自分
と思いこまされていてそこにこだわってるからこそ、
私の何がいけないの?
に食いついちゃうんだと思います。
私は間違ってない、そんなことない、そんなことない。。と暴走しているエゴの受け入れ先があると人ははまっちゃうのだと思います。
でもそれはやっぱり自分の弱さ、というか苦しさに向き合わずに救済を求めているだけなので、結果的に解決には至らないと思いますし、
そのあたりの心理をうまーく利用している詐欺をよく見かけますが、ほんっとに良くできている。
それ言われたらイチコロでしょう、っていうポイントを押さえまくり。
捉われていない人にとっては “んなわけねーじゃん” なんだけれども、
それがある一定人にはばちっとはまる、ということを「知っている」人もたくさんいます、その辺スピリチュアルは危ういですよね。私も何度も引っかかってますし。実体験です。
しかし、そんなものに引っかかってばかみたい!と罵る声の理由もわかりますが、
でも引っかかってしまう人もぎりぎりの選択の中でなんとか生き残ろうとしてやってることでもあり、
誰かにわかってほしいがために何になりたい、何が欲しい、こうであったら。。と手元を見れずにあがいている人はたくさんいるじゃないですか、それのちょっと度が超えた版なだけだとも思います。
コントロールの下で怯え切って生き抜いてきた人が自分を救おうとして何かにはまってしまったときに、
それはおかしい、あなたは間違ってる、と責めても、
やっと見つけた自分なりの今の時点の答え、に対して批判が来たら、逆走しますよね、回りはやっぱりわかってくれない、わかってくれるのはここだけだ!!!と。
オウムはなにかそういうものの凝縮みたいな団体だったんだろうな、と思います。時代背景を考えても。
本当はビビっている自分、自分は無力だと思っている自分、自分は弱いと知っている部分、他人の承認なしでは立ってられない自分、自分が最高だと振るまって見せていたけれども実はそうは思われていなかった自分、間違ってた自分、失敗した自分を見とめるのは
頑張って常時9割以上を目指していた人にとってそれを認めるのはほんとにつらいっすよ。
今までの人生が無駄になるような気がして。
だからほーらやっぱりあなたは素晴らしい、全問正解!と言ってくれる団体があったら入りたくなっちゃいますよ。
でも、その引き寄せた団体も同じエネルギーなので、
少しでも【失敗】が垣間見れたら厳しく罰します。自分に対する厳しさと同じものが返ってくる。
頭に変な機械をくっつけて修行している姿がありますが、
あれってすごい象徴的で、あのぐらいの追い込まれ方をそれまでの人生でやっていたんじゃないかと思います。
あのレベル。あのレベルで何かを叩きこまれてきたなんてさぞかし辛かったんだろうな入信するまでの人生が、と思います。
スピリチュアルのあるがまま教も同じようなところがありますが、
あなたは間違っていない、正当である、と自分を信じ込ませることはある意味救いでもあり、飛ばせないステップでもありますが、
スピリチュアルの求めているのは今、ここの自分であり、
それは自分が思っていたよりも、
ダメでもどうしようもなくもない、まったく否定する要素などない人間でることへの気づきと同時に、
プライド、というもので塗り固めた張りぼての自信と共に、努力を怠り、人を責め、自分の回りが見えてもおらず、井の中の蛙であった自分への気づきでもあり、
心救われる、というよりは、それこそサレンダー、降伏みたいなものなんですよね。
±ゼロという。そんでこっから、さて、何しようか?みたいな。
しかし、( ゚д゚)ぽかーん状態から湧いてくる思いだけに身を任せて動くと、
過去の努力が生きてくる、という不思議。あー、あたしそれ得意っす、昔死ぬほど覚えさせられたんで、みたいな。
ちょっとそういう進化の陰りが見えつつ、でもまだ今でも【違う、そうじゃない】と戦ってる私がおります。
でもこの戦ってる自分の心理を、
【あなたはまるで間違ってない!】と言ってくれる人やら団体やらがあったら、
スポッと入っちゃうかもしんないな、と思います。だからいつでも紙一重だよね、マジで。
そして自分の正当化のためにフォロワーを作ろうとしないように気を引き締めて行かないと自分自身がカルトっぽくなることもあるだろう、自分をウォッチし続けないとあかんな、とも思います。
そんなことを考えてる昨今よ。
あせだらだらです。あちー。
また時間があったら更新しまーす。
夏子
オウムの実行犯の元幹部が、当時の自分を「自分に向き合わず、逃げていた」と話していたとテレビで観て、同じように自分の中にもその感覚あるなぁと思いました。
何かにすがって救われたと一時的に思っても、結局自分に向き合わなければ、苦しいところに戻ってくるだけで
特別じゃない、コンプレックスも欠点もある、でもそんなに全否定するほどサイテーでもないんじゃない?って、自分をそのまま受け入れたら、何か手に入れないとダメっていう呪縛から解放されるのかなぁと、うっすら分かってきたこの頃です。
夏休み始まりますねー(*_*)夏苦手の超インドア派なので、子どもからの暇ひま攻撃に、今から戦々恐々としてます〜(笑)
なんでも信じてしまう人も、疑ってばかりの人も結局自己の不在。。なんだなと感じます。
ダメな自分だったとしても、せめて自分だけは味方になってあげないと、って事なんでしょうね。完璧になったところで今の倍以上、誰かから愛されるのか?ってもたぶんそれも違うんだろうなーって思いますよね。
夏休みですよぉ、奥さん_| ̄|○。。。もう明日でうちの学校給食終わりらしいっす。とほほー。終わったらもう秋ですもんんね( ;∀;) えーん、夏を楽しみましょうねぇ!!!