個性炸裂。

  • 2018.04.19 Thursday
  • 00:12

JUGEMテーマ:癒し・ヒーリング

 

またしてもちょっとお久しぶりんこ、夏子です。

 

 

 

パソコンに向かうも寝落ちしちゃってねぇ。(*´Д`)。。眠い。

 

 

しかし本日はソフトボールの練習試合の予定だったんですが、雨で中止になり、昼寝でもすっぺと思ってたんですけれども、

 

 

 

 

体動かしたくなりましてね。泳いできました。自分でも思いますよ、どんだけ?ってか。

 

 

 

しかし、何度も書いてますけれども私は結構水と相性がいいらしく、

 

 

 

サウナ、プールとか行くとスカッと何か降りてきます。別に神のメッセージでも何でもないけれども頭の中が整理できるような感じでしょうか。

 

 

 

マリリン・マンソンがYoshikiとコラボるというやほーニュースを見て、へぇって思って。Yoshikiと気が合うだろうな、マリリンと思いました。

 

 

 

英語でいうところのSpookyそのもの、特にメカニカル・アニマルズの時のジャケ写は夢にも出そうなおとろしさでしたけれども、

 

 

 

 

 

でもこの人もアメリカの田舎町のクリスチャン家族で育てられて、そこで経験した「神」という名のもとの虐待的な世界とそれに抑圧された人の狂った感じを経験し、

 

 

 

結果としてあんな感じの自己表現をしだした人だと思うんですけれども、でもマリリン・マンソンってやってること相当やばいとは思うけれども、ピュアなものを感じるんですよねぇ。

 

 

 

「俺が表現したいのは恐怖」と言ってるだけあって、キラキラHollyな世界の裏側で何を人が恐れ、その恐ろしさを見ないように見ないように生きてるかもしれないけれども、ほら、これだろ??みたいなのを自分の体を使って表現している気がします。えぐいっすよ。えぐいんですけれども、妙にピュアなものを感じる、という不思議なマリリン。

 

 

 

そして知らなかったんですけれども、アメリカのドラマに素顔で出てるそうなんですよね。白人至上主義の団体のリーダーの役で、ドラマの中では囚人役みたいですけれども、しかし、すごい年齢を重ねた素顔のマリリンを動画で見て、その演技も見て、

 

 

 

実はすごく普通の感覚を持ってるからこそのあのパフォーマンスなんだろな、とも思いました。じゃなくてほんとの快楽とかだけであのパフォーマンスやってるのだったらファンがつかないと思うんですよね。表現、という指針がないままあんなライブとかやってたら普通に変態でドン引きっすよね。

 

 

 

いろいろ経験してきたものを、自分なりの解釈で哲学を持って表現しているような。その辺はYoshikiと被ります。大変な人生を潜り抜けてきた人たちなんだろうと思います。

 

 

 

しかしマリリン、先金は普通に太っておっさんになってるのがちょっと寂しいようなかわいいような。

 

 

 

 

 

そんで昨日は夜にマツコの知らない世界をやってて、ユーミンの特集やってて。

 

 

 

コンサートに40億ぶっこむとか、48歳でハイレグ水着で水浸しで歌うとかやっぱもうすげぇっすね。

 

 

 

で、そのあとユーミンがテレビに久々出てましたけれども、

 

 

 

かっこいい!!!!

 

 

 

の一言でした。研ぎ澄まされてるっていうか。お年は重ねてますけれども、とにかくかっこよかったです。お化粧も洋服も、表情も、言ってることも。

 

ああいう年の取り方したいなって思いました。もうユーミン以外の何物でもない、って感じ。人間としての厚みとか、ファッションセンスとか、なんか知らんけれどもとにかくユーミンという細胞でできた、それ以外の何物でもない感じ。

 

 

 

 

そんで素顔のマリリン・マンソンもそうですけれども、ユーミンも笑顔がいいですよね。いわゆる「いい顔」ってやつです。やっぱ年齢重ねないとあの笑顔って出ないと思いますよね。

 

 

 

そんなんで水泳しながら思ったんですけれども、

 

 

 

ユーミンもマリリンマンソンも突き抜けてますけれども、それでいいんですよね。

 

 

 

「うけ」ってのを狙っちゃうじゃないですか、普通。

 

 

 

浮かないファッションとか、

 

女性らしい仕草とか、

 

 

出る杭にならない性格とか、

 

 

 

 

そういうのを抑えないと責められる、受け入れてもらえない、ってどうしても思ってしまうし、今までの社会も異色のものに理解がなかった。

 

 

 

でもなんかそういうのをいちいち気にして生きてるのが馬鹿らしくなった、というか。そんなことを前にも私は言ってましたけれども、でもそれでもまだまだ世間体を気にして、自分を抑えて生きているんだな、ってのを痛感します。

 

 

 

線引きがわかんなかったんですよね。これが私のありのままですから!!と言いながら、明らかに「怒ってる」人が回りにはいっぱいいて。

 

 

 

そしてそんな人を見て、「勝手なこと言ってるだけじゃねーか」と怒ってる自分もいたんです。

 

 

 

つまりは、「ありのまま」を吠えてる人は、ありのままじゃダメなんでしょ?っていうのが信念にあって、ありのまま、ありのまま、他人のことなんか気にしちゃだめだよ!と言ってる自分が実は世間を一番気にして、自分を抑えて、その「反抗」として「私らしさ」を吠えてるのであって、

 

 

 

ありのままっちゃぁありのままなんですけれども、でもその主張はまだどこか自分に対する過大評価だったり、回りを自分より下だと思い「たい」思いだったり、自分のことをわかってくれる人にだけ伝わればいいんです、みたいな意地だったりで、いまいちさわやかに「そうなんだ」と思えないものなんですよね。

 

 

 

しかし、マリリンもユーミンも今やそんなことたぁ思ってないんですよね。そんな時代もあったと思うけれども、特にマリリンマンソンだって最初は反抗ばっかしだったんだと思うけれども、でも後ろ側に「だから私を評価して」っていうエネルギーがないんですよ。

 

 

 

ユーミンもマリリンも我が道を行ってるだけで、誰も批判したり、責めたりはしてないんですよね。突き抜けて、いや、これが私なのです、ということで何とも比較していない。

 

 

 

そんで今日5時夢見てたら、江原さんのコーナーで、

 

 

 

40代だけれどもアムラーファッションが好き。それはいけないこと?っていう視聴者の質問があって、

 

 

 

江原さんもまぁ別にいんじゃね?でもちゃんとTPOを守るのは礼儀です、という至極まっとうなお答えだったんですけれども、

 

 

 

でもそういうことだよな、とふと思いまして。

 

 

 

というのは、

 

 

 

例えば「これが私なの。誰が何と言おうとこういう服を私は着るの。それが私のアイデンティティ」とかすごく主張するのはいいんだけれども、

 

 

 

お葬式とか保護者会とか。結婚式とか、何でもいいけれども、

 

 

 

その場所にふさわしい服装があって、それには歴史があったり美学があったり、そして自分とは考えの違う人も集まりつつ、一つの目的を成し遂げようとしている中で、ある程度の規定がある場所というのは存在して、

 

 

 

そこで、「私、私!」を主張して、「だって好きだから」だけを理由にするというのは、やはり社会性の無さ、でもあるわよね、と。

 

 

 

服装に限らず、ですよね。

 

 

 

自己主張はあってもいい、言いたいことはちゃんと言えばいい、でもそこで、だれかをむやみに不快な思いにさせる発言をしたり、だって私はそう思うもの!と吠えることはしなくていいのよ。難しいとこだけれども。

 

 

 

かといってあまりにも回りの空気を読みすぎ、自分の気持ちを抑え、もてるために、好かれるために、悪目立ちしないように、責められないように、と生きていると、

 

 

 

後になって、自由にしてる人を責めたり、一人でやさぐれて、「はいはい、こういう感じの態度でいなきゃいけないんでそ!」とふてくされちゃったりして面倒なことになっちゃうんですよね。

 

 

 

つまり、

 

 

 

もう着たい服着て、言いたいことはきちんと言って、女らしさとかモテとか世間受けとか考えないで、生きよ、と思ったんですよね。

 

 

 

年齢を重ねたことも一つの要因ではあると思います。ってのは、

 

 

 

若いころは人に受け入れられようと思って努力して、性格とか見た目とかいろいろアレンジしてはうまくいかずになんでなんで?と思ってたけれども、

 

 

 

回りの人はそんなところでだまされないし、だまされた人に好まれてもいずれ本性が暴かれて別れたりとかなってきたなと思って。

 

仮初の自分で近づいたくせに、「本当の私のことなんかなにも理解してないくせに」とか相手に逆切れしてね。今考えると私何言ってんの?と思うんだけれども。

 

 

 

 

このまんまの自分では受け入れられない!と思ってしまったからこそ、自分を改造すべくいろいろやってみたけれども、

 

 

 

演技力に磨きをかければかけるほど、自分自身を愛すことから遠ざかり、本当の自分と仮初の自分の間が広がり、そのギャップを他人は見て人は遠ざかり、でも頑張っても全く自分にリターンが来ない社会に対して文句が増えていく、ってだけの現状をもう40年以上やったからそろそろ懲りたわね。

 

 

 

相手に失礼のないように、傷つけるようなことはせず、礼節はわきまえつつ、TPOは理解しつつ、個性炸裂ってことかしらん。

 

よく考えたら当たり前のことなんですけれどもね。

 

 

 

 

個性、というのは相手を傷つけるものではないはずですし、自分を傷つけるものでもないはずなのよね。

 

規格化された無個性を「良品」としていた時代から歪んで捉えられてきてしまったけれども。

 

 

 

 

でもそうやって考えると、

 

 

 

今まで自分の人生の中で、さらっといい人で感じの良い人、深く話さないけれどもいつもナイスな付き合いをしてくれていた人達ってのは実は自分に対して全く興味を持ってくれていない人たちだったんだろうな、って思う。もっと言うと、わたしはその人にとってはどうでもいい人、関わりたくない人だったのかもしれない。

 

 

 

いざこざに発展してしまったり、好きとか嫌いとか魑魅魍魎とした感情を叩きつけるように接した人達っての方が実はハートでコミュニケーションしているんですよね。自分の写し鏡のように教えてくれる、私は私をこう思ってますよ、という。

 

 

 

愛の反対は無関心ですから、そういう意味では嫌いな人、気持ちを汲み取ってくれない人、自分の中でもやもやを作ってくれる人っていうのは、ありがたい存在なのだな、と思います。少なくとも関わってくれて何かを気づかせようとしてくれている相手として、ね。

 

 

 

ま、そんなんで体をやたら鍛えようとしている昨今でそれとともに夜は気絶するように寝ちゃいますけれども、また時間あったらぼやきたいと思います。。。

 

 

 

 

ではね!

 

 

 

 

 

 

夏子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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