なぜ自分自身をわかってやらないとならないのか。

  • 2018.04.04 Wednesday
  • 10:55

JUGEMテーマ:癒し・ヒーリング

 

こんにちは、夏子です。

 

またしてもちょっと日が空き。。いやぁ、忙しかったです。

 

夏の気配がしてきて子供の洋服をさらってみたらみんなつんつるてん。いつの間にやら大きくなってますね。

 

さて、

 

うちにワンコ(オス5か月)が来てからしばし経過しましたが、ワンコと家族の関係性を見ていると大変面白い。

 

犬はヒエラルキーを作って、主従関係を形成するのは皆さんもご存じだと思いますが、うちのワンコも明らかにヒエラルキーを作っています。

 

まず夫はご主人様なんですね。日中ほとんど家にいない人ですが、この人が家長であるというのがわかってる気がします。

 

なつき方もうーんゴロゴロー♪というよりは、いやーご主人様、今日こんなことありましてね、あ、ちょっとお腹撫でていただいてよろしいっすか?ちなみにお手らしきもの今日できたんすよ、てなわけでジャーキーでもいただけませんかねぇ、みたいな感じ。

 

服従してる感じです。

 

私は、というと、

 

怒らすと面倒な人、でありつつも、そんなこと言ったってぇ。。と甘えるところもあり、ごろにゃんと甘えることもあるけれども、イヤイヤ!もするし、反発もする。でもご飯くれないと困っちゃうからそこまで抵抗できない、みたいな感じでしょうか。

 

息子は親友のような感じで、同レベル、よ!おはよ!散歩連れてってくれよぉ!と近寄るし、一緒になってボール遊びをするし、唸ることもあるけれども、息子は「なんだよ唸るなよぉ」でおしまい。

 

問題は娘ですよ。かんっぜんに舐められてますね。ワンコの中では自分より下なんでしょう、ヒエラルキーが。

抱き方が気に食わないと唸り、モノを取ろうとすると吠え、そうかと思えば思いっきりあそんでー!!とべろべろ舐めまくる。

 

でも娘は、

 

吠えられたりするとちょっと怖いんですね。唸ったりキーっと歯を見せられるとひよってしまう。娘としてはかわいいペットでいて欲しいのですが、ちょっと負け気味なのです。そしてそのちょっと負け気味な雰囲気がまたワンコを助長させ、「こいつには何やってもいいんだわね」みたいな感じに私には見えます。

 

面白い。これって人間関係というか家族の仕組みとよく似ている。

 

ワンコにしたら娘は自分より下、という意識もあるけれども、

 

ある意味一番自然な自分、遠慮のない自分でもあるのですよね。感情のままにぶつけられる相手。そういう意味では娘はワンコにとって気兼ねない相手なのです。

 

人間に置き換えて考えると、

 

人間も結局「自分を理解してくれている。何を言っても許してくれる」と思う人には心を許し、自分の嫌汁もぶつけ、それでも受け入れてもらえると思うからこそ、いろんなことをやるわけです。

 

ワンコがそうなように、娘に意味なく吠えたり、うっぷんをぶつけたり、何も娘はいやがらせなどしていないのに、ちょっと噛むぞ!みたいにやってみたり。

 

そして娘も「怖い」からそれを甘んじて受け付けるわけです。そしてワンコに「お姉ちゃん好き〜」とやってもらいたいから、おっかなびっくり接する。そしてその姿がまたワンコをある意味調子に乗らせる。

 

そういう人間関係皆さんもありませんでしたでしょうか。

 

なんでこいつはこんな無体な要求を自分に向け、自分はしゃぁしゃぁとほかの人にはへこへこしてうまくやってて、自分にはきつい言葉を投げかけてくるのだろうか。とか。

 

でも自分はその人から見捨てられるのがつらい。なんでほかの人にはあんなにナイスなのに自分にはこんなにつらく当たるのか。いつか自分もほかの人達のように扱ってもらいたい、と思うからこそその人から逃れられない。

 

つまり、

 

人というのは、「わかってくれる人」というのに、総流ししてしまうのですよね、自分の全欲求と自分の感情のはけ口を。

 

それはどこか「こいつになら何言っても許してもらえる」という甘えでもあり、また唯一この人は自分から離れないだろう、離れて欲しくないという一方的な願望でもあります。

 

そしてわかってくれる人のことをそうやって頼っていながら、どこかで自分よりも下に見ているので、はたから見ると非常に舐めた態度で失礼なんですよね。私に歯向かえるはずがない、と思って、意識してなくてもかなりひどいことを言っていたりする。

 

そういった人の「お前ならわかってくれるよな?」という態度を流し込まれ続けていた人というのは長い間ひやひやした人生を送ってきています。いつも自分は認められず、馬鹿にされ、でもちょっと優しくされると天にも昇る気持ちを味わったり。

 

しかし「なんでこんな目にばっかり」という怒りの感情は抑えていてもいつか満ち溢れてしまって、あふれ出します。

 

もうこの関係はどう考えても不健全じゃね?と自分に利点がないことに流し込まれていた人が「気づいた」瞬間、

 

わかってくるよね?と流し込んできた相手を完全に拒絶します。

 

そうなると親友であろうと親子だろうと恋人だろうと、もう完全に切れてしまって、しばしの間は後悔してみたりとか悶々としますが、後になって

 

「なんであんな奴の言うこと聞いてやってたんだろう」

 

と我に返るのです。

 

しかし、ストーリーはこれで終わらないのですよ。

 

人のわかってよ!を総流しされて受け取っていた人というのも、

 

どこかで必ず他の誰かに流し込んでいるんです。

 

一生懸命自分の愚痴を聞いてくれている人がいたのに、その人がちょっとでも意見を言うと、

 

「あなたなんか何もわかってくれていない」とそっぽを向いて攻撃してみたり。

 

私は流し込まれる方にもなっていたし、流し込む方にもなっていた自覚があります。

 

いつの間にか自分は何もしていないと思うのに、フェードアウトしてしまった友達や彼氏が私もいますが、

 

その時は、なんでなんで?ひどい!と思っていましたが、

 

今考えると、私の甘えをぶつけ、相手を見下して、こいつなら大丈夫、とたかをくくってたと思います。

 

要求過多になってるんですね。よく考えたら友達でも彼氏でも他人であり、自分の思いを何でもぶつけていい相手でもなければ、同調してくれるのが当たり前の相手でもなかった。

 

相手の環境や感情を顧みず、とりあえず私は私は!!とやっていたんだな、というのがよくわかります。

 

いつも最後には一人残されてしまうと感じている人。いつも自分にはナイスに接してくれている人だと思っていたのに相手がいつの間にかフェードアウトされてしまう人。

 

自分ではうまくやってるつもりなのに、いつの間にか遠巻きにされてしまう人。

 

そこには理由があります。

 

そしてそれは自分でそのような状況を作っている現実もあり、そしてその現実を作ってしまっているのは自分が「人として成ってない」からではなくて、そうならざるを得なかったトラウマがあります。

 

そしてどの場合でも、根っこは、

 

「私の気持ちをどうかわかって!!」という切なる願いが後ろにあり、

 

人はどうしてもそれを他人に「OK、そうだよね!」と認定されることで安心を得ようとします。

 

が、

 

人に聞いてるうちは全然解決しないんですよね。

 

自分で「でしょ?でしょ?私の意見合ってる(よね?)」と完全に認めてないものを他人が認めたところで、完全に納得できるものではない。

 

わかってくれる人がいたとしても、いつまでもいつまでもその人が受け入れ続けてくれるかどうかはわからない、他人には他人の人生と考えがあります。

 

いつまでもいつまでも自分を理解し、捨てず、温かく救ってくれる人を人は求めますが、

 

たとえそういう人らしき人がいたとしても今度はその人に対して「いつまでも私を好きだよね?」と確認し続け、監視し続ける地獄が待っています。

 

自分のことは自分でわかってやるしかないのですよね。

 

私はこういうことで傷つき、こういう人が苦手で、こんなことされたからこんな気持ちになった。ということを自分で受け止めてやって、それでいいんだ、と思えていたら、

 

同調してくれる人がいたら、ありがとう、だし、

 

批判してくる人がいたら、そうなんだ、受け入れられないんだ、でも私はこうなんだよね、と、

 

自分の軸があれば特に怖いこともないんですよ。

 

そしてその自分軸は必ず自分的に、そして世の中的に正しいことかどうかはわかりません。ちょっと昔のスピで、私は私らしくあればそれでいいんだ、他人なんてぶっ飛ばせ!的なものがありましたが、それは違うと思います。

 

私がこう思ってるからこれが私にとって正しい!のかどうかは自分の判断で、相手がどう思ってるかはわかりません。

 

人は社会で生きるしかないので、他人と合わないことだってあるし、自分の主張が他人からみたら大変無体なこともあります。

 

受け入れてもらえないことだってあるし、自分軸!とか言ってるけれども単なる自分の「わかってよ!」を自分の軸と勘違いしていることも多々あります。

 

その場合には、ちゃんと回りを見て、自分の主張を取り下げたり、あえて相手を優先させた方が丸く収まることだってあると思いますし、自分が間違ってるのか、とか世間知らずなのか、と感じたならばそれをちゃんと認めて素直に謝ったりする必要もあります。

 

それが

 

「うまくやる」

 

ということで、

 

へこへこ表面的にいい顔して、恐れる人にはこびへつらい、こいつなら何やってもいいや、って人には舐めた態度で接することが、

 

社会的にうまく生き延びている人、なのではないし、

 

それをやってる限りは、いつかまた「ぽつん」と取り残されてしまう「いつもの」

パターンがやってくるのだと思います。

 

 

書きたいことがいっぱいあるけれども、時間がねーのよ。

 

 

また書くわ???

 

 

夏子

 

 

コメント
自分軸ができてきたと思っていたのですが、母にマウンティングされ子供の私が受け入れてあげてモヤッと会話終了→後になってから「また私を優先してくれなかった!」と心が怒り悲しみ暴れるというパターンをまたやっちまっています(泣)。
「まだいい子でいたいの?」と自問すると、「怖いから。このやりとりを早く終わらせたいから。」と返ってきました。
私にも「お母さん」が欲しいと、いい年して願ってしまいますが、他人に求めてはならないんですよね。実の母がリアルに子供に視える時があり、気持ち悪い今日この頃です。
  • ぶん
  • 2018/04/04 4:13 PM
ぶんさんお久しぶりです!

娘にとってうちのワンコはペットですから、自分の生命を脅かすような存在ではないですが、

それが母親となると子供時代の自分は、母親から威嚇されたりストレスを流し込まれたら、何とかその場を逃げ切るために自分が折れるしかないんですよね。生き延びるために。

そしてそれが一般的には自分を守り慈しんでくれるはずの「親」であるのならば、なぜそうじゃないのだ?と疑問と怒りに震えて当然なんだと思います。

しかし、お母さんのように「絶対に私は悪くなんかない」と心を閉ざし、何を言っても自分が加害者であることを認めない人、というのは、

例えばストーカーに「人を付け狙って追い掛け回してはいけませんよ」と行ったところで理解するどころか、それは「私はその人を愛しているから、つけまわってるのだ」というその人なりの愛だと思い込んでいる場合もあるので、

そういう状態の人に何を言っても無駄でもあるのかもしれません。そのぐらい相手の心も感情という扉が閉じ切って、人の気持ちがわからなくなってしまっているのだと思います。

「お母さん」という人物像の総称に対して自分が受け取りたいと思っているものを、

まず自分で自分に提供してやることから始めていけると、すべてが開いていくのだと思います。

とはいえなかなか難しいですよね。時間かかります。でも、同じパターンを繰り返しながらも、ぶんさんも、もやもやの度に毎回自分を見つめ、冷静に自分を見て、進んでいるんだと思います。パターンを繰り返してる自分を責めないであげてくださいね、そのうちにもうこの状況からは完全に抜けて自分の哲学で生きようと思えると思います。

親子逆転は魂の上ではよくあることですよね。魂は子供でも、現実では大人ですから、

もう親を庇おうとしてあげなくても、理解してやろうとしなくても別にいいんですよ。

とにかく自分を責めないであげてください!

コメントありがとうございました<(_ _)>!!


夏子
  • 夏子
  • 2018/04/04 11:37 PM
夏子さん、この記事刺さりました。

無自覚に流し込んでいたこと、あります。
小さい頃理解してもらえなかったために、誰かに丸ごと認めて欲しかったんですね。

永遠の「わかってちゃん」
自分と全く同じ感じ方の人間なんていなのに。

自分で自分をわかってあげる
自分を許し認めてあげる

これは、自分のためだけでなく
周りの人のためでもあるんですね。

他人の承認を基準にするのではなく
自分軸で生きていくこと。
冷静に自分をも俯瞰して見ること。

これは流し込んでくる人の対処方法でもありますね。
地道にコツコツとやるしかないと思いますが
気づきを与えてもらってよかったです。

いつもありがとうございます。





  • miyano
  • 2018/04/05 7:20 PM
miyanoさん、コメントありがとうございます!

ほんとそうですね。私の感じたことをさっくりまとめてくださった気がします。

昔みちよさんが言っていたことで、

「被害者のままでいるといつの間にか加害者になっているが、自分ではそれに気づけない。それが自分から人を遠ざけているのに、自分はまたさらに被害にあってると思い、ずっと苦しみの中から逃れられない。」

という言葉があります。その当時それを聞いたときはトンチのようにしか聞こえなかったのですが、今になって見るとあぁ、そういうことなんだなと思えます。

流し込まれた時には、あ、これは私が対応してあげる必要のないことだ、と自分を救い、

誰かに自分も流し込んでいるかもしれないと気づいたら、相手に人間として失礼のない行動をしようと思えたら、

被害者にも加害者にもならないで済みますよね。

とはいえ、難しいですね。でもその背景に気づいているか気づいていないかで大きな違いがありますよね。うんうん。

少しづつ見つめて行きたいものですよね。

ありがとうございました!


夏子

  • 夏子
  • 2018/04/05 10:50 PM
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