色んな人から聞く「新しい時代」。
- 2020.05.17 Sunday
- 00:54
JUGEMテーマ:癒し・ヒーリング
こんばんは、夏子です。
ニュースを見ると大体冒頭で「新型コロナ・・」から始まるのでうんざりですわね。うん。
具体的な数値を示せ!と言われていざ示してみたらその数値が結構タイトで、え、じゃぁいつまでたっても無理じゃない?って感じで、余計圧力がかかる、という。
でも、日々感染者ゼロの地域で商店街全部閉めたり、学校行かなかったりの意味ってなに?ってなるのもわかるし、
ホントいろいろ試されてますよね。何を信じるのか。何を軸とするのか。どうしたいのか。
ニュースは不安をあおるだけなんで、今はYouTubeで気に入った人の動画とかを日々見てるんですけれども、
この間ホリエモンと星野リゾートの代表の方が対談している動画があって、面白かったです。
今より一か月くらい前に録画されたものなんですけれども、星野代表がおっしゃってたことが今まさにそのまんま起こってる。先を読んでるんだなーって思いました。冷静に先を読んでるんだなーって思いました。
ウィルスとの闘いなんてこれからももっと短いスパンで出てくるんだから、こんなことしててもしゃーないじゃん!ってホリエモンはいつものトーンなんですけれども、星野さんは、でも人間はどんどんその間に賢くなって、対応策がわかって、ウィルスとの付き合い方がわかってくる、そうやって新しい様々な形、が生まれてくる、それをどうキャッチするかがこれから僕らの仕事、とおっしゃってましたね。
そうですよね。気にするな、とか基本的なことすらできないやつらのせいで、とかじゃないんだと思います。結論としてはそうなんだけれども、そうなれないから、どうしようか、って事なんですよ。
全体のムーブメントなんで少しずつ、全体で進化するしかないんでしょうね。
後は、松久正さんっていう有名な宇宙人がいますけれども、松果体とかの人ですね。私からみても相当いっちゃってると思うくらい地球人離れしていて、あまり理解できないことも多いんだけれども、ま、一つのジャンルとしてたまに動画を見ています。
その松久さんの動画の中で、昭和、平成、令和の進化についてお話されていて、
昭和っていうのはみんなが抑え込んで、耐えて、一色になることで全体をブワッと動かした時代であり、そのおかげで戦後の焼け野原からスカイスクレイパーが立ち並ぶ現代が出来上がったわけです。で、抑え込んでいて、周りも皆そうだから、っていうので耐えきれる人もいればやっぱおかしくね?と思っていた人もいたけど、
そういう人はベルトコンベアーにのって「合格」判定されなかった人で、はい、不良品、廃棄、とされていた、恐ろしい時代でもあったわけですね。
で、平成になって、いや、ちょっと待てよ、やっぱおかしくね?皆が同じ色であるわけないよね?と気づきだした人がいて、それは私たち、インディゴ世代の30代40代とかがまさにそうなんですけれども、それでも平成の世では、まだ周りがどう思うか、が基準で、
人に変だと思われたらどうしよう、何かをするにもエビデンス、経験、修行がバックアップとしてなければそれは世の中に認められるものではない、という概念があるそうで。でもまさにそうですよね。何か新しい事、例えばスピリチュアルでも2万人見てきました!とか25年この道一筋、とか、あの著名人もクライアントです、みたいなのが無ければ「怪しい」と思われると私も思ってたし、
だからこそ若かりし20代の頃の私たちも躍起になってステータスとか資格とか取ろうとしましたよね。スピリチュアルだってそうです。それが無ければみんな納得しないもの!ってやつね。
で、松久さん曰く、もう令和になると、そういうプロセスっていうか、段階を踏むってのが無意味になるそうで。もう俺はこの商品を一個100億で売ります、って言ったらもう言っちゃっていいし、人がどう思うとか関係ない、と。ただ、その100億で売るものが、自分の魂の底から絶対いいもので、自信があるもので、間違いないという根拠は自分のハートで確信しているもの、でないと売れないけどね、ってことで。で、もうそうなりたい!と思ったら瞬時にそうなっちゃう、と。私、女優!って思ったらもう次の瞬間からゼロ秒で女優の自分になっちゃえばいい、、みたいなことで、まぁ、この辺は松久節なんでどこまで受け入れるかは人に寄りますが。
でも、コロナになって、1人で家の中にいるしかなく、他人にどう思われるか?とか確かにどうでも良くなってきましたね。会いたくない人には会わなくてもいいし、繋がりたくない人はブロックだってできる。完全なる個の時代ですよ。
となると、私たち平成に関しては最初から最後まで居た私たちが重んじていた、プロセスの積み上げとか、エビデンスとかそういうのもすでに化石化しているのであり、君の努力とか実績は知らんけど、今ここで何を見せくれるの?ワクワク♪みたいなことになるのよね。
子どもの学校が休校になってることとかについて、やっぱ人付き合いの仕方とか忘れるんじゃないかとか、オタク化するんじゃないかとか、スポーツの精神がーとか私なんかも思っちゃうんですけれども、そこまで子供の方はそこは何とも思ってないのかも。他にも誰かと繋がる術もあれば、娯楽もあるし、勉強したいことはネットから拾えるし、ってね。
ま、でもやはりこれは進化なんだと思います。人間的な感情とかが薄れてきたわけではないと思うけれども、恨み節とか苦労自慢とか嫉妬とか承認欲求とかが「動機」でなくなる世界っていうのは、平和だけれども、平坦にも思う。でも、そもそも高次の「愛」って抑揚が無く、真っ平に平穏だろうからさ、そっちに行っちゃってるのかもね。ド人間の私には少し寂しい、ってかやっぱり私たちは「あえて」この人間感情の苦しみを味わいにわざわざ地球に来ていた、としか思えないわ。だって、今考えるとそのあたりの苦しみって自分が作ったストーリーだったし。
そう考えるとさ、昭和の「全員一緒」の中で実はエッジの聞いた魂を持ってた人ってほんっと苦しかったろうなって思うのですよ。
で、今、私たちの世代の心に影響を与えたそういった昭和の母とか父とかって、おそらくその十把一絡げの世界に疑問を持ってた人達だったんじゃないかなって思うんですよね。守りなさい、こうしなさい、すべき、と言いながら、いや、ちがーう!って思ってたんだと思う。でも耐えすぎて、うちの母みたいに病気になったり、迷惑な人になったり、被害者意識の塊みたいになったり、でその子供たちである私たちもすごく影響を受けてしまったけれども、
とても大変だったろうな、と今更ながら痛感するし、その時代を生き抜き子育てして生き抜いた彼らを心から尊敬もするわ。
だから大変だったと思うけれども、
もはや元号を三つも経験した私が思うのは、その世代世代を進化させるために耐えうる人たちが選ばれ、そこで使命を果たし、今、そしてこれからの進化の為に貢献してくれているのよね。でも、そこで貢献してきた苦しみとか常識とかっていうのはもう次の世代で全く意味をなさないわけ。で、その意味をなさなくなるスピードが今、鬼早いわけよ。
なので、もう親にわかってもらおうとか、親の呪縛が、とか、親に遠慮してとか、親の価値観が、とかいうのは、
一切気にしなくていいし、もう彼らの常識は覆らない。どうしても気になるのならば自分が自分の感情に折り合いをつけるだけで、前の時代の人たちの意識を変えようと思う方がエゴかもしれません、だって彼らはもう勤めを果たしているので。
愛されていなかったわけではなく、愛すべき価値がなかったわけではなく、彼らもそうするしかなかったんだと思います。
でも、だからと言ってそっか、しかたないよね!と折り合いを付けようとしても、感情というものは必ず自分の奥底でくすぶって消えないので、
それを自分で見つけて出してあげる、怒りは怒りとして認めてあげる、とかっていうのをしていくと、もっと大きな視野が出て、初めて相手を許せる、っていうか相手を憎んでしまった自分が許せる、みたいな感じなんだろうね。
私も10年ぐらいまでは自分の抑えていた感情の存在もわからなくてくすぶって大変だったけれども、今になって素直にああなるほどね、って思えるし、何を言われてもされても、ハイハイ、と生暖かく受け流せるようになったと思います。
そんな風に、どうも世の中って進化していくみたい。楽で楽しい、松久さん曰くの「ぷあぷあ」な状態、それが今後の世の中のキーみたいよ。でも、それは私も頷くわ。
とりあえず3年とか、とりあえず顔を覚えてもらうために参加とか、ボッチだと思われたくないから団体行動とか、あっつーまにその常識消え去りましたね。
までも外には出たいけどねー。自然とは触れ合いたい。でもだからって不要な事で時間と金をいかに使っていたのか?ってのがみんなわかってきちゃったから、
いずれにせよ大変革が起こっているっていう事よね。でも、Zin〜仁とか見ててもさ、大政奉還とか、ペニシリンとか、コレラとか、そしてその後も世界大戦とか虐殺とかテロとか
人間ってよく乗り越えてきたわよね、こんな壮大な歴史を。すごい事よ。
木村太郎さんがニュースで、「自粛なんて僕らは全然苦じゃない。僕らは子供の頃、防空壕で何か月も過ごしたから」っておっしゃってて、
もうね、耐えてきたレベルが違う。すごいよね、人って。
明日は晴れるかしら。もう梅雨ねー。
ではね!
夏子