固定概念が変わるとき。
- 2020.05.03 Sunday
- 01:37
JUGEMテーマ:癒し・ヒーリング
こんばんは、夏子です。
相変わらず腰が痛いっす。何しても痛いって辛いわ。
岡村君に発言に対するビートたけし氏の意見を聞きましたが、やっぱこの人ももうおじいさんだなって思いましたね、正直。
バブルの時代だったら言えた事だけど、コロナでやっちゃだめよ、って発言で、それはあの時代だったら冗談になったけれども今はもう違うって意味じゃなくて、
どうも、バブルが背景だったらいいけど、コロナ相手にやって良い事じゃない、岡村君は相手間違えたから失敗したって事で、つまり女性に対する偏見については問題じゃないみたいなことなんだけれども。安住君が確認してたからそういうことだと思うんだけれども。
いや、それも違うだろ、と思ったんですけれども、でもたぶんバブルの時代だったら、同じ発言しても冗談だったんでしょうね。
問題は相手がコロナかバブルかではなくて、バブルの時にはその偏見に人々が気付いていなかっただけで、根深い問題を今も持ち合わせている、つまり根っ子の問題を言ってるんですけれどもね。
まぁでも、
そういうフィルターで見てるんですよね、ビートたけしの世代って。もちろん全体がそうだとは言いませんが、そういう時代の価値観があって、その人たちにはそれが正解である、という事。
芸事ってのはまさに時代の象徴であると感じます。価値観が変われば廃れる。伝統芸能でさえもアップデートしていかないと廃れる。
時代ってのは終わるんだなって感じます。今まさにアップデートの時代なので、ぽろぽろともうついていけないものが露呈しだしていると感じます。
かくいう私もがっつり昭和世代ですので、いつかこんなふうに昔の人になるのだろうなと思う。お母さんの言ってることは間違ってる、と娘に言われるのも時間の問題。でもそうやって人々は進化してきたのですね。
でもそこに愛があるのかないのかが重要。ビートたけし氏にも愛があるけれども、あの人は悲しみを背負っている。でもその悲しみとか怒りがスパイスにもなっていたし、時代の風刺みたいな形でその前の世界をぶっ壊していたのも彼であり。そしてどんどんまたアップデートされていく中で、世の中ではアウトだと思われいたことをあえてする、自虐とかいじめとか、人をからかって笑う、みたいなものはアウトデートになっていっている中で、もう古いな、って感じがします。
全体的に世の中平和になってると思うんですよね、自分の子供とか見てても。私たちの世代の方がもっと抑圧もあればいじめもあったし、コソコソするような文化があった。でも、今の子って割と自立してると思う。男尊女卑的なものももはや化石の世界であり、それについてごちゃごちゃ言ってる私自身ももう化石なのかもしれません。でもそういう所で戦ってきたのでね、どうしてもそうなんのよ。
今はお役所とか公務員の世界がきっとてんやわんやで大変かと思います。平和な時は公務員っていいよね、絶対くいっぱぐれないしーみたいな言われ方知ますけれども、でも、立場上言えることとか言えないこととかもあるし、何より文句を訴えていい相手、責めていい相手、とみなされる立場でもあるわけなので、
特にこのような有事の際は大変だろうな、って思います。いろんな方面から感情をたたきつけられて。
さて、
オンライン生活、巣籠生活が始まると、ほんとに付き合いたいと思う、重要な人としかつながらなくなりますよね。
でもこれはこれでいい、と感じます。学校行ったり職場行ったり、親戚の集まり行ったりしたらめんどくさい人とも調和しなくちゃならないというすごいプレッシャーの中で生きていたんだなって思うのね。
または、薄くて信用ならない付き合いを続けて、なんとかロンリーにならないように頑張ってきた人とかも、今世界ひっくり返ってるんじゃないかと思います。いかに自分が孤独だったか、不安だったかが身に染みているのではないかと思う。
本当に必要なものだけが見えてくる、というか。そうなると機構とか組織とか、形骸化しているものなどもあらわになってきます。
この状況で機能していない組織なんかもういらねみたいな。なんなんだろうか、この塊は、とか。WHOの事だけを言ってるわけではなくw、会社とか学校とか近所づきあいでも、もう実質上みんなで会って活動できなくなっていくなかで、不必要なものをいよいよ捨てられる気がします。
不要、とは言い切れないけれども、いろいろあるじゃないですか。PTAはこの日になにしなくちゃいけないとか、町内の班長決めがどうこうのとか、はんこ押すのに満員電車で会社行かなきゃいけないとか。
一切できなくなって、出来なくても何も変化がない、むしろない方が気が楽ってところにやっと気づける気もします。だからコロナってやっぱ進化の手助けをしているよね。
今までと同じ状態に戻す、戻したい、という気持ちがあるけれども、戻る必要もないのかも。
先行ってる人って戻すつもりなくって、じゃぁどうやって変えよっかなーとむしろワクワクしてるような気もするんです。そういう人ってもう政府に対する文句とかもないんだと思うんです。ハイハイ、みたいな感じで。そーなんだー、でも僕たちはこうしていきます!みたいにもっと空気が軽い。
でもホリエモンとか、文句が出るってのは昔のやり方に対するノスタルジーもあれば、昔のやり方の理不尽さへの《怒り》があるのだと思う。だまってられないっていうか。だからお前らの方が馬鹿だったんだよ!と言ってやりたい。でもその気持ちわかります、同世代なんで。でもそれより新しいものをさっさと自分で生み出した方が早いんだろうね。
もちろん戻らないなら戻らないなりに新しく作って行かなくちゃならないこともたくさんあって、
今からそれを作っていく段階だからとにかく混乱するのはしょうがないですよね。
固定概念がぶっこわれる時がいよいよ訪れ、さあ、私はどっち側でしょう。テスト結果が気になります。
多分、また、75点みたいな感じであいまいなランディングしそうでいやだわ。
せめて何かクリエイティブに、と思って編み出したセーターが、あとは袖一枚編めば完成です。
ネットで買った毛糸が思っていたよりもダークカラーなのが気に入りませんが、なかなか執念こもってる作品が出来上がりそうだわ。
今年の冬にこれを家の中で着倒す予定よ。コロナセーターとして一杯思いが詰まったものに仕上がりそうだわ。
GW, 天気が良くてよかったっすね。
ではねーん
夏子