感情の土台。
- 2018.11.16 Friday
- 00:29
JUGEMテーマ:癒し・ヒーリング
こんばーんはー夏子です。
寒くなってきましたね。今日息子を歯医者に連れて行くときにトレンチコートを着たのですが、
もうトレンチコートだと寒いじゃん、みたいな。でもこないだもポカポカの日もあって、コートどころじゃなかったし、夏か冬か、って感じで中間がなくなってきましたよね。トレンチコート着る季節がなかった、つうか。まぁ、私も引きこもりやってるので基本スウェット上下とかでいるからかもしれないけれども。へっ。(春日ふう)
買い物依存症気味の私ですが、気持ちを改め、細かいものをごちゃごちゃ買うのは止めよう、と思い、心をつんざくほど欲しいと長年思っていたものだけお金を貯めて買おう、という方針にちょっと前に、いやほんとちょっと前に考えて控えておりましたが、
もう40半ばだし、カシミヤストールぐらい欲しいわぁ、と。なので結構お高いのぽちっちゃったわ。来るのが楽しみよ。結局買ってんだけどもね、ハハン♪
数万しますけれども、10年使えればと思えば。はい。いいものを大事に長年使う、というようなひゃだあたしってフランス人?みたいな自分をちょっと目指してますww
そういえば【今日から俺は】を毎週楽しみに観ています。いいですねぇ、賀来賢人。
漫画の原作を読んだことはあって、正直これの何がおもろいのん?と思っていた作品ではあるのですが、ドラマ版はいい意味ですごく違って面白い。ハイスクールツッパリものは暴力なども含まれてて、「てか、何に向かってそんなにいきってんねん」と大阪弁で突っ込みたくなることも多いんですけれども、
作ってる側がやたらウケてる感じといい、賀来賢人並びにムロツヨシなどのノリが面白くて好きです。そしてシソンヌは演技力が高いですよね。好きです。素晴らしい!
賀来賢人さんのビジュアルが好きですわ。なんかあの人研ぎ澄まされてません?めっちゃイケメンというよりは好き嫌いがあるお顔かもしれませんが、私は何か無駄なものがそぎ落とされたような究極のフォルムみたいな感じがして、あぁ、この人うまくエネルギーが循環してるんだろうな、って感じます。
こないだ家族の会食で高1の甥がものすごい量の食べ物をがっついているのを見たんですけれども、本人は細くてマッチョでもないんですが、一体どこにあの食べ物は行っているのか?と思います。
しかし、兄がつぶやいていましたが、「いや、たぶんエネルギーとして無駄なく使ってんのよ」というお言葉通り、そんだけエネルギー出してるんでしょうね。フィジカルにもですけれども、活力みたいな外向きの何かが発せられていて、滞りなく吸収したものをエネルギーに変えて生きている。若いって素晴らしい。
そう考えるとやっぱ太ってしまったり肌がボロボロになってしまったり、何もしないけれども食べたい、みたいな時っていうのはなんかうまく回ってない、それはいくらフィジカルを鍛えたりしてもたぶん解決しない部分はあるんじゃないかと思います。
今年の流行語大賞が「そだねー」になるのはなんか嫌なんですけれどもww、私の流行語大賞は、というか一言で申すと【パワハラ】ってのがキーワードみたいな年だったな、と思います。
最後の膿だし、じゃないですけれども、もうええ加減やめません?こんなこと?っていうのが出てきた年で、来年は傷がかさぶたになって剥がれて、堅物爺どもがいなくなることを祈ります。
てか2018年はぇー。私だけじゃなくて近所の奥さんもそういってるし、子供も言ってる。ほんとあっつーまでした、来年もこの加速した感じで行くのかしら。正直年齢を重ねることにまだハッピーさは感じませんが、じっくりやりたいっすよね。
タイトルにした‘感情の土台’っていうのはみっちーのライブでもおっしゃってた単語ではあるのですが、
自分の感情を認める、自分の感情の出どころを理解する、そういったことで築かれる揺るがない【私】という土台のような事を言うのかな、と思います。
ライブでも説明されていましたが、これがしっかりある人っていうのはすごい躍動的でえ、そんなことやっちゃうんだーっていうこともすいすいっとやりのけてしまったり、人間関係も滞りなく見たいな感じでさわやかなんですね。
自己肯定感をしっかり持つように育てられた環境がある人はそういう土台を確かに築きやすい。うらやましいな、と思う。
でも、人間の感情のグダグダで悩み疲れた倒れちゃって来た自分から見ると、しっかり感情の土台がある人っていい意味でドライなんですよね。
ドライっていうか、そこまで人に興味がないというか。フラットとも言えます。中心が自分であればおのずとそうなるのでしょう。
自分を確かめるために他人を必要としないので、執着とか慕情とかそういうのがなくなるのかもしれない。
しかし、メロドラマのようにぐつぐつとあなたを殺して私も死ぬ!とか、末代まで祟ってやるみたいなその人間のネガティビティの中にこそドラマがあったりもするし、
誰かに対してクレクレ族になって執着したりする気持ちがあるからこそ、ねっとりとした恋愛なども存在するわけで、
それも一つ人間臭くて私は良いものだ、と思います。苦しいばっかりじゃしんどいけれども、なんかもうズタズタに悩むってのも人間であるからこその醍醐味でもあると思うんですよね。
私などもここまで来たらもうぐずぐずのネットネトの ‘人間世界’ を抱えて乗り越えて、感情的に生きたいとも思いますし、どうやらそういう人生を選んでいるんだなとも思います。
最後に全部ネタにできれば万々歳です。健やかにぐんぐん引き寄せ!ってのももちろんやってみたいですけれども。
なので人間的にいろいろ ‘やらかしてる’ 人は私は愛しい、というかわかる!同士よ!と熱いものがこみ上げてきたりもします。
とは言えです、来年はもうちょっと建設的に進化していけたらいいなと思います。去年もそう思ってたんですけれども、結構中にたまって気づかなかったことがたくさん露呈して、悩みこんだ年でもありました。までも自覚できてよかったとも思います。
まぁまだ一か月以上あるけどさw。去年よりは少し楽、今までよりは少し土台ができている、そんな風に自分を評価していきたいと思いますます。
ではまたねーん
夏子