向き合う。とは。
- 2018.11.10 Saturday
- 01:14
JUGEMテーマ:癒し・ヒーリング
こんばんは。夏子です。
よくわかんないけれども「戦争」の話題が私の周りに最近多いです。
第二次世界大戦からアウシュビッツやらと人間の極限の状態のテレビやら漫画やらにやたらとアクセスしているわ。
なんかやっぱ洗脳なんですわね。正しい、正しくないの両極に触れていて、他人に対してジャッジメントが起こってる時って人間の中に誤作動が起きている。
正しい人と正しくない人。自分とは違うものはおかしい、みたいな感じ。
正しくない、と否定するのは、その「正しくなさ」が自分の中にもあり、自分を責めているからで、仕組みは非常に簡単なんだけれども自分でわかりにくい。
自分というものを肯定できていれば、自分を否定するものに対して意見はあれども戦ったりやり返そうとは思わないものね。
上手くまとめられませんけれども、ほんとに世界は幻想ってかある意味コントぐらいのおままごとで右往左往しているようにとらえてしまうことがあります。
戦争のために自分の身を犠牲にしてお国に尽くす。とか。現代で考えたらまったくもってナンセンスなんですが、
それが常識だった時代があるわけです。怖いですね、人間の集団心理って。
でもふたを開けてみたら、強くなかったし、自分が信じてきた概念は外側からの操作だったし、自分の命や人の命以上に大事な“命を懸ける”ことなど何もなかったという現実を突きつけられて。これはなかなか受け入れられない。
自分が信じて悩んで必死で食らいついてきたことが、世界の正義ではない、他にもオプションがたくさんあったことに気づくのはなかなか怖い事です。
しかし、自分と向き合うってのはそういうことで、
被害者意識の沼に陥ってしまって自分自身が実は加害者にもなっていた現実や、
私は大丈夫で幸せでAll OKと虚勢を張っていたことに実は疲れていることや、
私は選ばれし特異な人間であると一生懸命言い張っていたけれども周りにはそう思われていなかったというような
ある意味負けを認める、ということでもあるのだなと思います。
自分と向き合う=悲しみと向き合う という側面ももちろんあるのだけれども、
悲しみと向き合うとその悲しみの感情から発生したエゴによって結構えらいこっちゃやらかしてた自分に気づいちゃうんですよね。
そうなると世界大リバース、今までの景色がまるっきりひっくり返っちゃって、
ものすごく自分を責めちゃう時期に入ります。あぁ、何やってたんだろ、びっくりだぜ、おれ。っていう。
自分を知る、っていうことよね。でも自分のことが一番自分がわからない。
気づきの段階ってのがあるんですよね。ハイ次ここーみたいな。
キラキラスピとかハイヤーセルフとかにはまる、ってのも段階としてある。自分もそうだった。
何とかしてドロドロ部分を観ずにそっちの域まで行きたい、みたいな心理状態に最初なりますよね。大体その時期はジプシーやって大金使ってしまったりするんですけれども。。
でもそこで精いっぱい自分を正当化したり何か飛んでもハプニング☆を期待するんですけれども、まぁ、ある意味起こるっちゃ起こるんですけれども、また小さな人間関係とかに躓いたりして、どうしても【感情】の部分って飛ばせない。
で、もう思い切って感情の部分にダイブするんですけれども、そうなると自分で自分をごまかして来た部分が露呈しちゃってヘロヘロになりつつもちょっと頭スッキリ、みたいになってきます。で、ここで自己肯定もできてきますよね、私、そんな悪い人でもなければ、女としてもっとかわいくしてあげてもいいはずだよ、とかさ。
でもここでまたその自己肯定感と奥底に眠ってる怒りが絡まって、私は悪くない、とか私は私でいい!を唾飛ばしながら言っちゃう時期も来たりします。私はもう誰にも明け渡しませんけれども何か?みたいな。
アドレナリンと共に奥底の怒りが出てきて人当りがきつくなってくると周りが離れて行きます。黙ってうんうん、と頷いていた時よりは楽なんだけれども、あれなんか違うな、なんでみんな微妙な顔してんだろ?みたいなね。
そっから自分のドロドロした部分っていうのが客観的に見えてくるんですよね。なんかよく考えたら私すげー幼いんだなとか、人の事こと責めてんなとか、偉そうなんだなとかとかね。
ここ一番苦しいかもしれません。特にプライドの高い人はなおさら。
でも、出来てない、わかってない自分を受け入れて、
【わかってなかったね、私】と言えた瞬間、目的は達成しているように思います。すべてはそっから。
わかってなかったことを受け入れて、わかりようもなかった理由を知り、そんな自分を理解出来たら、
後は行動。でもこの段階で行動するのはそれほど怖くなくなってはいると思います。でも躊躇しますよね。
自分の為に行動するっていう。好きな人に告白したり、勉強したり、仕事したり。そこのところはエンジェルがはいどーぞ、って機会をくれるわけではない、ずっとそう期待してはいましたが。
正確に言うと機会は見せてくれるけれども、えいや!と飛び来むのは自分次第。
瞑想してたって目が覚めたら中国語ができるようになってるわけでもない。人間活動の中で実績と経験を積んでいくって作業が必要になりますが、
でもこの段階で開眼して何かを学んでる人って、どしっとした物腰で目が生き生きしている。努力ってホントは楽しいものなんだよね、きっと。
オリラジあっちゃんとか男☆山根あきら、トランプちゃんなどの人を見ていると、
最後の牙城で戦ってんな、と思います。いろんな才能や経験、それを自分をよく見せるためではなくて、周りにも提供して自分もハッピーみたいになれればいいのにと思います。
かくいう私もあのレベルで虚勢を張って生きている、ということなんだなと思います。
だんだんと私自身も「このままでいいや」とじわじわ思えるようにはなってきています。まだたまにヒヤッとジャッジメントが出てきますけれども。
こないだミューステで椎名林檎と宮本浩次に“獣ゆく細道”を歌ってましたが、
さすがみやじ。チョーカッコよかったわぁ。あのぐらい丸腰でぶっこむ姿勢。しびれたわぁ。
でも宮本さんって歌上手いですよね。好き嫌いはもちろんあると思うけれども。でも椎名林檎のあの難解な歌を歌うって才能もそして努力も経験もものすごくある証拠だと私は思います。
本当のカッコよさっていうのはこういうものだ、と私は思ったわ。そんな人に私もなりたい。
“借り物の命が一つ。厚かましく使い込んで返せ”
っていう詞が好きだわww
使い切るぐらいの勢いで生きたい!って私も思ふ。
またねーん♪
夏子