楽と楽しい。
- 2017.10.13 Friday
- 23:21
JUGEMテーマ:癒し・ヒーリング
こんばんは、夏子です。
ちょっとお久しぶりんこかしら。眠くて眠くて起きたら煮えての日々だわ。
バイザウェイ、
ユノ(東方神起)
おかえりなさいユノ@ミューステ。
兵役ご苦労様。そしてカンバックした時の仕上がり具合によってはもう復活ないかもなーなんてちょっと思ってたんだけれども、
ガッチガチのGood ビジュアルで戻ってらしたわ???ちょっと痩せすぎのようにも見えたけれども、絞ったのかしらね。
改めて東方神起ユノ様のお姿を見て思う。男らしい。あと、ファンならご存知、この方中身が男らしすぎる。責任感ね。
世の女達の「男はもっとこうあって欲しい」という男性の理想像の煮凝りみたいな人だったのね。
あぁ、早く新曲が聞きたいわ。ユノおかえりちゃん。カンバックしてくれてお母さんちょー嬉しい。
そんな中、
DJあおいのブログを読みふけってしまったりして。面白いですね、DJあおいさん。
ゴマブッ子よりもある意味もっとキツイですけれども、おっしゃることはもっとも、いやほんとに至極もっとも過ぎて困る。
もっともなんだけれども、そうもなかなかいかないじゃないっすか、というところをわかってもらいたいのだけれども、
いやそりゃわかるけれどもいつまで「楽」してんの?という問いかけのように聞こえてなりません。
彼女の言葉の中に、
楽することと楽しむことは違う、というような書き方があります。
怖いから切り開かない、何事も無かったようにすることは「楽」だけれども、それでは先に進めないし、
楽しんで何かをやる、というのはものすごく勇気がいるけれども本心が求めているものはそれである、という。
恋愛でも仕事でも、人間関係でも同じですが、
楽して生きることの後ろには「嘘」が大体存在していて、相手も騙していますが何より自分を騙し続けているという実態がある。
コアな問題について相手と如何に話し合えるかが要なのですが、それってなかなかどうして出来なくなる場合がある。
またその話し合う、にしても自分の気持ちを如何にわかってもらおうとすると罵り合いにしかならないので、
どのくらい相手の話を聞く余裕があるかどうか。それがないと建設的な話し合いは出来ないのですよね。
相手の話を聞く余裕がある状態と言うのは、まず自分の言いたいこととか主張したいことの真意を自分で理解しているかどうかが重要で、
自分の状態をわかっておらん状態で相手になんとか「私は正しい」と証明してもらおうと思っても平行線なだけなのですよね。
相手の存在が近ければ近いほどその話し合いと言うのは本当に難しく、
例えば家族なんてのはその「言わずもがな分かれよ」合戦であり、自分が態度で示した自分の本心を相手が汲み取ってくれるかどうか?に命かけちゃうのでその手段としては「無視」が一番効果的と考えてしまったりします。
当たり障りなく、何事もなくを装った無視。本心は辛いですが、日々の雑多な用事などを行っていると、ま、これでもやっていけるかなみたいに寝る前に、はい、そういうことで今日は終了!とケリをつけて終わらすようなこと、誰しも経験はあるかもしれません。
腹の底ではどよーんとした苦しい思いがありつつも、嘘をついて自分を騙して何事も無かったようにしているのは「楽」な状態であり、
まったりとあぁこのままこんな感じでこの仕事やっていけば良いかな、とかこの相手とまったりと続けていったら良いかな、とか対して面白くもないけれどもこの連中とつるんでいたらいいかな、と、
楽=自分が求めている状態
と錯覚してしまったりしますね。
しかしこれはすっかり自分を諦めている状態でもある、と。
若いうちはそうやっておしなべてコップの下の沈殿物があってもなんとか上澄みをすすってやっていけるのだけれども、
年を重ねると溜まってきた沈殿物の硬さや味の濃さに耐えられなくなってくる。
でももうそれでいい、としてしまってる人も多いよね。
それも1つの生き方だと思うわ。何も悪くはない。
ただ、自分的にどうよ?と問われると、やっぱりそれだと納得できないんだろうなと思う。
が、
じゃぁどうしたいのよ?と問われればよくわかんにゃい、というまったり感の中にいます。
プロローグなげーわ?ごめんなさいね!
どこかの記事でお医者さんのインタビュー記事があったのだけれども、
臨床の場でもうすぐ死期が訪れているひとに何人もあってきたけど、ほとんどの人が、
「もっと楽しく、思いのままに生きればよかった」
って言うんだって。そうだろうなって思う。
スピリチュアルなんてやってるとどんどん自分を発見してしまいます。
発見していけば行くほど、その前の段階でこれが正しい!と思って選んでいた道が本心ではなく自分を守るための自分についていた嘘であったことにも気づいていって、こんなになるんだったらむしろ気づかずにぼんやり悩んで生きていればよかったんじゃねーの?ともたまに思います。
しかし、それらの嘘の自分を経験したからこそ苦しくなって自分の内側を見て、そしてちょっと怖いけれども道を開いていくという
ことがそのものが私の人生で何らかの目的に向かっているプロセスそのものであって、
よくわからんが順序を踏んで事は起っている。こんなブログを今日ここで書くことも含めて。
なんでどうにもこうにも勝手に導かれており、全てはどうやら繋がっているとしか思えないという結論に至るのですが、
今日も私は細かい事で何をするべきか、するべからずか、についてじっと悩んでおります。。。
明日はちょっと法事で忙しいです。さむそー
夏子