スピリチュアルの優しさと甘さ

  • 2017.11.14 Tuesday
  • 23:54

JUGEMテーマ:癒し・ヒーリング

 

ちょっとお久しぶりんこー、なっちゃんだぴょーん。

 

なんかねぇ、忙しくってさぁ。ってか忙しいのか?と問われたら特にそうでもないんだろうけれども体がついてこんのよ。

 

ちょっとまた無理してるんでしょうか。とにかく眠くて眠くて後ほんのり風邪気味ってのを2週間ぐらいやっててつ・ら・い・わ??

 

乾燥の時期よねぇ。あれよ、奥さん、冬って脱水になったりするらしいわ?お水飲んで潤わさないとダメね。

 

ところでユヅよ。羽生様。まぁーーーーhontoに彼ってドラマチックだなーって思うわ。

怪我しちゃってすごいショックだったんですけれども、でもなんか彼ってすげぇドラマチックで人間臭い。

羽の生えた天使のようなヴィジュアルですけれども、彼の中には喜怒哀楽、嫉妬、負けん気、プライド、優しさ、などなどてんこ盛りもり。すごい人間臭い人なんでしょうね。見た目と天性の天使性とやたらとグランディングしている彼に起っている現実が泥臭い。

 

面白いですが心配です。ユヅ無理しないでね。でも多分これもオリンピックの為にあえて通ってるところなんだろうなぁって思います。

 

さて、正直ブログで書くことも減ってきてるわけなんだけれども。。というのは私の中でな何か終わった、ってわけでもないんだけれども、

 

ほんとに最近のHitだとDJあおいの言ってることとかで全て網羅してる気がするのよ。

彼女の言ってることはワタシ的にはエゴのフィルターを取った時に残ったキンキラキンに精度の高い「現実」なんだと感じるんです。

 

だからすんごい正論なのよ。でも、スネたりひんひん泣いてる時に読むと、そんなこと言ったってさ!!と反発したくなる気持ちにもなるとは思う。でも至極最もだから反論も出来ないというか、本当はそれがわかってるけれどもあえてわからない体で言い訳したり人のせいにしたりしているところを真っ向からぶっ刺してきてくれるという存在のような気がするわ。

 

彼女なんかは別にスピリチュアルとは言っていなくて、単に謎の主婦とおっしゃってるけれども、

実はスピリチュアルと歌われていることの後ろにはこのぐらい清々とした「当たり前のこと」であることに私は同意する。No magic.

でもそれをガッツリ最初から「っていうことだから向き合おうよ。お気を確かに!」って言っても最初は叱責にしか聞こえないのよね。

 

でも多分そういう「現実的に動けよ」っていうところに我々はアクセスする段階に来ているのかなって思うわ。だからDJあおいみたいな切り口の人が必要になってきたんだと思うからそこにいる、のだと思う。

 

ふわふわキラキラしたスピが必要だった時代もあるわよね。だってそうやって現実とはちょっと離れたものだという捉え方でもしないと、弱音吐きたくても「何いってんのあんた努力しなさい!」で社会的にピシャッとやられて終わりだったから。

 

だからスピリチュアルって実はとても優しい。あっちの世界に自分は近い存在なんだ、と思うことで救われることあるよね、現実では行動出来なくても。そしてそうやって色んなメソッドなどを試すことで少しづつ自分の鎧が取れて現実というかありのままの自分を受け入れる準備をしていくという意味で、スピ的アプローチって言うのはすごく良いと思うんだよね。

 

しかし、逃げ道にもなるわね。私もそうだったけど。

 

特別意識とか自分はこんだけスピリチュアルだから人間界が苦しいので仕方ないんですとか。いろいろ言えるわけなんだけれども。

 

もちろんそういう側面もあるよ。やっぱり敏感なところって言うのは持って生まれた何らかの素質があるし、そこはどうしてもデフォルトでそういう体質とかエネルギーを持ってる人は本当に苦労するんだよね。

 

だから確かにそういう人たちはいるけれども、

 

私の解釈ではどういう人はほんとに一握りで、後は過去のショックで心が閉じちゃってるだけだと感じる。

 

やっぱり結局ネックになるのは感情で傷ついた部分が大きくて、その部分にフォーカスしない限り、そして人間である限り、あちらの世界に救いを求めても何も解決していかなかったと思うわ。

 

優しいけれども、甘い部分も多いにあるのがスピリチュアルかもしれない。その甘い部分が「怪しい」とか「現実逃避」とか言われてしまうんだけれども、

 

正直実際そうなんだな、ってのを今更ながら感じる。

 

でもそうではない、違う、そうじゃない、と一生懸命あちらの世界にアクセスしていた自分はカルトに盲信する人と同じエネルギーで生きるのが辛かったのだなって思うわ。

 

如何にネガティブな思いや自己否定が自分を自意識過剰に自分をさせてしまうのか。

言うなれば人間の悩みの根源はここだけのような気もする。DJあおいもさらっと触れていたけれども。

 

実はそこまで誰も自分に興味がなく、そこまで自分は特異でもヒロインでもヒーローでもなく、

 

一人間として良いところも悪いところも含めてただただその「個人」であるだけなんだけれども、

 

世界は私のために、、

私のせいで世界が、

 

までなんか思考が走っちゃうよね。そうでも思わないと自分を保てないんすよ。

 

全て原則と流れにそって動いているだけなのだけれども、なんとかして「技」を習得しようとか思っちゃうよね。

 

私もそんなものの体得にいくら使ったかわかんないけれどもwwでも、それもプロセスなんだろうと思うわ。

 

ヒーラーはやっていきたいけれども、でも表にでてこれを生業に。。ではどうもないような気がしてきたわ。

 

やっぱ世間的にその役割を負ってる人っていうのは自ずと前に出て来るよね。みっちーもオフィシャルブログ出したし。(バイザウェイ、ねぇさんやるわーさすが!)

 

今後どうやって行こうかとかこのブログどうやって行こうか、とか今いろいろ考え中。考えてもわからないからとりあえず思いついたらダラダラ書こうっと♫

 

夜になると咳が出るわー。やだわー。

 

黒目に髪を染めて短めにきったらちょっと辻本清美みたくなってしまったわ。

 

ショートって頭さみーね。首から風邪ひきそう。。。

 

 

またねー

 

 

夏子

 

 

過去との折り合い。

  • 2017.11.09 Thursday
  • 00:04

JUGEMテーマ:癒し・ヒーリング

 

こんばんは、夏子です。

 

ちょっとモロモロ忙しい。眠い。寝たい。寝ても寝ても眠いっす。

 

Spotifyの無料版をダウンロードしていろいろ聞いてるんですけれども、懐かしい音源に触れて楽しいわ?

 

今マイブームがマッキー槇原敬之なんですけれども、あのちょっと捕まっちゃった後、しばらくして出したExplorerってアルバムを聞いているわ??

 

マッキーもいろいろあったんだろうなーって思ふ。でもやっぱり彼の歌って染みるわねぇ。染みるわ??

 

でもマッキーの歌詞すごいよく分かる。やさぐれてるといろいろ気づかないけど、愛があるのだよねって思う。

 

DJあおいがブログで言ってたけれども、

 

人間の過去なんて黒歴史であって、こっ恥ずかしいことばっかりなんですよね。

 

いろいろやっちまったし勘違いもしちゃったけれども、でもそれを超えたからこそ気づける事がある、そしてそんながむしゃらだった自分ってちょっとおバカで切なくて一生懸命で可愛いじゃん?って思えるかどうかなんだわね。

 

今を生きるってそういう事で、

 

過去の栄光にすがったり、過去のことを手放せなかったり、自分の赤っ恥を許せなくて正当性を主張しちゃったり。。いずれにしてもどこかに「意地」があってそれをいつまでもホールドし続けていると苦しくなって周りが皆自分を責めているように思うのよ。

 

過去と未来ばっかりにとらわれていると前に進まないのよね。わかっちゃぁいるんだけどもさ。

 

ただやっぱり薬物とかアルコールの怖いところはさ、

 

そうやって自分の中を見て、解決すべきことは全部内側にあったんだってマッキーも言ってるし、身にしみて自分のハートでは絶対にもうだめだとわかってるだろうけれども、

 

ケミカルの作用ってもう脳のコントロールレベルだから、

 

意志だけで持っていけない状態になるんだろうと思う。それが薬物の怖さよね。自分でどうにもならないんだと思う。

条件反射見たくなってしまうから本当に触れないことしかない。根性とか反省とかそういうレベルの問題じゃないんだと思う。

 

心を入れ替えて薬物やめられるんなら良いけど、そうじゃないんだろうなって思う。

 

だからマッキーももう薬物とは触れ合わない環境に居続けているだろうけれども、でも一生向かい合っていく事になるのね。

一生の問題だからほんとに軽い気持ちで手を出したらダメだよね。

 

複数人数の殺人事件があって、自殺願望者のSNSなどについてメディアでも話されているけれども

 

他の人も言ってるけれども、本当に死にたいと思ってる人はいないんだとおもう。

 

死にたい、と言い合って、それを心の支えにしてなんとか生きようとしている人たち。聞いてほしいんだよね、その思いを。

 

それをさ、死ぬなんてダメだ、死ぬぐらいなら死に物狂いで戦えよ、とかヘルシーなマインドの人は言えるけれどもさ

 

それも勇気づけにはならなくてむしろ責められているように聞こえちゃうんだろうな。

 

だからこそ同じ気持ちを言い合える仲間を探して、あなたもそうなんだ、私もなんだ、とどうしてこんな事になってしまったんだろうか、って言うのをわかり合いたいと思うよね。

 

そこで一杯吐き出して吐き出しきったら、じゃぁどうしようかな、どうやったら生き直せるかなって思えるんじゃないかと思う。

 

だからそういうコミュニティも必要な場合もあるけれども、まさかほんとに殺してあげますって人がいるのであればそれは危険信号にもなっちゃうよね。

 

弱音を垂れ流したい時だってあるじゃぁないですか。でもそんなこと親にも家族にも言えない事もある。言ったら言ったで不安な顔されたり叱咤されたらもう言えなくなるじゃぁないですか。

 

同士を求めるのは多いにありだけれども、そこで他人の意見に流されたり危ない目にあう可能性もあるので、

 

やっぱりとりあえずは自分で自分の思いを吐き出す事だと思うわ。何はともあれその苦しみを自分でわかってやらないと。

 

絶対皆自分を責めてるからね。コンナコト考えちゃう自分はクズなんだって思っちゃってるんだけれども、

 

そうならざるを得なかった自分がいることを認めて自分を救って欲しいです。

 

自分の過去の黒歴史を受け入れて、いやぁ、いろいろやっちまったけど頑張ってたんだな、って思えると、

 

若気のいたりも理解できてむしろ微笑ましい。あーあるよね、そういうの。。って思える。

 

パンクロックで世の無情を叫ぶ若者のボイスも「あの時の私」の感じが蘇って懐かしく、そしてハートが熱くなるのよ。

 

年を取るって言うのは実に素晴らしい。前を向いて年を取るのは素晴らしい。

 

後ろを向いて自分の過去を正当化しようとしたり、若さにこだわったまま年を取ると後半辛いよね。

 

自分の歩んできたヒストリーを賞賛してあげましょうよ、と思うわ。

そして過去に自分を置かない。大事なことだと思ったわ。

 

寝るわ。。。

 

 

夏子

 

 

統合に向けて

  • 2017.11.06 Monday
  • 00:09

JUGEMテーマ:癒し・ヒーリング

 

ちょっとお久しぶりん子。夏子です、こんばんは。

 

しばしモラトリアムに入っておりました。もんもんと。

 

プライドを脱ぎ捨てる事に従事しておりましたら、いろいろとねぇ、まぁ出てくるものですね。

 

こんなにシリアスだったと思っていたことが、あらなんてことない事なのね、1人で息巻いちゃっていたわ?って思ったり、

 

大した事ない、大丈夫大丈夫、と自分を押さえつけて頭で納得させようとしてたことが実は非常にクリティカルだったり。

 

やっぱ全部感情なんだな、と思います。良くも悪くもね。

 

若気の至りだったり、耳年増だったり。随分と苦労したんだなと思うことあったり、アフォだったな、と思うことあり。

 

統合。。何者かになろうとしていた自分と本来の自分のすり合わせをじっくりやっているところなのかな。

 

そうやってかんがえてたら昔の自分のブログとか一斉に削除したくなったりもして。でもあのアメブロとか良くわかんないけどブログ消せないの、なんか手順を追えば出来るんだろうけれども、とりあえず消えなかったからまぁ残しとけってことかなとか。

 

過去を捨て去りたいってわけじゃないんだけれども、これが私なの!!って主張していた私の痛いほどの「わかって!!」エネルギーを十分感じたという感じかしら。わかったよわかったよ、なっちゃん、って感じになったのね。

 

ありのままの自分になるの

 

って言うのはサラッと理解するとどんな私でも私なんだから!言いたいことも言ってOKなのよ!とか完全フリーな世界に飛び込んじゃえ、エゴも何もかもひっくるめて私なの!っていうことでもあるけれども、

 

そんなこともあんなことも感じてグズグズ言っちゃう自分自身を認めた上で世の中とか他人、そして自分を責めずに愛を伝えられたり感じられたりできるか?ってのが最終的なありのままなんだろうなと思う。ありのままの押し売りみたいになってしまうプロセスがどうしてもあるわね。

 

出来ていないことを出来ていないと認める、

出来ていることを出来ていると認める、

自分の弱いところを弱いところとして認める、

自分の強いところを強みとして生かす、

 

丸裸で降伏する、という状態を意識していたらすっげぇ楽であります。

 

そうするとさ、

 

出来ないところは出来てないけど、でもそれが私なんで!しょうがないんです!!!嫌なら無視すればいーじゃん!っていうハードな主張はなくなって、

 

あぁ、出来てないんだったらちゃんと勉強しようかな、って思えるわけなんですよね。私がやりたければ、ね。魂が求めるならば。

 

そんなわけでまた英語の学校に通ったりもしだした私なんですけれどもw。語学スクーリング16年ぶり。

 

まーしかし無知だこと無知だこと。

 

こんなあっさい知識を薄めて薄めて、いや私は大丈夫!みたいな意地でよく持たせていたなって自分で驚愕。コンナコトやってたら苦しいに決まってるわ、そりゃ。と思ったわ。

 

でも今やってる努力はほんとに自分のためよ。そして自分のためになってることが世のため人のためになったらまた素晴らしいと思うけれども、

 

まず世のため人のためをもとめて、それがイコール自分への認知につながる、と思ってやっていたら必ず天井が見えちゃう。

 

私ブランドを売り物に一発当てよう、と思ってしまう人の陥る罠、というか。

 

自分の能力を向上させたり、見かけ的にきれいになったり、結婚したり彼氏作ったり、それら全て

 

行動しないと始まらないのよね、当たり前なんだけれども。

 

継続的なコツコツとした努力が必要なのよ。でもスピを絡めるとなんとなく「今・このままのありのままの自分」で社会的に認知が広がったり、誰かに目をかけてもらったり、なんだか知らないけれどもお金が入ってきたりとかするんじゃないか、ありのままをとにかく出してさらけ出せばその「価値」を発見してもらって今から何か努力するとか根性とかそんなのなくてもやれるんじゃなかろうか?と思っちゃうのねぇ。私もそれをブログというツールでやろうとしていたこともあるし、自撮り動画とか後悔しちゃうタイプの人もそれに近いものを感じる。

 

確かに、自己評価が低すぎる場合、自己否定のベールを取り払ってみると思っていたよりも自分は評価されていて、自分がまるで手が届かない!と思っていたところに実はすごく近くにいた、という発見もあるわ。

 

しかし私のようなタイプはそういう面も多少はあるけれども、その山より高いプライドが邪魔をして特別意識に逃げちゃって、

 

めくるめく妄想の中に生きていたんだなってことをたくさん発見しちゃっって、すげぇこっ恥ずかしいわ。

 

きっとあの人はわたしのことが好きだろう、とか尊敬しているだろう、とかね。

 

だれもそんなこと思ってねーからwみたいな。

 

そういうすごく小さいことだけれども、蓋を開けたら残念でした!みたいなことの発見がたくさんあってそこんところは辛いわ。

 

でも不戦宣言をしていちいち戦わないこと、特別でなくては生きられないと言うような思いを手放して人と付き合うと、

 

すごい人の当たりが柔らかい。フワっとした感じ。好かれてるかもしれないし、嫌われてるかもしれないけれども、とにかく自分を認めさせようとする気合を失ってみるとすごく楽だし、出会う人の表情が変わります。

 

多分自分の表情が変わってるからかもしれません。自分をジャッジしない、ということは他人もジャッジしない。

すると他人も壁を感じないから戦ってこないですよね。

 

そして、沸き起こってくるのは謙虚さなんだなと思います。今のままでも私さえ良ければそれでもいい。でももっとやってみたい、こんな自分に自分のためになってみたい、と思うことに対して、

 

謙虚に行動を移さないと何も始まらないということが身にしみます。

 

多少勇気も入りますし金もかかりますが、

 

金がないなら稼がないとならない、ということで仕事を増やそうとかそういう地味にやるべきことが見えてくる。

 

その一つ一つのステップはスピリチュアル的にある日突然とか奇跡なんてのはまるでなく、

 

ただただやるのみであってなんのマジックはないけれども、その当然のプロセスをプロセスの一部として焦らずしっかりと歩んでいく覚悟があるとないとでは

 

充実感ってのがまるで違うのだな、と思いました。

 

全く行動も起こせる勇気もないし、だって出来ないじゃん!とやさぐれていながらにして、

 

でも私の本当の姿はこれじゃねーから。と斜に構えていたり、妄想フレンドと夢の中であんなことやこんな事をやっていても現実は何も変わらないのですよね。

 

めっちゃ当たり前のことなんだけれども、それがわかんなくなるのが人間なのよね、人間だもの。

 

誰かにそのプロセスを見てもらって「頑張ってるね」と思わせなくてもいい。自分が自分の為に頑張れるかどうか、ただそれだけのことなんだけれどもそれがわかるまで長い時間を要したわ。

 

よくわからんけど、今一生懸命人生のやり直しをやってる。

外から見られている自分という私と、

私が思う私自身という人間の統合に向けて一つ一つ丁寧に展開して見ていっています。

 

そんなんでなかなか書く余裕もないけれども、地味にやってますわ。

 

どうでもいいけど三浦大知はすごいなぁ。

 

ではねー

 

 

夏子

 

自分の感情を認める事の大切さ

  • 2017.10.29 Sunday
  • 00:47

JUGEMテーマ:癒し・ヒーリング

 

こんばんは、夏子です。

 

ちょっと喉が痛いっす。風邪引かないようにしないとねぇ。

 

今日ひっさびさにあったママ友が見違えるほどスリムになっていてびっくりしました。糖質制限ダイエットをしたそうな。

 

痩せればきれいってわけではない年齢になってるのですけれども、なんだろ、スッキリしたその表情から、何か新しいフェーズに入ったんだろうなと感じました。何なのかはわからないけれどもさ。

 

生活を整えて栄養をとって自分を大事にすることって言うのをしていくと人はきれいになってくのだろうと思います。

でもなんかそれもさ、無理ぐり外側から必死になって死に物狂いでやるとくたびれちゃってその反動がリバウンドって形になっちゃうんだけれども、

 

心が整えられてくると自然と無駄なものが抜け落ちていくのだろうと思います。とは言え例えば断捨離とかとりあえず取っ払ってみて、その清々しさなどを観じてみるってのも1つのやり方ではあるよね。

 

話変わって。。

 

子育てってのは向き合えば向き合うほど難しいものではあるのだけれども、DJあおいのブログ読んでたら、

 

子供が友達に嫌がらせされてて、やられたらやり返しなさいよ、といって学校にいかせてる親の投稿があって、その親御さんも悩んでるんだけれども、

 

それ読んでてあーーーって自分も思ったわ。

 

絶対に起こってることにはエネルギーの波動として似通ったものがあるから事象は起こったように見えるってのはスピでよく言われるじゃない?

 

だとするといじめる・いじめられるの間にも同じエネルギーがあって引き合ってるってことになるんだけれども、

 

そうなるといじめられる子にも原因があるってことじゃん?ってなっちゃうじゃない?そう言われると合点がいかないわよね。

 

不安定な波動、愛が感じられない者同士の引き合いではあるのだろうけれども、親として私も「やられたらやり返しなさい!」っていつも言っちゃうな、って思ってね。

 

バカにされたら自分がバカじゃないってことを力ずくで証明してやれ、あなたはそんな事言われる筋合いのない子だよ!って親としては自分の中の自分が経験してきた事をそこに乗っけて、また子供を元気づけるためにどうしても言いたくなってしまうのだけれども、

 

やっぱそれでは子供の自己否定をカバーしたことにはならんのだね。

 

自分の子もいろいろやっちまってることはあるんだと思います、もちろん。私が特に長男のケンカなどに首突っ込んで見るとうちの息子なんかもわがままや意地悪みたいな事で相手にもなんかやってる、でもそれを知らずに息子が一方的にやられた!っていう彼の申告だけを聞いてつい被害者意識に染まることもあるんだけれども、

 

とにかく何かされて嫌だった、悲しかった、っていう事を聞いたら、

 

悲しかったね、嫌だったね、そんなこと言われたらほんとに嫌だよね、って共感してやらないとな、と思いました。

 

理由はどうあれ、子供はそう感じたわけです。それを「親」という子供にとっての「世界」である存在が、

 

「やられたらやり返しなさい」って言うのってのは、つまり「そんなことでくじけたらあかん!」みたいなことでもあって、それはその子供の悲しい、悔しい、辛いっていうSOSの声に対して、ダメ出ししてるってことよね。

 

そしたら子どもは「悲しんでる自分はダメで弱い子でいじめられちゃうような卑屈な人間なんだ」って思うじゃん?自分の感情に蓋してしまうよね。そんな気持ちで学校行ったらまた同じ目にあっちゃうよね(T_T)。

 

あんなことがあったら悲しいと思って良いんだ、辛いと思って良いんだ、もう嫌だと思っていいんだ、と自分の感情を子供が認めたら、

 

子供もそれなりに対応していくかもしれない。悲しい思いをする必要がなぜあるのか?について疑問を持って、そんな思いをしたくない!とちゃんと立ち向かって行けるかもしれない。波動が変わるよね。

 

それでもいじめが止まないとか改善を見ないのであれば、親が出るべき場面も来るかもしれない。でもとにかく戦って来い!といって突き放したり、自分で処理してきなさいよ!っていうのは子供の感情を認めない=自分の感情を認めない、悲しいなんて思ったらダメだ、苦しいって思ったらダメだ、ヤバイと思ったら逃げる術を覚えなきゃダメだとかさ、親の心の問題を子供に押し付けて逃げてるだけなのかもしれない。

 

かと言って、子供に何かあったらギャンギャン前に出て来る親もいるけどそれもよくないよね。

親が前にでてなんでもうちの子は絶対悪くない!って姿勢でいると、その子供は難を逃れるかもしれないけれども、

 

子供自身がなぜそうなったのか?のコアの部分を見ずに触れずにいたままだと、うまく人間関係が作れなくなる。

周りの人だってそりゃぁさ、その子と何かあると絶対に悪者になるんだからだったら触れないで置こうってなるよね。孤立しちゃうよ。

 

親にしてみれば強くなって欲しいからやり返せ、とか適当にあしらえ、とか言っちゃうんだけれども、

 

それやっちゃうと子供が自分の感情を認められない、感じたことを感じたままに肯定できなくなるんだろうな。

 

泣いても何してもそんな風に返されたら、

 

もう言わなくなるわね、親になんか胸の内を。言ったって仕方ないじゃん。

 

同じく自分以上に燃え上がって怒る親でも、または絶対に親を悲しませたらいけないって思ってしまう場合でも、

 

子供はもう言わなくなるわね。だって余計問題が膨らむだけで解決にならない。

 

でも最もわかってもらいたい人に自分の感情を素直に吐露できないって言うのは拷問レベルでキツイ。

 

全部この「自分の感情を認める」ってところに帰ってくるのだと思う。頑張った!と思ったのに頑張ってない、と言われたり、

 

悲しかった!のに、悲しんでる場合じゃねぇ、やり返してこいとか。全部✕つけて返されたら自分の感覚なんて「正しくない」って思っちゃうさ。そしたら何言われてもすみません、すみません。。ってなって最後爆発するよ。

 

やり返すことに専念し、全てにおいて自分で解決してやる、と生きてきた人間ってのはすごい孤独よ。周りに手助けしてくれた人がいたとしても、如何に1人でやってるか?が自己証明になってる時はサポートの手も追い払ってしまうのよね。

 

そして自己否定と完全自己解決を孤独にやってる人間が、責める側になったり責められる側になってしまうのかなと思う。

 

私なんかも真っ赤な他人でもなんかこの人わかってくれてるのかな、と思うと、ぞっこんその人に「わかって」を注入しちゃうんだと思う。

 

人はわかってくれそうなところから全取りしようとする。それはみちよさんが言ってた言葉だけれども、

 

彼氏とか親とかだったらまだわかるけれども、友達とか上司とか職場の先輩とか何か自分を認める・認めないを行う仕事や役割がある人に対してどうもやっちゃうんだよね。

 

まるで駄々をこねてスネている子供のように。だってやなんだもーんひどーい(●`ε´●)みたいな気持ちとか、だってー(´Д⊂グスンみたいな気持ちとか、それはあんたおかしい!とか批判したりして。

 

冷静に考えれば向こうからすれば「なんで私がそこまで」という立場にいる人で、礼儀と距離を持って接しなくてはならない相手なんだけれども、その人がわかってくれない、聞いてくれない、となるとぎゃーー!と怒ってあの人ひどい人だよ!とか言って攻めまくったり。

 

でもとりっぱぐれている、わかってもらえない、自分の感情が認められない時って言うのは、そんな無節操な自分の感情の奥底の叫びが自分の主張が世界で一番正当だ!ぐらいに思って声高らかに言ってしまうものなのね。松◯一代さんみたいな感じ。

 

自分の感情を理解して、自分でそうかそうか、と理解した上で相手と話し合う。聞く耳を持って、そして自分への確固たる軸とリスペクトは持ったまま相手と向き合って見てはじめて、相手の言い分にも納得できたり反省出来たり、勘違いだったと気づけたりするもんなのだと思うわ。

 

腹が痛いわ。。。明日はテスト受けてきます。

 

ではまたねーん

 

 

夏子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気持ちはわかる。が。

  • 2017.10.25 Wednesday
  • 10:01

JUGEMテーマ:癒し・ヒーリング

 

おはようございます、夏子です。また雨っすね。

 

雨は浄化と言いますが、まぁ、そんなようなものなんだろうと感じます。

 

全て内側の反映、というか内側にあるものを反映して沸き起こっているものをどう見るか?ということか?と感じますが、

 

政治なんかについても自分と似たようなことが起こっとるなぁと思います。

 

全く浅はかな知識しかないので日本国の政治の内情はわからん、というかそれこそ何も知らないけれども、

 

今の心境で感じることを書くと、

 

希望の党というか野望の党だったのかなぁと感じます。

 

やっぱこれ全体的に国のためと言うよりは自分達のためというエネルギーが国民に伝わっていたのではないかと感じちゃうわ。

 

じゃぁアベッチが正しいのか?と言われたらそれとも思わんけれども、

 

特定の信念がない私などが投票所に行った時に、さてどこに入れようか?となった時にはっきり決められなかったですわね。

 

俺が正義じゃ、だから票を入れたまえ君たち!みたいな「( ・´ー・`)どや感」をほんのり感じましたよね。

 

ゆり子さんも自分自身がちょっと勘違いしてしまっていたわ、とおっしゃっていましたね。

 

国民の為、とか世の中を良くする、という気持ちはもちろんあるだろうし、矢面に立ってそれをやってくださってるのはすごい事なんですけれども、

 

パワーレースで誰が優位か?っていうのを見せつけ合いっこの部分も多いにあったと思いますよね。

 

そんだけ怒りがあるって事なんだと思います。特に小池女子なんかはガラスの天井ではなく鉄の天井があった、と女性が社会的立場として認められていない、Especially 政治の世界では、とおっしゃっていましたが、

 

確かに彼女なんかが経験してきたことって言うのはものすごい苦労だったと思うんです。想像できないくらい。

 

しかし、「馬鹿にすんじゃねぇ」という気持ちでは統合は取れないのでしょうか、やっぱ。

 

私がプライドで大事に握りしめている「馬鹿にすんじゃねぇ=どうせ馬鹿だと思ってんでしょ?」という潜在意識の構図、それが時差を超えて何らかのしっぺ返しみたいな形で因果応報で返ってきちゃうのかなと思う。

 

その因果応報ってのも自分で作って起こしてるんでしょうけれども。

 

大敗した豊田議員が下唇を噛んで泣いている姿。胸が痛かったです。

 

負けることはわかっていたかもしれないけれども、気持ちを訴えればわかってもらえるんじゃないかと思ったのか、または私は間違っていないと奮闘してしまったからなのか。

 

こうだったから勝ったとかこうだったから負けた、とか言うわけではないと思うけれども、

 

あそこまで痛いレッスンはなかなかないし、ドラマチックすぎる結末ですけれども、ここまでやってきたやってこれちゃった自分の能力を認めて、今の自分を見つめて、泣いちゃう自分も含めて自分を受け入れて欲しいと思います。

 

実力は有り余るほどにあるわけですから。私なんかは歯を食いしばって一番になることもできませんでしたからね、やさぐれちゃって努力もせず、でも私はちょっと違うのよーとかなんとか言って。

 

大失敗できるというのはある意味人間的なんだろうと思います。

 

高須先生が人は人間の欠損に恋をする、とおっしゃっていましたが、

 

魅力って言うのはそういうことなんでしょうね。

 

プライドが暴走しちゃうとどうなるのか、について政治の女性議員の姿にそれを垣間見ます。

上西さんとか。絶対私は悪くない、ですよねあの方に視えるのも。

 

じゃぁタレントとして痛い系で売ってみたら行けるんじゃないだろうかとか、ファンはついてるはず、とかなんかいろいろ考えてるんじゃないかと思うんです。全部想像の域を出ませんけれども。

 

でも反省しろよ、と言われれば言われるほど、違うそうじゃない!が暴走するんですよね。

反省って言うか失敗しちゃった自分を受け入れさえすれば、周りはちゃんと理解を示すんだけれども、私は悪くない、周りが悪いのだを言い続ければ言い続けるほど自分にナイフが刺さっていくのね。

 

ミカさんに言われた事に自分なりの感じたことを混ぜて考えたんですけれども、

 

プライドを握りしめて自分は常に優位であることを誇示したり、

またはプライドを全部放棄して私はもう何の取り柄もない生きてる価値もない人間なんです、となるのも

 

両方共現れ方は違いますけれども自己否定から来る表現ですよね。

 

私はいかずに後者の方にプライドの方に行ってしまったので、そっちしかわかりませんが、(否、後者である場合もあるけれども)

 

自分という人間を主張していて、さもこれが私なんですありのまま!と言ってるけれども実は自分の個性がわからんようになるのですよ。

 

比較と評価しか自分を測るすべがないから。だから自分で個性を「作って売ろう」としてしまいます。

 

面白いことを言おうとしたり、突飛なアイデアを出してみたり、変わった格好をしてみたり、とにかく外側にいろいろ個性だと思われるものをとってつけようとするのですね。

 

しかしそれはやろうとすればするほど、自分の個性を隠してしまうことにもなるのね。とは言え多分自分が感じていないところで漏れ出しているのでしょうけれども、自分ではそれが自分の個性であると感じられないのよ。

 

全部ありのままの実存を受け入れて、どんどん謙虚になり、やりたい事が起こってくればやる、という流れに身を委ねる。

こう言ったらかっこいいとかこう言ったら感動的とかActingをする必要はなく、ただ沸いてくる自分の感覚と言葉に身を任せていくと、

 

キャラクターが立ってくるのでしょうね。個性と言うのは本当はそういうもの何だと思います。

 

そうなると、

 

断然生きやすい

 

ね。変なところとか頑なに見えるところとかいろいろあるかもしれないけれども、もうそれはそれで、そういう人なんだ、と自分も周りの認識も合致していく。

 

何度か引用していますが、マツコの知らない世界とかに出てくる超マニアックな人たちいますよね。

 

え?そこ?ってところにガッツリはまってる人たち。変わってるけれども見ていて面白いし、極めちゃってて何より本人たちが異常に((o(´∀`)o))ワクワクしていて楽しそうで憧れます。そして紹介しているのはこんな事に興味持っちゃってる俺、ではなくて、どんなにこの世界が素晴らしいかって言うのを伝えたいという愛。

 

好きを優先しなさい、と言われてももはや何が好きかわからない状態になってしまいますが、

 

やりたいとか好きがあったら地道な努力が沸いてくるのでしょう。とってつけた個性とか自己証明に向けて地道にでも飛び石でも何か無理にやったみても自分の経験上、続かない。続かないで私は終わってますけれども、それでも続けきった人たちが最後に爆発しているのを見て、えらいなぁ、頑張ったんだろうな、とシンパシーを覚えるけれども、それが国のため、誰かのため、と声高に叫んでいるけれどもちょっとそうは聞こえないんだけどな、ってまわりに勘付かれちゃってる痛さ、を感じます。

 

気持ちはわかる。誰も責められんし、頑張ってない人などいない。

 

が、

 

自分を許し、受け入れてやらないと、なんだかかわいそうだぜ自分が。と思うわね。

 

いただいたボディークリームを塗りたくって乙女気分です。いい匂いって素敵。

 

バイザウェイ、Suqquのクリスマスコフレ予約しちゃおうっと!と思って喜び勇んでデパート行ったのにもう在庫なかったわよ。

予約の段階で取り漏れよ。まだ販売されてないのよ?どんだけ?知らなかったわぁ。。こんなに激戦なんて。

 

世の中知らなかったことばかりね( ゚Д゚)y─┛~~あぼーんよ。

 

 

夏子

 

 

 

 

 

 

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