すべては進化である、と思う。

  • 2018.05.20 Sunday
  • 16:22

JUGEMテーマ:癒し・ヒーリング

 

どーもー、こんにちは、夏子です。

 

すっかりスピライフから遠ざかってますけれども、逆に言うとそれは軸に戻ってるってことなんじゃねーか、と思う昨今です。

 

西城秀樹さんがお亡くなりになられましたね。お若いのに残念です。

 

カレー、バンダナ、ダンスしながらの歌唱、どれを取ってもおそらくヒデキが第一人者であり世にそれらを浸透させた方なんだと思いました。すごいエネルギーですよね。

 

昭和の時代のスターという人は、規格内に入れることこそ上等、とされていた時代において、ほんとに突出した人たちだったのだと思います。

 

ま・さ・かアイドルなんか普通なれないでそ!勉強していい大学入りなさい!な世の中で、

 

バンダナ巻いて歌って踊るヒデキは最高にかっこよかったのだと思います。おそらくたくさんのネガティブなものも受けられたと思いますけれども、それでも最後まで私たちに夢を与えてくださってほんとにありがとうございました。

 

そんで例のアメフトの反則行為の問題なども取りざたされておりますけれども、

 

内情はもちろん知りませんけれども、私が感じたのは、はっきりとはそう示唆しなかったのだろうけれども、そのような意味を含めた指示をして、そしてまさかそこまでするとは思わんかったけれども、俺の言うことをよく聞いたうんうん、みたいな感じだったんじゃないかと思いました。

 

そしたら世間がなんだあの監督?となって猛攻になったわけですけれども、

 

あの反則行為の瞬間にこれほどの大ごとになるとはもうわからないくらい監督さんの感覚はマヒしてたんだろうな、と思いました。

 

実ほど首を垂れる稲穂かな。。って言いますけれども、

 

偉い人、立派な人というのは人を見下したり、足蹴にしたり、顎で指示したりしないですよね。

ほんとに人間のできた人は、何をするにもそれはお前ひとりの努力ではなくて、むしろ自分が支えられていることを知ってるわけですから、感謝しかないはずなんです。そして回りに対する感謝がなく【全部俺のおかげ】となると人はほんとに孤立して裸の王様になるんだな、っていういい例です。

 

でも、こうやってこの事件やレスリングの件も見てみると、

 

スポーツとか芸能の世界ってのは一般の社会よりもモラルという点で発展が遅いんだな、と思います。

 

それがまかり通った世界で、

 

絶えなきゃいけない、我慢しないといけない、辞めてはいけない、いざとなったら反則でもセクハラでもなんでもこい、だってそういう世界だしそこを生き抜けないとほんとのスターになれないから、っていうそういう時代があった。そしてそれを生き抜いた人たちが指導者になったら、「だって俺はこれを耐え抜いたんだから」っていう信念のもとで後輩を指導するんでしょうね。その縮図だったんでしょうかね。

 

しかしいろんな事件が起きてきて、

 

もうそういうのそろそろ要りませんよ、っていうサインなんだと思いました。

 

DJあおいが言ってましたが、

 

人は得意なことに夢中になり、夢中になることが努力をすることであって、

 

人から与えられてできなかったら罰せられるようなこと、死ぬほど苦手なことを努力しても別に苦しい思いでしかねーっすよ、努力じゃありませんって回答がありましたが、まったくその通りだと思います。

 

水も飲まずに罵声を浴びせられ、これに耐えられないやつはクズで俺の言うことを聞かないやつは試合にも出れないし、まして文句などと言おうもんならどうなるのかわかってんだろうな、おい。っていうところで人を鍛えたらそりゃ生き残ったスポーツ選手はそりゃ強いでしょうよ。そしてそれでも、それでも好きだから一生懸命やるんだ!ってやる人はそりゃ続くでしょうよ。

 

でもそれが「本物への道」かどうかはわかんないですよね。虐待的な環境で鍛えぬかなかったけれども、世界ランク一位、とかばっかじゃないですか。今のスポーツも。

 

までも、

 

そういう世代交代的なことは私の日常でもたくさん起こっていて、保護者関係のものでもそうですけれどもね。

 

すぐには挿げ替えられないんですよ。新しいコンセプトに。

 

それまでいろんな人が嫌な思いも楽しい思いもしながら気づき上げてきた歴史があり、変化に対応している人もしていない人もいる中で、

 

そんなのおかしいじゃないすか、非効率ですよ。なんでこれをやんないんですか?っていうのは、

 

挑戦状をたたきつけるようなもので、オールドフィーリングの人たちにしたら自分の半生を否定されたと感じ、感情論で論破してくるんですよね。わかってない!と。

 

そして実際彼らあっての今、でもあるので、

 

とにかく相談することが大事で、これってこうできませんかね、これの方がいいと思うんです、という感じでじわじわ変えていく。

 

それでも絶対絶対そんなのおかしい!って非常に頑な人はたくさんいます、でもそういう人がいる場合は去るのを待つしかない場合もあると思うんですよね。日大のようにほんとに困った状況になってるのであればもちろん声を出さないいけませんが、そうではないことについてはややこしい人がいなくなるタイミングを待つ方が賢明の場合もあると私は思います。

 

今回タックルしてしまった選手は、非常に重い役割を持ってしまったし、負傷した相手の選手もほんとに不条理を感じると思います。しかし、固い鉄格子を開けてくれた強い魂のお二人でもあったのだとも思います。どうか二人ともきちんと立ち直ってほしいと思います。

 

会社勤めをしていても思うんですけれども、

 

増殖→洗練→増殖→洗練を繰り返しながら、すべては進化してるんだな、って思うんですよね。

 

例えば何かの商売がわーと盛り上がるとき、増殖している時っていうのは大体すごいワンマンなリーダーとかがいて、

 

ワンマンなんで非情な部分もあったりするんでしょうけれども、でもそのくらい突き抜けた意思やエゴがある人が出ていかないと何も興らないってのもあると思うんです。特にこのよしなに、な文化のジャパンでは。

 

しかし、それが沸点を過ぎると、今度は洗練が始まって、不要なものが淘汰されていく。でも増殖時代に培ったベースや技術、名声、それらのものは残っていくんですよね。

 

そしてその種子の部分を内包したまま別の形態になってさらに進化する。会社の吸収合併も同じかもしれません。

 

洗練、の時代に淘汰されてしまった人は、自分を無力だと思ったり、被害者意識に陥ったり、と責めてしまうことってたくさんあると思います。私も会社クビになった時はそう思いましたけれども、

 

でも、今考えるとそのことをきっかけに「あんたはそれでいいの?」と問いかけられていたとも思うんですよね。

 

そこで自分を責めて世の中を責めてやさぐれるのもいいけれども、ほんとにこの状況で残っていたかったのか?もっと知るべきことがあってこの状況にあえて直面しているのではないのか?とかね。今考えると、会社の流れと私の人生の流れが交差して、会社=悪い、私=かわいそう、ということではなく、それぞれの転機がクロスしていた時期でもあったな、と思うんです。

 

会社の洗練期には自分は残って付き合うことがなかったけれども、自分自身の人生の洗練期には入っていたな、という感じ。ま、モノはいいようとも思えるけれども、そうやって前向きにとらえていかないとそこで止まりますからね、すべての流れが。

 

いずれにしてもなんだか知らんけど私たちは進化に向かっている、と思います。その進化は何のため?といわれるとそれは誰も知りませんけれども。誰もなんで宇宙があるのか?なんていまだにわからない。

 

しかしこういった世代交代、増殖、洗練を繰り返しながら、

 

より良い世の中に向かおうとしているのだろう、とざっくり感じました。

 

そんなわけで、今日は久しぶりに息子の野球の試合も勝利しまして。よかったよかった。

 

息子、4泊5日のセカンドスクールってのに行って帰ってきたら成長してなにかを超えてきたっぽくて、すごい反抗期じみてきました。

 

反抗期というのは子離れが終わると終わるらしいっすよ。要するに親を拒否しているわけですからね。でもまだまだ一人じゃむりじゃん!ってことも実際あるから親は介入しようとするのですが、そのせめぎあいがいわゆる「反抗期」の時期なんだって。

 

私自身も付きまとってるのは私で、息子が私に付きまとってるんじゃないんだな、っていうのがわかってきましたし、これも成長のしるし、空気読んで私の機嫌取りせずにちゃんと反抗してくれる子でよかった、などと自分を慰めますけれども、

 

とはいえ

 

 

むかつきますけれども。くっそー。

 

 

あぁ、こうやって過ぎていく日々。

 

 

長くなりました。また書きます。

 

 

アデュウ

 

 

 

私なんか。か。

  • 2018.05.12 Saturday
  • 00:00

JUGEMテーマ:癒し・ヒーリング

 

こんばんは、夏子です。

 

しばし寒かったですね。風邪引けってことかよ!と朝から天に向かって叫びそうでしたけれども。

アファメーションどころじゃねぇわ、って感じですね。なんのこっちゃ。

 

今、結構自分の中でもやもやしていた、“なんだろうな、この思い”という自分ではあまり解析できなかったけれどもずっと感じていた思いの答え合わせのような出来事が連続で起こっている気がします。

 

今日はみちよさんのツイッター一言回答を読んでいて、

 

心の深いところで“私なんか”という思いはありませんか?という回答があったのですけれども、

 

あるなーって思いました。女性としての自分の価値、ってところだよね。

 

四十代半ばになり、母親になっていても、どこかでキラキラキャッキャしていてちやほやされている若い娘を見ると、

 

“け”

 

と思ってる自分が確かにいるんですよね。

 

でも自分の娘には思いっきりそういうちやほやを全身全霊で表現して受け取れる女になってほしい、とも思ってるんですよ。

 

嫉妬と羨望以外の何物でもない、のよね。

 

でも、嫉妬と羨望である、という事実すら今までは自分で認められずに、

 

“そうじゃないエリアで” 世間に、異性に、そして同性にも“素晴らしい人だ”と思われようと必死のバッチだったのだな、と感じます。

 

そしてそのそうじゃないエリア、つまりキラキラでぴちぴちじゃないところで頑張ってきたところ、はもちろん私の財産にもなってきているし、無駄ではなかったのだけれども、

 

明らかに老いてくる肉体を見ながら、でも、昔の私は自分の若さと女らしさ、みたいなものをもっと表現して、磨いてこれなかったのはなんでなんだろう?と後悔の念を持ってしまいます。

 

今にして思えば、

 

エステでも行ってお肌の調子整えて、ジムで鍛えてシェイプアップして、お化粧勉強してかわいい服装して、髪形ももっと工夫して、合コンでキラキラして、、ってできたはずなんだけれども、

 

そんときゃそう思えなかったのですよ。とってつけたような高いもので威嚇してみようとしたり、疲れてボロボロでも仕事したり、化粧も高い化粧品なんて使っても意味ねーしと思って適当にパシャパシャやって、合コンでもクズどもに目にもの見せてやる、と男に喧嘩売ってましたね。

 

むしろそれが私の個性だと思ってました。そしてその個性を理解してくれる人こそ、自分をわかってくれるレベルの人間であり、私のレベルにあった人、そういう人って少ないわよね、だって私のレベルがた・か・す・ぎ・る・か・ら!!!ぐらいのすっ飛ばしっぷりだったんですけれども。

 

しかし、それは今にしてやっと理解できるけれども、

 

私なんかかわいいと思われない

私なんか女らしさがない

私なんかキラキラしても笑われるだけだ

 

という“私なんか”シリーズの信念を根深く自分が持っており、しかしその信念を覆すために必死で自分を正当化する術をさがしていたんでしょう。

 

また、私は魂的に男とハーフブレンドで、みちよさんにも以前指摘されたことだけれども、

 

男らしさ、というところがところどころ出てきてしまう時に、

 

“女のくせに”

 

とも言われちゃうんですよね。すると、自分の中の女性性のみならず、男性性も批判されることも多かったです。

 

どっちに転んでもなんかしら傷つく。そんな中で、平穏な気分で女性らしさをおう歌する、なんて気持ちに全くなれなかったですね。

 

年齢を重ねてきてようやっと、キラキラぴちぴちでは肉体的にも年齢的にももう主張する必要もなければ需要もない、となった今、初めて、

 

ある意味すごく楽になってきました。今、の自分に似合う、かわいいと思う、すてきだと思うものを身に着けて、出るとこは出て、不要なところでは黙っててもいい、そんな風に自分を少しづつ許せるようになってきたとは思います。

 

でもやっぱりテレビのアイドルなんかを見ると、そりゃもともとの顔面力はベースラインの問題としてありますけれども、

 

あんな風にキラキラ・うふうふとしながら、生足だしたりして、自分もやってりゃ良かったな。うらやましいな。って素直に思います。

 

肉体的・中身的な女としての価値、というものに対してあれほど戦々恐々として、そして自分自身に私なんかどうせ、と思っていた自分自身に腹立たしさも覚えるし、そして何よりかわいそうだったな、と思います。

 

そんでほんとに、“私なんか”と思ってると、“俺なんか”っていう男が寄ってくる、という不思議。そういう二人がくっつくと、

 

お前なんか女としてダメだ、とかあんたなんか男としてダメだ、っていう喧嘩になるんですよね。

 

笑うくらい似た者同士だったということです。

 

セルフケアをしましょう、というのはスピリチュアルでもよく言われている“自分を愛す”ことの一環ではあるものの、

 

その私なんか、という信念の存在を感じぬままそこに傾倒してしまうと、

 

何とかより良い人間になるためにあれもこれもやらなきゃ、と思っていろいろ買っちゃったり、修行か!ってくらいのボディーメイキングのめりこんでしまったりもするわけなんですけれども、それはある意味“そうしなきゃだめだ”っていう強迫観念であり、自分をさらに追い込むことにもつながっちゃうのよね。

 

その辺難しい。自分のためなんだけれども、自分を慈しむつもりがまた自分を追い込むことにもなる可能性の部分ね。

 

とはいえ、

 

いつも気づくのは後になってから。そして若いころの自分を悔やんでもしょうがないのですけれども、

 

それを含めて今までビルドアップしてきた私なりの個性、というものと、

 

表現したかった女らしさとかかわいさとか、

 

押し殺してきた男気とか、

 

今になってやっと、リラックスしながら出せる年齢になったことはある意味ものすごい解放でもあります。

 

若くはないけれども、いい顔ってありますよね。

 

美女じゃないけれどもすげぇかっこいい人とか、

美男じゃないけれども、笑顔がすごい優しい人とか、いますよね。

 

乗り越えてきてるのよー、皆さん人生を。決して社会的にすんばらしい功績がなくてもさ。懸命に生きて、失敗しながらも自分の道を切り開いて行こう、と思ってる人のお顔は美しいし、そういう人に対してもっとこの人を知りたい、と思う気持ち、それが本当の相手に感じる“色気”なんでしょうね。

 

若いころとか人生経験が薄い頃とか感情にふたをしている時にはそういうのわかんないですよね。

わかんない人にとっては若ければいいし、美しけりゃいいし、もてればいいし、やれそうなら色っぽいって思うだろうし、私もそうだったんだと思います。

 

なんか。。しんみりして来たわ。。もっときゃーきゃーしとけば良かったなぁ、もっとあそんどきゃ良かった、とかもっと早く脱毛してりゃ良かった、とかいろいろ思いますよ正直。

 

そしてそのところの気づきがはっきりなかったので、自分の老い、に対して妙にぎすぎすしてたんだな、って感じます。。

 

そんなことをしみじみ考えておる昨今です。

 

ではねーん

 

 

夏子

 

 

 

 

 

最悪のケース想定と、「きっとそうに違いない」というストーリー。

  • 2018.05.04 Friday
  • 11:07

JUGEMテーマ:癒し・ヒーリング

 

こんにちは、夏子です。

 

GWですが、皆さんお元気ですか?新生活が4月から始まった方はゆっくり休むに必要な時期ですよね。

 

風邪から少し立ち直り、ようやっと匂いが少しわかるようになりましたわ。

 

お祭りがあったので息子がライム味のかき氷を食べていたのですが、においがわからないとほんとに単なる砂糖シロップ。

我々って日常で匂いにかなり翻弄されてるのねって思うわ??

 

私の日常でももちろんいろんなことが起こるんですけれども、ちょっと見ると世の中っておもしろいなって思います。

 

何かやばいことが起こった時に、人間の防御反応として、「最悪のケース」ってのを想像しますよね。

 

生き死に関わることもそうですけれども、

 

日常の人間関係のいざこざなどにおいて、その最悪のケースのどん詰まり、超最悪なのは、

 

【このまま自分が悪者にされたらどうしよう】

 

ってことだと思います。突き詰めるとね。

 

直接自分に関係ないことでも何かの問題の輪の中に入っていた場合、「私のせいじゃないよね?」ってのをどこかで確認したくなるもんだと思います。

 

全体を見たときの問題として、このままじゃ予定通りじゃなくなる、みんなが困ってしまう、っていうのももちろんあるけれども、

 

それと同時に自分の責任回避ってのを考えちゃうもんですよね。何か発生した問題に対するざわざわとした気持ちの中で、大半はそういった自己防衛への不安が占めているのではないかと思う昨今です。

 

そんなこと考えちゃいかーん!と言ってるわけではなく、当然一つや二つトラウマを抱えている我ら人間ですから、当たり前のことなんですけれども。

 

軸がない時の自分っていうのは常にこの最悪のケースに怯えているし、

 

その最悪のケースに近づいている過程での自分の気持ちっていうのは、何かに対して「きっとそうに違いない。間違いない」と不幸を固く信じてる場合なんだな、と思います。

 

きっとそうに違いない、っていうのは、自分の人生の中でのパターンイングに沿った【想定】ですよね。

 

何でもいいんですけれども、例えば、

 

〇〇さんが決まった時間に来なかった。〇〇さんの役割をする人が今いない。

 

などのシチュエーションの場合、

 

”ほらやっぱり!〇〇さんってそういう無責任な人だと前から思ってたの。あの人きっと忘れてないのにあえて来ないんだよ。きっと私とかほかの人に押し付けて、切り抜けようとしてるはずなんだよ。ああいう人がいるからいつも倍以上動かないとならない私みたいな人が増産されちゃうんだよね!プンスカ!!”

 

とかね。

 

そういうこともあるかもしれないけれども、ほんとにそうかどうかなんてわからんとです。でも、

 

過去にあった自分のデータの蓄積上、そこまで想定をめぐらして、最悪のケースを考え、もう自分がその役割をこなさないといけないんでしょ??あー、わかりましたよ、ハイハイ、ぐらいまで妙にこの時点で納得レベルまで行っちゃってるんですよね。

 

そのぐらい心の準備しとかないと、「ほら、やっぱり」の事態が起こった時に気持ちが揺らいで揺らいで仕方がないから、その事前準備みたいな心理です。

 

人のうわさ話や愚痴、批判で他人とつながることで共感を得ようとする人、そういう話を聞いてくれる人が「わかってくれる人」だと思っている人は、

 

こういった不安を一時的に忘れさせてくれる、というか一瞬の安堵を分かち合おうとしている人を探しているので、

 

相手を信頼しているとか好きとかそういうことじゃないんですよね。むしろ、自分がしくったら同じように私のことディスるんだろうな、あんな形でってのがよくわかってるから超警戒人物でもあるわけです。

 

批判や噂話、愚痴で「そうだそうだ!」とデモ隊のように結束して何かに対してアクションを起こすことも多々ありますよね。私もうっかりそういうことをそこかしこでやらかしてしまうわけですが、

 

その「そうだ、そうだ!!」っていう主張って、不安が揺り起こした【感情】の高まりによって発せられる“俺の話を聞け!!”っていう叫びであり、

 

その批判や愚痴の対象となってるものそのものに対する不満ではなくて、今まで人生で経験してきたあんなことやこんなことのデータが凝縮され研ぎ澄まされた“スーパー最悪ストーリー”をその対象となる人に映し出して、自分自身の勝手なストーリーを走らせ、みんなもそうでしょ?でしょ?という共感を得たいという願いを込めたシャウトなのよね。

 

なので実際その批判の対象となる人がそんなに悪なのか?とか、

その状況がそんなに血眼になってまで怖がって何とか制さないとならない場面なのか、といったら、

 

全然そんなことなかったりするんですよね。前述した予定時間に来ない人も、たまたま用事があっただけ、なんてことも多々あります。

 

批判される人にももちろん落ち度はあるでしょうし、エゴもあるでしょうし、

起こってしまった事象も何とかして解決しなければならない点もあるでしょうから、それは起こってるんだと思うんですけれども、

 

しかし、だれかに対して批判をするとき、それが直接的であれ関節的であれ、その批判の内容はどれだけ正当なのか?というのを考えなくちゃいけないよね、と思います。

 

感情だけで突っ走って何かを言うのは、愚痴とか恐れを共感してほしいとか、私をわかってほしいという訴えの場合が多いので、

 

それは「意見」ではないんですよね。

 

全体を理解せず、回りの意識も考慮せず、自分の中のストーリーをガンガン走らせ、最悪のケースを想定してそれを回避するためにあれこれと手をまわし、耳打ちされた方は??となってるのも気づかずに、感情でものを言ってしまうと、

 

一滴の漏れもなく自分にリターンしてきますよね。

 

“あの人は何もわかってないから” という批判は、

 

“お前こそ何もわかってないよね” という結果で帰ってきたり、

 

“あの人は勝手に何でも自分だけの考えでやろうとする” という批判は、

 

“何もやらないのに不満ばかり言って、人を動かそうとするワンマンはあなただよね” などなど。

 

“言霊”という考え方がありますよね。人の悪口言うとリターンしちゃうっていう、それ。

 

あの人が嫌い、と思ったら、自分もその人に嫌われちゃうよ〜とかいう、霞食ってるキラフワ女子にならないとだ・め・だ・ぞ!という呪詛のことじゃないんすよね。誰かのことが嫌いなんてまっこと正当な自分の感情なんで、嫌いなら嫌いでOKですが、

 

ただ、その嫌いっていう感情を直接でも誰かを使ってでもいいけど、

 

自分自身の価値をその相手に理解させたくて、相手の気持ちを操作しようとして発することをすると、

 

リターンしてくるんでしょうね、きっと。

 

そんでそのリターンのタイミングってそっこー返ってくるわけじゃないんですよね。タイムラグが生じます。でも私自身のことを考えると少なくとも年内ぐらいにリターンしてきますねww

 

私自身が吐いた批判や愚痴が勢力を持ってる時期とかがあって、みんなもそうだよねーとか同じような波動の人の共感があり、へっへーん♪となる時期がひとしきりあった後、

 

その後に、どんどん真実が明るみになって、その愚痴グループ以外の人はあきれて見ていた、というリターンがじわじわ返信されてきて、抗おうにも、もうすでにかなりディスった後なので、自分の吐いた言葉で自分が苦しむ、みたいな感じです。

 

とはいえ、ですよ。感情マックスで、なんで俺のすごさがわからんのじゃ!!って自分がなってるときってのは自分でも止められず、サインはあろうとも自分で気づけることってないんすよね。

 

なのでせめて、そのリターンがきちんと耳そろえて返ってきたときに、後に自分を見つめなおすこと、そして、自分の気持ちをわかってもらいたかったんだということを認めること、そして人のせいにして逃げたかったのは自分であることを受け止め、

 

繰り返さないこと。

 

を肝に銘じていきたいな、と思います。取り返しのつかないしくじりばかリですけれども。

 

Micaさんに昔よく言われていたことばで、“すべては中立です。何事も冷静に見なさい”というのがあって、

 

数年たってから、なるほどそういうことかいね、と思う昨今です。いちいち時間かかるわ、私。

 

そんなんで、

 

うららかなGWの陽気ですね。皆さんも、楽しんでください!!!

 

 

では!

 

 

夏子

 

 

 

抑え込むことのつらさ。

  • 2018.05.02 Wednesday
  • 17:09

JUGEMテーマ:癒し・ヒーリング

 

チョーお久しぶりです、夏子ですえ。

 

風邪をひきまして。ひっさしぶりの発熱を伴うそれを。

 

副鼻腔炎になってるらしく、においが全くわからん。

 

においがわからないってホントつら。何しろ味がわからない。感じるのは辛さとしょっぱさよ。

 

【風味】という実態があるのかないのかわからないそのトッピングがないと何とも味気ない。ほんとにそう、味気ない。

 

二日間ぐらい寝た押してたんですけれども、ま、でもゆっくり寝てやっと充電した感じがします。よくわかんないけれども突っ走てったんだな、って気がします。

 

いろいろ感じることの多い昨今でした。

 

例の山口さんの件でメディアがにぎわっていますね。

 

彼のやったこと自体はNGですので擁護はしませんし、普通46のおっさんが高校生を夜呼び出す、という行為がたとえ酩酊状態だったからと言って普通のサラリーマンには普通考えられない、というか普通のおっさんには不可能なことですのであり得ないことなんですけれども、

 

彼のタレントでは可能なことであり、相手の子たちも人気者の彼だからこそ、話が聞きたかったり、近しくなることに興味はあったんだと思います。もちろん女性として見られてるから、ということではないですよ。格上の芸能人として、です。

 

気になるのは「甘え」という表現がそこかしこに聞こえるのですが、

 

ま、確かに甘え、ではあると思います。弱さの一部ですね。

 

しかし、少なくともメディアで見てきた山口さんは非常に男らしく、大人で、常識がわかっているという人でしたし、実際ほんとにそれも彼の一部だと思うんです。

 

でも、そうである姿を必死で貫こうとしていた方ではないのかな、と感じます。誰にでもある弱さ、というのをひた隠しにして。

 

誰かに相談するにしても、「大丈夫です」と言い続けていたんではないでしょうか。そして自分自身にもそれを言い聞かせていたのかな、と。

 

しかしそれは自分自身の弱さ、というか苦しみ、悲しみを否定し続けている状態ですので、非常に苦しいわけです。弱ってる自分を認めずケツ叩きまくって走りまくってるわけですから

 

その苦しさの中でも人は何とか自分を殺めないようにサバイブしようとします、そこでエゴちゃんが発動してしまいます。だからエゴちゃんは強い味方でもあるんですよね。

 

しかし、エゴちゃんは自分の中の「気づき」をブロックします。本当はべそべそ泣いてしまうような感情を跳ねのけて、仮初の自分を正当化するわけですからね。

 

だってそんなの、

 

男らしくねぇじゃねぇか

 

ってことで。

 

するとそこからエゴちゃんフィルターの中で自分を泳がせてしまうのだと思います。どんどん人として当然考えなくてはならないことなどを、大丈夫だ、とか問題ないとか、ばれなければ大丈夫とか、

 

自分のいいように解釈しだすんだと思います。

 

山口さんに限ったことではありません。私たちも同じことしてます。当然の他人の意見がそのまま受け取れなくなる。

 

きっとはめようとしてるんだとか、嫉妬しているんだとか、私とは波動が違うからしょうがない、とか。相手は幼い魂だからしょうがないよね、とか。きっと私は特別だからここのエネルギーからは卒業なんだ、とか。

 

いや、別にそうじゃねーし。同じムジナなんですけれども。。ってことが全く見えなくなる。ほんと不思議に全くもって見えなくなる。

 

芸能界という特殊な世界にいることももちろん影響はあるのだと思います。しかし、

 

子持ちの46のおっさんが高校生の女の子を自宅に呼び出す、ということが

 

おかしいことだと感じなくなるんだと思うんですよね。

 

酒、ドラッグ、たばこ、といったアディクティブなものがさらに加わると、そのおかしくなってる自分をさらに煽ってしまう要因の一つにもなり、山口さんはそう言ってはいないけれども、人によっては「酒のせいでさ」というさらに逃げにもなるのかもしれません。

 

TOKIO会見で松岡さんが言っていましたけれども、

 

まだたぶん山口さんはその自分のエゴちゃんと自分の抑え込んできた感情の作用に気づいていないと思います。

 

こっから気づいていくジャーニーに行くのか、行かないのか、は彼の人生のチョイスになりますが、

 

たぶんエネルギーの大きい方ですので、気づいていくジャーニーに行くのではないのかと思いますが、わかりません。かなり苦しい道のりです。でも、それだけ大きい課題を背負った人生を歩む人であり、ひっくり返ったときの彼に期待したいですが、

 

純粋に彼の話を聞きに行きたかった、芸能人に触れあいたかった女の子たちのトラウマは別問題です。

これは一生かけても彼が償いきれない罪で、それが許されることはないですが、背負っていくしかありませんし、

女の子たちは女の子たちで別のジャーニーが始まり、またそこで自分の人生を歩んでいく課題を持っています。

 

山口さんにはどうか自分の抑え込んできた苦しい思い、悲しい思い、怒りを見つめて吐き出し、

 

自分が作り上げたエゴのフィルターに気づき、そこでやらかした自分の「やっちまった」あれこれの事実をフィルターの外で見て悶絶し、認め、許し、乗り越えて欲しいと思います。

 

TOKIOのメンバーは彼を遠くから見つめていてくれるのではないでしょうか。しかし、彼に手を差し伸べるのは、彼が自分の感情の抑圧に気づき、フィルターを出た後、になると思います。

 

借金やアル中、薬中の人には、よくエネブラーという人が近くに共依存的に存在し、

 

エネブラー自分を保護するために、そういったアディクションに走る人にお金を渡してしまう方法で、うやむやにしてみなかったことにしてしまう人がいます。その人たちも自分の身を守るのに必死なんですけれどもね。

 

しかし、ジャニさんもTOKIOのメンバーもエネブラーにはならないんじゃないかな、と思います。ある意味突き放す、それが気づきに至っていない人に対する最大の愛でもあるよね。

 

しかし、常々思います。

 

男はつらいよ、と。

 

女は泣けばいいと思ってる、と豪語するおっさんがいるけれども、

 

お前らだって泣きたいだけだろ、と思います。でもそれは社会的にはできない。

 

私は男じゃないけれども、ハーフブレンドみたいな感じなので、男の弱音はよくわかりつつも、

 

そのはけ口として女にあてつける男を心からクソだと思う女ごころももあり、いつも複雑です。

 

男性もガンガン泣けばいいと思います。力や威嚇や酒やたばこでそれを薄めて巻き散らかさずに。

誰に聞かせなくてもいいから。

 

軟弱な男と、感情豊かな男は似て非なるものだと俺はおもう。

いつもニヒルで物分かりのいい男なんて付き合えねぇじゃん。

こっちだってどんだけってくらい、クラッシュ気味なんで、ぶつかり合ってほしいですよ。

 

。。。

 

また書くわー。

 

 

夏子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本当は知っている。

  • 2018.04.24 Tuesday
  • 23:40

JUGEMテーマ:日常

 

こんばんは、夏子です。

 

いやー。。なんかねぇ。

いろんなことがありまして、一つにまとめきれず。

 

書きたいことはたくさんあったんですけれども、疲れてしまってなかなか書けなんだ。

 

今日もいつものようにしつこく長い文章は書く気力がないんですが、

 

たぶん私たちは心の中で何が正解かを、そして何を求めているのかを知っているのだけれども、

 

そんなもの欲しがってるように絶対みせませんから、という意地や

欲しいけれども手に入れたら失う時が怖い、という恐れ、

ほんとはすがりたい程心が弱ってるけれどもそんな風には見せませんよという強がりなど、

 

弱いところを隠そうと思うエゴちゃんの作用でいろいろいろいろやってしまうんですね。

 

そんな自分を認めたくない。そんな自分を許したくない。私は自分にうそをついていることを認めたくないがために、

 

回りを批判し、これは私のいるべき状況じゃない、そうだわ?きっと私の波動が高いのよきっと、などといろんな言い訳を作っては、

 

うまくいかなかった状況を切り捨てて、それを「卒業」と銘打って、一ランクアップのように扱ってしまうのだけれども、

 

次に待ってる状況が前回よりもさらに濃度の濃い、見たくないものの凝縮された状況だったりするわけです。

 

気づくまで、めそめそと泣いてしまったり、無知だったり、暴走してしまったりしていた自分を認めて、そしてそんな自分の実存を許さざるを得ない状況になるまでその心のわだかまりを見せつける状況や人がパワーアップされた形でどんどん登場してくる。

 

しかし、ほとほと、ほんとにほとほとこの状況はもしかして回りのせいではなく、自分の作り上げた状況なのか?と気が付くその日まで、凝り切るまで、何度も何度も、こうなんじゃないの?ほんとはこう思ってるんじゃないの?と、

 

手を変え品を変え、上の方から何かが見せられるのだと思います。

 

全部プロセスとしてある。そのまずい状況が無いと、次に進まない計画がある。そう考えると気が遠くなる人生ジャーニーですが、

 

ある意味すべて流れとして起こっていて、その気づきが起こるまですべてプロセスとしてことは運んでいるのかな、と思います。

 

何が起こってもそれは気づきまでに飛ばせない必要な状況であるのですよね。そしてそれは明らかに自分にとって幸せになる方向に常に向かっているのだと思います。簡単にはそう思えませんけれどもね。

 

概念的な話しかできませんが、ほんとにそうなんだな、と思う昨今です。

 

本当の願いなんて非常にシンプルで、

 

愛されたい、抱きしめられたい、それだけなんですよね。

 

でも愛されるに値しない、抱きしめられるわけもない、と思ってしまった背景から、

 

批判したりやさぐれたり、意地を張ったり、強がったり、被害者面してしまってり、いろいろするんです。

私は悪くない!と主張しなくてはいけないのは、私が悪いからだ、と思ってるからに他ならないということ。

 

ま、そんなことをじっくりと他人に起こってることから、自分に起こってることとかからじっくりじっくり見せられた数日間でした。まだまだやさぐれてんだなー、私も。。

 

また更新します。

 

 

夏子

 

 

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