私たちは感動したい

  • 2019.09.16 Monday
  • 00:07

JUGEMテーマ:癒し・ヒーリング

 

こんばんは、夏子ですー。

 

今日は息子の小学校最後の野球の公式戦で応援してました。

 

お世辞にも強いチームではなく、少ない人数でなんとかかんとか6年間やってきて、いろんなことがあったのですが、

 

結果は負けてしまいましたが、すごいいいものをいただいたな、と思いました。

 

今までも負けが続いていた時は、何というか子供たちがあんまり生き生きとプレイしておらず、ミスばっかり目立ち、怒られ、しょんぼりと声も出ずお葬式みたいな感じになって、すごくダークな時期があったんですけれども、

 

最後ってのもあって、彼らの中に何か覚悟があったのか、全力プレイをしていて、とても感動しました。

 

そう、感動。DJあおいさんのブログで、人は叱っても、罪悪感を持たせても、そして褒めても見放しても変わらないけれども、

 

“感動”に触れた時に何か変化が起こるのだ、と言っていて、なるほどなって感じました。

 

例えば、すごいだるい試合で相手のピッチャーがストライクが入らずどんどん四球で点が入って勝つ、みたいな試合も結構あるんですけれども、

 

そういう時に勝ってもあんま見てる方もやってる方も “感動” ってないんですよね。まぁ、白星は白星で良いんだけれども。

 

でも、負けていてもがむしゃらに真剣にやってる姿、そういうのを見るとやってる本人たちも、見ている方も何かしら “感動” があるのです。で、大事なのはそこで、勝敗は結果でしかなく、私たちが求めているこの感情は白か黒かの結果に依存しているわけではないのだ、という事が良くわかりました。

 

しかし、親たちはどうしても勝敗に気が向いてしまったり、自分の子供がエラーしたりするとキーっとなったりしてしまって後で怒ってしまうようなこともあるわけですが、

 

そんな親のエゴの中でも彼らは十分に頑張っていて、そしていろいろな事を感じ、また、今日の試合でどう考えても勝ち目のない相手と競って、負けて、泣いて、っていう経験はすごくいい思い出になるし、彼らの中で何か大きなギフトになるのではないかと思いました。

 

私も、あぁ、勝つか負けるかにこだわって、自分の人生の敵討ちを子供にさせようとしている。。とこの野球生活の中で感じたこともありますし、またその事実に気づかされたのはすごく大きなことでもありました。

 

そして、私たちが求めているのはこの“感動”なんだなってすごく思いました。勝てば感動する、○○を得れば感動する、幸せを感じるとおもってどうしても結果を求めてしまうけれども、そうではなくてその一瞬一瞬に向き合い、ベストを尽くし、自分を大事にし、相手を大事にしたか、そこに求めている感動というものはあり、結果というのはなんだか別にどうでもいいもんだな、って思いました。

 

子どもの活動に付き合うってのはなかなか正直ハードですよ。スポーツに限らず、いろんな事あります、PTAとかもそうだし。そこで親同士、子供同士の人間関係で揉めたり、ほんといろんなことある。

 

でも、私は、息子にお礼を言いたい。すごくたくさんの事をここで学ばせてもらったなってホントに思う。それは子供を通して自分を見つめることがたくさんあったという事。私の中の怒りとか承認欲求とかエゴとかそういうものが “息子の野球” という活動からすごく顕著に表れ、私自身対人関係でも数々の失敗をし、そして気づかされ、成長できたなーって思う。

 

また別の意味では、彼らが活動していると朝は週末だろうと朝早起きしないとならなく、それは大変でもあるのですが、なんかねぇ、健康になったわ。朝早く起きて週末でもリズムを崩すことなく、暇だからといってララポとかで散財する時間もなく、いろいろ無駄な事を省けて、子供も体が強くなり、夫も健康になり、っていい事ばっかしよ。

 

でね、思ったんですけれども、今日の対戦相手などもくじ引きの結果で、いきなり初戦で強豪とぶつかっちゃって、しかも本当は先週が試合だったんですが雨で流れて今日になったりとかいろんなコンディションが重なった結果だったんですが、

 

今考えるとすべてが美しく、寸分の狂いもなく、非常によくプランニングされている。全部必然だなって思うんです。

 

彼らは市内で一番になるチームの運命を背負ってもおらず、都大会に行けるような実力もなかったけれども、

 

今日のこの対戦相手、この結果、この感動、今までの様々な問題、いろんなことがあったけれども、今日この瞬間の“感動”に辿り着くために今までやってきたんじゃないか、と思ったんですね。

 

チームの監督、コーチ、母親、選手、兄弟姉妹、

 

全員が何らかの共通の課題を持っていて、そこでもみ合いながらいろんな経験をして、最後にこの感動を味わい、お互いに成長する流れってか、上手く言えないですけれども、そういう必然の積み重ねのプランニングが確実に “あった” と私は感じる。

 

それは今日の試合球場にいたみんなが “いろいろあったけれどもこれでよかったんだ” と共通認識を持ってることで証明できると思います。成長したんすよ、団体で。

 

そして課題、とか挑戦って別に一番になることではなくて、社会的、他の人からの認識的に“なんだかすごい”ことを成し得ることではなくて、ほんとに“この一瞬の感動”を分かち合うとか、そういう事なんですよね。

 

でももし私が今の時点で、子供の活動で親が出て行くのめんどくさい、うちの子は下手だ、勝ち星がない、○○のせいだ、○○が○○だからだ、となっていたらそれには気づけなかったと思うのですよね。

 

ですのでね、やっぱり今ここで自分の周りにある環境には自分にとって何らかの意味が必ずあると思います。それは神から与えられた使命とか運命とかじゃなくて、そこに自分の身を置いてなにか気づきたい、そして乗り越えて感動したい、と思ってる何かが必ずある。不幸で苦しい環境をすることで、そしてその中から自分自身を見つめる事で、たどり着く“感動”がある。そしてそれを感じることが、私らの目的だと思う。

 

ある意味しょぼいっちゃしょぼい。だってそれはお金でも名誉でも、人気でもなく、自分の中で感じる感情でしかないから。

でも物質的なものを得たいと切望してしまうのは、その後について来る安心感とかワクワク感とかいう心が動くこと。つまり感動を得たいから、なのよね。

 

面白い、非常に面白い。出会う人との繋がりって面白い。

 

公式戦はもうないとはいえまだ半年続くの活動ですが、息子にとっても私ら親にとっても、とても良い経験でした。息子には、大変なこともあるけれども、“感動”って楽しい事であり、斜に構えず、達観せず、どんどん感動して、熱く、感情的な熱い男になってくれたらいいな、と思います。

 

なので母ちゃんも熱いいい女になるので見てろよ。

 

いやぁ、いい日でした。

 

 

夏子

 

 

 

 

 

徒然テレビ更新。

  • 2019.09.14 Saturday
  • 00:15

JUGEMテーマ:癒し・ヒーリング

 

こんばんは、夏子です。うっかりすると風邪ひきそうな気温ですね。

 

千葉県、まだ停電か。。えーマジで大変過ぎる、被災している方がいらしたらほんとに大変だと思います、早く電気が通りますように。。

 

ホントにさぁ、電気ってもんに生かされてるってことが身に染みる。そして太陽光ってありがたいよね。

 

こないだまで盛り上がってたドラマのあなたの番です、は思いっきり何とか48だか46の子フィーチャリングでまぁねぇ、つまんないっちゃつまんないですけれども、よく考えたら秋元康のドラマだし、仕方がないでしょう。

 

でもさ、48とか46とかの歌っていいよね。私なんかはおニャン子クラブ世代なんで同じような人だかりアイドルに盛り上がってた年代ですけれども、でもやっぱ秋元康の歌ってちょっとセンチメンタルで面白くってひねりがあって良いと思う、純粋に。頭いい人ですよねぇ、私たち半世紀ぐらい秋元さんに踊らされてるってマジで思うわ。たぶん彼、フリーメイソンよ。

 

Zozoさんが会社を離れるってニュースもありましたね。でもやっぱあの人いい男ですよね、かっこいいって素直に思う。6畳一間でウキウキして考えたZozotown,あれほどまでの企業を作った男だからそりゃエネルギー溢れたいい男ですよ。

面白そう!って思うのは誰でもできるけれども、やってみよう!って思って行動に移すのは難しい。多くの人はちゃんと土台ができて失敗しないことが確認されたらやろう、とか思っちゃうけれども、まずやってみて現場で目の前で起こった問題とかに対応することでやっとスキルと自信って身に付くよね、よく考えたら。

 

失敗しないための起業家セミナーとか、実は行ってる時点でもうアウトなのかも?って正直思っちゃうわ。

 

でもちょっと規格外のアート野郎ですよね、彼。そんな前澤さんと付き合ってる剛力ちゃんもタダものではない、そう思います。

 

そんでドラマ、凪のお暇も今日も観ていたわ。あんまり真面目に見てなくてパラパラと飛ばしながらですけれども。

 

あのドラマも面白いですよね。ってかあれがもういわゆる“スピリチュアル”の仕組みで、不思議なことってなにもないんですよね。

 

いわゆるスピリチュアル反抗期の後に自分の魂で生きる選択をしようとしている凪ちゃんの話ですけれども、私たちの生きづらさの根っ子にあるのはまっさにあれ。あれ以外なし。

 

もちろん環境はそれぞれ違いますが、親がかわいそうに思い、そして親が唯一の救いであり、だからこそ喜ばせたかったけれども自分を否定し続けられて夢を押し続けられて、あてにされ続けたらああなっちゃうんですよ。それでも凪ちゃんは優しくて忍耐強いですけれども。

 

でもああいう人お客さんでも多いのです。皆ほんとに優しくて懐が深い。私などはグレて対抗する、喧嘩売って批判する、というドラマの中での慎二のお兄さんタイプでしたが、あのお兄さんを見てもわかりますよね、“怒り”があることが。ああやって表に出せてしまう人と、凪ちゃんのようにずっと腹の下の方に押し込んでる人がいる。どちらも痛みは同じなんですが、表し方が違うだけで同じだと思います。

 

でも凪ちゃんが“変わりたい”と思った時から、いろいろ変化していくのですよね。

 

凪ちゃんが変わることなど思いもよらなかった時に付き合っていた高橋一生が演じている元カレですけれども、あれも付き合ってたつ当時は単なるモラハラ男みたいなものなのですが、

 

根っ子におんなじものを持ってるからこそやっぱり付き合ってるんですよ。で、付き合ってた頃は同じものを持ってることがわからなかったけれども、心をお互いに開きだしたらすごく分かり合えて理解できるんだと思います。

 

でもここでポイントは凪ちゃんも高橋一生も同時期に“気づき”が起こってるので分かり合うことができている。というか凪ちゃんが変化した後を追うように凪ちゃんをみて慎二くんにも変化の波が来たんですよね。

 

でも実際、多くの場合はどちらかが気づき始めてもどちらかは全く気付いていないことが多く、そういう場合は普通に絶縁になり、気づけずにおいてかれた方は傷ついたり怒ったりして、あんな人どうでもいいわ!と、別れた後すぐの高橋一生みたいな状態になるんだと思います。

 

でも変化の波に乗った方は、いくら嫌味を言われても後戻りしないんですよね。DJあおい氏の名言ですが、カフェオレはアイスコーヒーに戻れないのです。

 

一見、楽しそうな仲間に囲まれたラッキーな凪ちゃんのように見えますが、

 

“変わりたい”と本人が思うと、今まで辛かった環境、つらかった人間関係の形が変わってくるんだと思います。

どんな環境にいても人間関係があっても、自分次第で変わって行くというのは本当だなと感じる。あのドラマでは凪ちゃんが変わったことによって登場人物がどんどんインスパイアされていく、変化するのは怖いけれども、でも自分の“心地よい”ほうに勇気をもって行った事が結果的に人の心を打ち、そして皆をインスパイアし、そのキラキラした様に男も惚れ、全員幸せになるっていう、

 

ホントにこれが仕組みですよね。人間の感情が織りなすスピリチュアルの世界の全容だと思います。もう一つ上にはもっと大いなる何かはあるのだと思いますが、私がヒーリングでやっているのはその人間界の感情の仕組みの部分で解析しているようなものだと思いました。

 

ドラマで見ているとすごくわかりやすいけれども、自分自身があの登場人物上の“誰と一緒なのか”というのはなかなか気づけないのだと思います。あのドラマを見ていい!と思う人とモヤっとする人、何が面白いんだろう、ってなってる人3通りあると私は思います。

 

ソウルメイトっていうのもあれ見てるとなるほどこういう状態になると出会うんだなってのがわかります。凪ちゃんが自分の魂に沿った生き方を決意したら、人がわっと寄ってきている。見ているとわかりますが、たんに偶然に凪ちゃんを救うために周りは登場したのではなくて、変化しようとしている凪ちゃんがあってこそサポーターのように現れてきた人たち。凪ちゃんが変わろうと思っていなかったら、もし凪ちゃんが彼らと出会っていてもスルーしていた人たちですよね。

 

私たちのソウルメイトってのもたぶんそこかしこにいる。でも、皆、“会えない。どうやったら会えるの?”と思うじゃないですか。そんでその人が全部自分の何か?を救ってくれることを期待しちゃいます。

でも、実際のソウルメイトって磨き合う仲間であって、他力本願を叶えてくれる相手ではないんですよね。

 

あくまでも始点は自分。そこはどこから切り取っても答えは同じような気がします。

 

そして余談ですが、あのドラマで一番魂輝いて見えるのは武田真治だと思います。めっちゃ気持ちよさそうですよね、バーのママ役。

 

そんなんで熱くまたテレビを語ってしまってるわけですが、テレビ観るぐらいしか今娯楽がないのよ、後は日中ずっとパソコンとにらめっこしてて。はぁ。

 

バイザウェイ、小泉進次郎くんより、私はお兄さんの方が政治的なポテンシャルがあると思うんですが、お兄さん、出ませんかねぇ、選挙。弟よりいい仕事しそうな気がするんですけれども。。。

 

まだ38なんだからもっと若々しいしゃべり方したらいいのに、と思うんですが、お父さんをリスペクトして止まないんだろうなって思う。今の時代珍しいですよね、あのような世襲の人たち。

 

問題が山積みの日本で、クリステルと一緒になにか起こして欲しいですけれども。政治には関われそうにはありませんが、自分の中のレボリューションをとりあえず起こしたいなって思います。

 

肌が乾燥してきました。。いやーついにこの季節が到来ですね。やだやだ。。。

 

明日から三連休ですね、皆さんお疲れさんした、ゆっくり寝ましょう!

 

ではねー

 

夏子

 

 

マウンターの私。

  • 2019.09.10 Tuesday
  • 01:12

JUGEMテーマ:癒し・ヒーリング

 

こんばんは、夏子です。

 

昨晩の台風で皆さん大丈夫だったでしょうか。停電のエリアもあるとのことで、電気がないってホント不安ですよね、早く復旧しますように。。

 

先日ようやく長かった“ひざ下脱毛”がファイナルを迎え、あぁ、毛の処理をしなくていいってなんって素敵!と1人デュワーってなってました。

 

思えば中学生ぐらいから剃っては生え、剃っては生えの連続、どんどん太く濃く、そして鋭くなるすね毛に悩み続けた30年間にピリオドを打つってなんてときめきメモリアル。なんでもっと若いうちにやっとかなかったのかなぁ、とほんっとに思います。

 

脱毛技術も昔の基準で考えていたので金もかかるわ痛いわ、と思い込んでいましたが、もちろん金は今でもかかりますが、でもあの付きまとう毛との戦いを考えるとうん万円投資したのは良かったと心底思います。40代でも50代でもまだ毛についてイラっとする思いがあるのなら、やるべきだと私は思うわ。娘も私ににて剛毛だと思うから早いうちに何とかしてあげようとマジで思います。子供でもエステサロン行くって昔聞いて、えー、そんな、なんでやねんと思っていましたが、娘本人が気にしだしたら一緒にマジにエステ行くこと考えようと思うもの。

 

そんな毛の話してますけれども、最近ちょっと落ち込み気味で。悶々としておりました。

 

なんていうんですかね、自分の“マウンター気質”ってのがすごく客観的に見れるようになってしまったんですね。

 

なだれ込むような“あたしをわかって”攻撃。自分ではうまくやってたつもりだったんですが、わかって欲しい相手に対してものすごい上から目線になったり、余計な事言ったり、相手を思っているそぶりで自分の売り込みとかを延々やってんだな、自分、ってのがすごく身に沁みました。

 

ヒーリングするときってのは自分をちょっと別の所に置いているのでそういうことはあまりないんだけれども、

 

日常の中ではめっちゃマウンティングしてんだなって思う。

 

マウンティング女子対策!みたいなコラムとかよくありますよね。あれを私もマウンティングされる側の人として読んでいたんですけれども、

 

むしろマウンターの方なんだな、ってふと気づいてしまい。

 

マウンターになってしまう人というのは基本的には“ハリボテの自信”で自分を支えている人たちです。

 

どうしてそうなったか、についてはいろんな経路があると思いますが、親にお前はすごい、最高だ!と褒められながら、暗には“だからしくじるなよ”という圧をかけられていた人や、

 

馬鹿にされたり人に拒否されていたりした経験から自己肯定感が低く、でもその自己肯定感の低さを“戦って勝つ”事で克服しようとして中途半端に達成してきた人もいると思います。

 

どんだけ自分を高い位置に置こうとしてマウンティングしても、土台がぐらついていますから何か一瞬でも否定されると駄々崩れする、それが怖くてどんどんどんどん自分のハリボテが大きくなり、本来の自分ではない【何か素晴らしいもの】が自分だと思い込み、周りも自分の事をそう思っていると信じてやまなくなってしまうのですね。非常に怖い心理です。

 

でもマウンターってマウンティングしてる割に、それほど成功体験がある訳じゃないんですよ。たまーにあるんですけれども。基本的には全部空振りで終わってる。でも一握りの成功体験を握りしめ、これが私、私の本質、自分は一番すごい!下々の愚民はもう絶対あたしに太刀打ちできない!みたいな虚構の世界で生きようとしてしまうんですね。

 

でもめっちゃ鎧の下は弱くてビクビクしているのです。いつ刺されるか、と怯えている。でもそんな自分がいるなどとは決して認めない。

 

どんな事についても【自分の重要性】を示そうとしたり、聞いてもいないのにアドバイスしてきたり、何についてもシニカルな意見を言ったり、ある状況を見て、どうしてもっとこうしないのかな、きっと○○なんだよね、などと悟った風情でいたり、単なる連絡すればいいだけの時にも、実は自分が大変な状況にいる、というような細かい事情をいちいちどんなメッセージにも含んでみたり。

 

マウンターってのはアピるのに常に大忙しなんですよね。

 

最近小さなことが畳みかけて起こり、なんだろな、と思っていたんですが、

 

あぁ、わたし、マウンティングされる側じゃなくてマウンターなんだ、って事への気づきでした。

 

なんでマウンターやってんのか、って言ったら、

 

やられる前にやらないと阻害されたり馬鹿にされたり一人にされたりしたんだもの。自分が重要だ、とアピールしないと誰も頑張ってる過程を見てくれないと感じたし。馬鹿にされる前に馬鹿にされない“ネタ”を先に見せて相手を抑え込んでおかないと優位に立てない、優位に立てないと自分の価値がないような気がするんだもの。

 

幼いころに経験したこのような感情の経験を呼び覚ます出来事がフラッシュバックのように襲います。あぁ、私、あの時の出来事をきっかけに、こんなふうに人の前で振舞う自分になったんだな、とかね。

 

あぁ。

 

やっちまってたなぁ、いろいろ。ほんと恥ずかしい。情けない。今思うとあの時意気揚々とあんなこと言ってみたけれども、周りは白けてたんだろうなとか、うわ、めんどくさって思われてたんだろうな、とかいーーーっぱいあります。

 

そして私がマウントしていた相手っていうのは、やっぱり私の気持ちを【わかって欲しい相手】だったと思います。自分がちょっと気に入ってる人とか、自分よりちょっとできる人とか、皆に好かれている人とかね。そういう人に対して挑戦して勝って、自分の存在を認めてもらいたかったのだと思う。

 

責任感が強い、っていうのもある意味マウンティングなのかもしれない。私は絶対に崩れることない、完璧にこなす人ですよ、っていう圧を相手に投げかけているわけですよね。一瞬の“隙”も相手に見せずに涼しい顔でやってのける自分、みたいなのを演出したいのでしょう。

 

完璧にやりのけてるつもりだったんですけれどもね。周りには笑っちゃうほど無理してるのがわかってるのでしょうね。

 

あーやっちゃったやっちゃった。。。とてつもなくやらかしまくってるじゃん、あたし。過去に戻って全てを消したい。

こないだも変なメールある人に送っちゃって。考えたらその人に全く関係ないことなのに、自己PRしまくってる文面で、なんであんなもん送ったんだろうってホントやっちまったわ。

 

もうちょっと黙ろう。何か誰かに言う前に、それはどういうつもりで私は言っているのか、をまず自分で考えた方がいい。

 

ビクビクして生きているとどうしても空気を読みすぎてしまうんだけれども、周りの空気を読んでばかりいると、自分自身が出している空気がわからなくなる。

 

こんなにも私には誰かに“わかって欲しい”がまだまだあり、まき散らしている。しかも単純に“わかって!”と大声で言うならまだしも、自分を大風呂敷を広げて見せたり、人を威嚇したり見下したりしてめんどくさい方法で小出しにし、人も自分も結果として傷つけているという悪循環。

 

でもこれはもう認めるしかない。そういう人間だったのだ、という事を受け入れ、許し、そしてこれから改めよう。

 

生きて行くっていうのはこれの繰り返しで、いつまでたっても成長の終わりってないんでしょうね。そして完璧な人間になることを目指してもしょうがなく、そんな自分への痛みと情けなさを認め、変わりたいと思える柔らかい人間でありたいと思う。

 

意地を張って逃したものや、虚勢を張って失ったもの、他人に求めすぎて怖がられて逃げられた事もたくさんある。

 

もうそういうのやめよう、やめよう。自分の価値を自分で認めよう。

 

またいろいろ感じた事を書きたいと思うわ。

 

ではね!

 

夏子

 

 

 

 

 

 

 

徒然なるほどわかった更新。

  • 2019.09.04 Wednesday
  • 10:39

JUGEMテーマ:癒し・ヒーリング

 

おはようございます、夏子です。

朝っぱらから更新。。ですけれども。

 

iPhoneで受信していたメールが届かなくなって、はて、何かしら?と思ったらサーバー管理側でなんかアレコレやっておいてくれないと止まりますよ、みたいなメッセージが来ていたわ。

 

てかもうパスワードだらけでわけわかんない。統一したくなるわよね、こんなんだったら。でもそうするとセキュリティがどうのこうのっていうけれどさ、もういくらセキュリティって言ってても全部追っかけっこで間に合わん。お母さんそろそろ文明に遅れだしてるからついていけないわ。

 

だらだら昨晩も徒然を書いていましたが、なるほどどういう事なのかわかった気がします。

 

“責任”ってやつですね。長年の私のテーマの。責任を果たしてこそ認められるという根深いトラウマに支えられた私の思い癖から離脱をせよ、みたいなところなんだと思います。

 

いや、無責任になれ、って話ではなく、仕事や役割を放棄して言いわけではないのですが、

 

もっと柔らかく、無理せずやりゃぁ良いじゃん、ってことなんだと思います。

 

責任感を強く強く持ってしまうと、周りにもそれを押し付けるし、エネルギーが固くなって何か寄せ付けないオーラ出しちゃってるんでしょうね。

 

“こんなに私はいろいろやらされてもう辛い!”ってことありますよね。自分自身でなくてもいろんなところでそういう人たくさんいる。でもやっぱりその人はどこかなんでも受け付けちゃってるところがあって、場合によってはそれは無理です、と打ち返さないといけないのに、打ち返すことをすると相手をがっかりさせてしまう、期待に応えられていない、これを断ったらダメな人だと思われてしまう、という思いが何でもかんでも受け付けてしまう自分にさせてしまう事は多々あります。

 

なのでその人があんまり苦しそうなので、周りも、もういいよ、知らん顔していなよあなたがが責任を負う必要ないじゃない、大丈夫!と言ってくれるんだけれども、

 

そうなると急にくるっと表情が変わって、それは私の管轄内なんで自分でやります、と強く出てきたり、あ、そう、わかりましたじゃぁもう知りません!と拗ねてほんとにやるべきことも放棄しちゃったり、それは何ですか、私はもういらないってことですか?ひどい!みたいになってよりメロウになってしまったりします。

 

心理状態としてはその苦労している姿を見てもらって、慰めてもらって、あがめてもらって、且つ、あなたがいないとニッチもサッチモなのよ、必要なんだよ、行かないで!と言ってもらいたい、自分は必要不可欠な人であると思ってもらいたい、みたいなものがあると思います。

 

自分の苦労を【当たり前だ】としてほしくない、その頑張ってきた過程を認めて欲しい、わかって欲しい、理解して欲しい。で、それを態度などで暗に表し、他人からの言葉を求めているのですけれども、

 

周りの人にしたら、何かをお願いしても私ばっかり!と怒るし、かといって取り上げてあげても拗ねるし、っていうのでやたらアンニュイで困ってしまうわけです。

 

ほとんどの人はそれでもその人を暖かく見守ってるという事実があるんですが、本人はあんまそれに気づけないのですよね。

 

頼られたいけど、頼られると損する気持ちなるというパラドックス。はたから見るとどっちやねん!っていう。

 

つまり“辛くてひーひー言ってる私を見て!”という事が目的になっているのですが、では、ひーひー言う要素を取られたら舞台がなくなり、観客が消えたところでじゃぁ自分はいったいどうしたいのか?を迫られると特にない、みたいな感じ。

 

で、こんな状態になってる時って、本人の中にある“やらない私は認められない”みたいなエネルギーが、

“はいそうです、やらないあなたはダメ人間です”と責めてくる一定の人を引き寄せるんですよね。なんでか知らないけれども。

 

そういう人が1人でもいると本人はそれは全体が私に対して同じように思っている、と感じてしまうので、また追いつめられる。

 

ですので、

 

同じ結論になりますが、本人が先に“私よくやってんな、頑張ってるな”と自分を認めてあげることをしないと、周りの状況に振り回され、“私頑張ってる、でしょ?でしょ?”と確認し続ける状態は終わらず、そいろんな態度で人から承認を引き出そうとしてしまい、つまりそれは実は自分が “スーパーかまってちゃん” になってるのですが、それに本人は気づけず、結果的にその人の頑張りの認知に繋がりにくかったりするわけですよね。

 

私が組織やグループに対して“コミットしたくない” と一匹狼気取りになるのはおそらくこんな心理が働いていると思いました。

 

どうやら“責任”をもうこれ以上持ちたくない、と思ってるのですね。

 

じゃぁ、無責任で良いよ、と言われても責任を果たさない自分など社会から捨てられるぐらいの恐怖があるから、どんどん勝手に責任を背負い頑張ってしまう。でもその責任を果たしたことを認められてじゃぁもっとこんな形で頑張って!みたいになると、“これ以上要求すんなや。搾取すんなや。私にもやりたいことがあるんじゃ。”とか拗ねてですね、急に冷たい態度みたいになってしまうのですよ。

 

じゃぁその “やりたいことがあるんじゃ” をとっととやりゃぁいいじゃん、って話なんですが、それはなんだか発進できない、実は誰かに課せられた責任を果たす役割を果たす、以外に“私はこうしたいんじゃ”みたいなものが特にないという事が露呈されてしまうのです。

 

そうするとまた不安になってきて、いや、そうじゃない、私は価値があるのよ、とまた “責任” 受付けに行く。そしてまた受け付け過ぎて苦しくなると被害者意識が発動して、プイっとそっぽ向いて超無責任になったり、しれっといなくなる、などを繰り返す。

 

というわけでね。私に関しては、一見【責任】と思うことももっと気楽にやりゃあいいんだってことなんだな、って思いました。

全力を尽くして無理だったら辞めればいい。ただそれだけの事なんですが、いちいち力入ってる上に、私もアンニュイでめんどくさい人なんでしょうね。

 

しかし、そういう思い癖がまだあり、それに気づくことも流れになってるようなので、

 

レリゴーですね。レリゴーして無駄なアクションを自分から仕掛けるのはやめよう。

 

何かあーしなきゃこーしなきゃ、と躍起になって1人ワンダーフォーゲルをしだしている場合、

 

ふと立ち返って“一体それは誰に求められているのか?”をふと考えてみると、

 

自分以外の人はそこまで自分に期待もしていない、ってのがあります。がっかりな事実なんですけれどもね?以前は親とかから期待されていたかもしれませんが、大人になると他人からはそこまで実は何も求められていない。

 

でも被害者意識があるとどうしても自意識が強くなってしまうんですよ。みんながあたしに大注目なんでしょ、そうでしょ??みたいに。

 

楽にいこう、楽に。これも流れです。

 

涼しいわねぇ、今日。

 

まったねー♪

 

 

夏子

 

 

 

よし来たぞ。なんか流れがキテる。はず。

  • 2019.09.03 Tuesday
  • 23:36

JUGEMテーマ:癒し・ヒーリング

 

よくわかんないタイトルですみません、夏子です、こんばんは。

 

この間みちよさんとお話していた時にも出た話なんですが、

 

半分以上私情垂れ流しのブログとは言え、なんかこう言いたいことをたくさん書いたのにうっかりなんかのキーを押しちゃって、ざらっと全部消去しちゃうことあるんですが、

 

それってたぶんもう【いや、その話いらん】ってやつなんだと思うよ、とみちよさんもおっしゃってましたし、私もそう思います。余計なこと言わんでいい、みたいなね。

 

偶然とか不運ともとれるんですが、そういう事普通にあります。なんかややこしいメールが皆に届いてるのに自分だけその時サーバーおかしくって届いてなかったとか。知らなかったがゆえに行動したことが後になって功を成した、とか。

 

後はお客さんのセッション予定にしても、日時まで全部決まっててそれまで何にもなかったのに、突然直前になって予定が変わってこれない、とかもあります。でもそれも聞くタイミングではなかった、とか、頭ではセッションしたい、と思っていても心では拒否していたりとかそんなこともあり。

 

昔懐かしい話ですが、みちよさんとの電話セッションでみちよさんが私の母の話題とスピリチュアル反抗期の話に触れようとすると、電話の声が聞こえなくなるという現象とかもありました。どうでもいい話のときは普通に聞こえるんだけれども、バイザウェイ、つまり夏子さんのお母さんのね。。と話を戻すと不通になるんですよ電話が。

 

その辺のパワーは私は特に強めなので、“ありゃーなんかブロックされてるみたいね”とみっちーにも言われましたが、面白いものです。

 

そんで、

 

ちょっとなんか周りが動き出しました。いくつかの事がシンクロしてきている気がします。でもこれもはたから見ると何か大きなチャンスを夏子さん逃してね?とも取れることなんですが、

 

どうしていいかわからなかったので、流れに任せた結果、思ったような流れが来ているような感じがします。

 

ある話があり、乗っても良かったとも思うんですが、なーんかもやるというか。なーんかちょっとうーん、どうなんだろう、と心が言っていて。

 

乗った方が世間的にはいい話なんです。どう考えても。でも、その話に乗ることは私としてはなんていうか承認欲求を満たすうえで良い話、ドヤれるいい話でもあり、昔だったら飛びついてるんですが今回は飛びつかなかったですね。

 

そして飛びつかない、としてもじゃぁ飛びつかなかったら何が残るの?何を守りたいの?って言ったらなんも残らないし、守りたいものもないんですよ。あるとすれば自分で自分の道を切り開くしかない世界で、何も約束されていないところに1人ぽつんと立つ、みたいなことになる。それはとても不安。でも今回はもうその不安にとどまる方が良いんじゃないかな、と感じてはいたんですよね。

 

そしたら、私の判断を提示するまでもなく、話が消えて行く、というか自然に静かになってきて。それは私が必要なくなったからなのかい、ぎゃー!みたいな私の中の恐怖をあおられたりもするんですけれども、でもはっきりと自分の答えが出さなかった自分への当然に結果でもありつつ、でも頑張ってやります!って言ってたら自分の首絞めちゃってただろうな、やめといてよかった、みたいな安堵もあり。

 

 

ここまで書いてなんのことかさっぱわからないと思いますがwwすんません、詳細には言えませんが、

 

何が言いたかったかというと、社会的認知とか【素晴らしい私】を目指していた自分ならガンガン獲得しに行っていたことを今回はあえて取りに行かずに、いやぁいい話だけれどももっとこうなったらいいのにな、そこまで今回は山登りする必要ないな、でもわるい話じゃないし、どうしよう。。。と思いつつ流れに任せていたことが、なんだかんだまとまって自分の良いように流れてきた不思議ってのを言いたかったのよ。

 

とにかく私は全部自分がやりたいようにやりたいらしい。すげえワンマンな人間だなって思います。協調性とか責任感とかそういうのがホントにたぶんしんどいんだと思います。エネルギーはあるので使いたい、でもそっちに比重を置くのはもうやめたいのだと思う。

 

楽しそう、と思う事、そっちの方が心が楽だ、と思う事をやって行こう。どうもほんとにそれでいいみたい。今まで信じてなかったけれども。苦しく険しく激しいロードの末、山頂に登って1人手にするビールがうまいはず、と思っていたけれども、別にビールはいつでもうまいんでね。

 

でも楽しそうで心が楽な方を選ぶってことは、全部自分で決めるって事で、簡単で労力が少ない方を取ってるってことじゃないわけなのね。ただ、エネルギーを注いでる先が自分の為になるだけで、苦しさは変わらなくても自分が満たされるのね。

 

自問自答してるだけの投稿になりましたが、9月に入り、2019も後半戦。ってか後4カ月弱。はえー。

 

頑張ろ。

 

氷川きよし様から最近目が離せないわ。どんどん進化するKiyoshi、応援しています。最終的なKiyoshiのアルティメットフォームはどこにあるのだろうか。氷川君に黒夢とかバクチク歌って欲しいんですけれども、やってもらえないでしょうかねぇ。

 

そしてあなたの番ですの犯人は誰なのかしらね??あたしは未だに翔太君自身を疑ってるんだけれども。しかし、またしても秋元康氏の策略にまんまとはまってる私たち。底知れない魔王だわぁ。。

 

涼しくなってきましたね、皆さんも体に気を付けて!

 

ではねー♪

 

夏子

 

 

 

 

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