そのまんまで貫く

  • 2017.08.16 Wednesday
  • 21:44
こんばんは、夏子です。

昼寿司、夜焼肉、おやつにまんじゅう。
どんどんパワーアップしてるわー。夫実家より。

それにしても今年の夏はさみしいわ。ほんと涼しいわよね、こっちなんか朝布団出したわ、あまりの涼しさに。

みちよさんの恋愛blogで、

私は男の実力をみる。顔面はアクセサリー。

と言うお話があって、

痛快だわ??

と思いました。お金はその男が実力の上に得たものならかっこいいですけど、親とかの環境因子のみで得たものなだけなら意味ないですよね。

男は実力!と言い切れるのはまっことカックイイ。

だって私ら控えめにしてぶりっ子してみたり、皿とっかえひっかえして良い女気取ってみたり、整形したり痩せてみたりと、

ジェネラルなモテを目指すじゃん?馬鹿にされないように。人からダサいと言われないように。

もちろんそれも自分が気分良くなる為なら良いんだけど、

大体はそうしないとモテないとか変に見られる、とかそういう動機だよね。

つまりは自分が男に気に入られないとならない、という自己卑下の上で、

誰が一番可愛く見せるのを上手くやってるとかやってないとか、あの人ぶりっ子とかダサ子だよねーとかさ。

そう言うすげぇ、小せえ話。

でも男を実力でみる、ってのは、
自分を完全に受け入れて認めているからこそ言えることだよね。



これは私のエゴが絶賛入ってるのは承知だけど、

大概の男より私は頭が良いと思うし、

行動力もあると思し、

強いと思う。

でもそれを出しちゃうとメスゴリラ呼ばわりされる、嫌われる、女として見られないと思うから、

一生懸命セーブしていた気がします。
ヒョウ柄はやめとこ、、とかもね。

でもなんか、

バカバカしくなってきた。

仮初めの抑えた私を好きになられても物足りない相手に合わせてやってるだけで後でイライラするだけ。

物足りない、とか言うのは上から目線とか愛がないとか、だからそんな風に感じたらダメなんだ、私のエゴなんだ、と自分を戒めていたけど、


相手が物足りない、って感じるのは自分が自分に物足りてないだけじゃんね。
つまんないことやってんね、私、と自分をつまんない認定してるだけね。


私は自分が女はこうあるべきだ、と感じていた女にはなれないようだわ。

そしてその姿が世の8割の人に後ろ指刺されても、その8割に気を使って生きる事にもう飽きたわね。

私のそのまんまを受け入れてくれる人に出会えるには自分がそのまんまにならなければならない。


ほんとは私はこんな人なのにイジイジ、、とか、

言わずもがなわかるはずでしょプンスカ!と

さんざん人にちょっかいを出し、私をんかってアピールをかまし、相手がそれをわからないと吊るし上げるような事をしてきたけど、

そのまんまを自分でも自信持ってやれないのに、そのまんまをわかってよ、とか素敵よ!って言ってよと周りに頼んでさ、

自分が認めてないものを他人に何百回言われたってどうせ何度も何度も確認したくなるだけね。
そんな明白な事がやっぱり腹ではわかってなかったのだなと思いました。


もうほんといいわね。うんざりだわ。
人にどうこう想われるとか、社会の目とかね。

特に私の弱点だと感じていた女性性の部分。

こんなに男らしかったらダメだ、と思ってパワーをいろいろ抑えちゃってたけど、

可愛くしても別にモテねーし憧れられもしないし、素敵な妻でも母としても表彰されてるわけでもないので、


私も男は実力で見てる。だから私も私を女らしさでジャッジするのはやめよう。

最近ショートカットにしたり、働き出したのもそれがあんのかもしんない。

私の中で勝手に作り上げたセオリー。
意味ないし重くてウザいだけだったわ。

誰も傷つけないで生きてはいけない。

また傷つけられないで生きることも無理ね。

しばらくそんなのが本当に嫌で自分をなるべく控えて生きて見たけど、

やっぱり苦しいわね。だからそれはやめるわ。


何が変わっていくわけじゃないし、私もいまいち説明できないけど、

なんか懲りた

そんな夏よ。


それでこれはすごい私には大きな転機だわ。
グイグイいくわ?ってだからまた食ってガソリン入れないと。

ではね!


夏子

素直になる。

  • 2017.08.15 Tuesday
  • 21:40
夏子です、おこんばんはー。


スマホから更新よ?

旦那実家に来ております。3日ばかりお通じがなくて苦しいです、、はー。。外泊はいつもそう。以外とナイーブ。


まwwいきなりなんだよ?な口火でしたけどww


素直が一番


ってさ、よく言われるけど、まさにそうなんだな、と思います。

素直=従順さ

ではないと思いますけどね。
人の話を鵜呑みにしたり他人を疑わないから素直か、と言えばそうではないと思うわ。

ま、他人を色眼鏡で見ないと言うのは自分を信じているからこそでもあるけれども、なかなか無菌室で育つわけではないし、そんなキャンディキャンディみたくいつでも真っ直ぐに人をあたしも見れないわ




自責ってさ、悪いのは自分なんだからほんとすんません、ってなっちゃって、

その必死な様はずるい人、悪い人からは遠く、ごめんね、ごめんね、づ頑張ってるから、だからこそ優しい人は皆んな助けてあげようともするんだけど、


自責が強い人にちょっとしたアドバイスをしただけで、

『出来ない私が責められている』と取って怖がってしまって、そうなるとアドバイスを言った相手もそんな風に取るならもう良いです、何も言わないです
ってなってしまうし、

自分が怖いと感じる人には近づかず、自分が言いやすい特定の人に全て流し込んじゃったりすることも多いので、

後になって、その流し込んでた相手に私にばっかりくっつかないで!とか言われて傷ついたり。



辛いよね。
本人は必死なだけなんですよ。悲劇のヒロイン気取ってるわけでもなんでもない。なんとかして受け入れてもらおう、役に立とうと必死。

でも裏目裏目にでちゃう。

そういう時ってこんな厳しい環境にプチ当たった己の不幸を嘆いて、だから私は苦労すると言いたくなるけど、


やっぱり大人になってから展開されるまたこれか!、のいつものパターンの後ろには悲しみと怒りによる防御姿勢があって、それがほんとは必要のない場面でも発動して苦しくなっている。

自分で自分を苦しむ環境に追いやってしまうのよ。自分をかわいそうな人に仕向けてしまっている感情の蓋があります。そしてそれをやってる限り自分も相手も変わらない。

ほんとそこは怒りを出して、いろいろと自分の世界観にベールをかけている感情の吹き溜まりを出してみてただ起こっていることをフラットに見えるまで出すしかないと思います。

今起こっていることを、自分が責められてる、と感じずに素直にみること、それが何よりスムーズで、また一番多くのものを吸収できる状態、引き寄せる状態なんでしょうね。


何かもっとこうしたら上手くなるよというアドバイスがあった時に、

やっぱり私はここでビリなんだ、もう嫌われてるんだ、いまの嫌味なんだ、と感じるか、


へぇそうか!良いアドバイスもらったな、次はやってみよう。

と思えるか。前者だと大体、いまそれができない理由みたいなのを並べたて始めちゃう。本音が抵抗するんですよね。私はそんなできないわけじゃない!って。

でも誰もできないあなたがだめだと言っているわけではないシチュエーションだったのかもしんない。でも全部自分がいけないんだ!という風に受け取っちゃう。

もしくは最大の嫌味を乗っけて注意してくる人もいるかもしれない。でもそれはその人も『そんなことも出来ないの?』と言われてきたものを無理グリ乗り越えてきたから出来てない人がイライラすると言う裏側があるからこそ感情をぶつけられてるだけなので、


もちろん怠けてなんもしてないなら怒られて当然ですけど、いわゆるマウンティングされても、
マウンティナーの気持ちがわかると不必要に恐れなくて済むようになります。



何度も言うけどほんとシンプル。怒りと悲しみの解放だけが必要だと思います。


んで、


なんか私もさ、最近『もういっか』と思うわ。

人にこんな人に見られるように生きることの全てね。

かなり自由になったつもりだけど、まだまだものすごく他人を気にしてるんだ、と言うのを最近シリーズで見せられました。自責が転じてやさぐれてたのも気づいたわ。



あれやこれやと自分を素敵に見せたり正当化して来ましたけど、

なんかずっと苦しかったな、って。

こんなカッコしてたら、こんなこと言ったら嫌われちゃうな、好かれないなモテないな、といろいろ計算して来たけど、

思い描いたような結果なんて一度もなったことない。

むしろ、最初は良くても最後は苦しくなってわかってくれない!とやさぐれ、落ち込み、孤独になりうまくいかない世間を呪ってみたけど、

なんにも生産性がないわね、と改めて実感。

でも、こう見せたい!と志し、手に入れたものたち。これはあたしの努力の結果よ、誇らしいわ。


これらを手に入れても精神的にはあまり救われなかったけど、

技術や経験は金になるし、自信をくれるわ。

これからはこれらを引っさげて、

縦横無尽に生きたら良いんだわと思います。

前からずっと言ってることなんだけど、

つい先日にペロンと気づいたわ。バリア張ってる自分に。。


やったるでー!の歳になるように頑張るわ?


ってかまだ腹一杯だわ。。ねれない。


ではね!

わかってくれそうだったから。

  • 2017.08.11 Friday
  • 23:25

こんばんは、夏子です。

 

涼しいですね。むしろ小寒いです。

 

本日43歳になりました。43かぁ。なんだかなぁ。

 

これがほんとの私じゃない!と思い続けて43年。なかなか見つからないものですよね、自分って。

 

一番自分を理解していないのが自分、ということなんだなと思います。この旅、死ぬまでやり続けるのかなと思います。

 

ここ2,3年、ちょっとわだかまっていた人がいて、と言っても別に特別な関係でもなんでもない、ただの知り合いなんですけれども、

 

別に仲が悪いわけでも良いわけでもないんですけど、なんか気になる。気になるけどちょっと小憎い、みたいな不思議な存在のだったんですが、

 

今朝起きた時にほんとに急にストーンと、

 

「これが私の全部じゃない」ってことをこの人にわかってもらいたかったんだな、って言うのがわかったのよねぇ。

 

仮初の私だけ見ないで!ほんとはこういう人なんだよ、こんなことも考えてるんだよ、こんなユニークな面もあるんだよ、みたいなものを、

 

なんかわかってもらいたかったんでしょうね。でも自分もその人の前ではサラッと受け流す、と言うか出来る自分だけを見せてカッコつけて去る、そんなことをしていたと思います。

 

そして多分相手の人もそうだったんじゃないかと思います。「役割」を全うしている人で。でも後ろではすごい努力している人なんだと思いますけれども、

 

これが自分自身100%じゃない、いろんなことを自分だって考えてるんだよ、みたいなものをおそらく私にわかってもらいたかったんじゃないかと思いました。

 

でもそういう者同士がいざ面と向かうと、

 

お互いに「いや、そんなに熱く考えてないっすよ?」みたいな体でかっこよくさらっとやってしまう。でもシェアしたかったんでしょうね、わかってるよわかるよ、と。

 

それも他人を使っての自分探しの代替行動なんだろうね。なんか妙にその後ろ側がさらっと見えて、今朝は布団の中で1人膝を打ち、そしてフフフと笑い、そしてなんだか泣けてくる、という不思議な朝でした。

 

そういう相手って特別視しちゃいますよね。もちろん気づかせてくれる相手として特別なんだけれども、

 

そして私自身も私がその人にとっての特別、影響を及ぼす女神!ぐらいのことを特別意識では考えてしまったりもしたんですけど、裏を返せば同じもので引き合っていたのだと思います。そういう意味ではソウルメイトっちゃソウルメイトね。

 

しかし気づいた今、この人との関わりは形を変え、または消滅する、そんな気がします。

 

LaLa Land観たわ。面白かったです。

 

見る人の立場と言うか人生観によって感想はだいぶ異なる映画だと思いました。

 

私にとってはすごく切ない映画でした。

 

夢を見ながらもうまくいかない2人が励ましあって、互いを理解し合って、わかるよ!でも頑張ろうね!って時代を過ごし、

 

でもそれぞれ自分の道を突き進んで行くとやっぱり同じ線上を歩けなくなってきて、

 

一緒に居たいけれども、一緒にいると違いが制限されてしまうのがわかって、離れてしまう。

 

でもお互い自分の軸が出来た頃に再会したときには、すでに互いが互いの人生を進んでいるのでクロスしない。

 

そんなことも多いにあるよね。多分若い頃この映画見ても男と女の悲しいストーリーにしか見えなかったかもしれないけれども、

 

この歳になると美しい、と思えるわ。

 

頑張ってそれでも一緒にいたら、違う未来もあったのだろうと違いに思うけれども、

 

その時はそうするしか無かった互いのマインドがあり、

 

成就しなかったけれども、でもあの頃の私のエネルギーを認めあって支え合ったよね、って言う同士、って言うのかしら。

 

そういうのもあるわね。人生。

 

切ないけれども、悔いても妄想してもその時はそうするしか無かった、ってところで深く理解しつつも慕情は募るみたいなさ。

 

大人のラブストーリーだと思いました。

 

うまくいかない相手ってのはいるけれども、

 

でも必ずその時代の自分と引き合っている限り、例えその当時は憎んで嫌ったりがっかりしていても、やっぱりエネルギーとしては引き合ってるんですよね。

 

でもその後にお互い自分の道を嘘なく進むと、

 

最後にはそのわだかまっていた相手との関係性が見えてきて、

 

よくぞあの頃のとっちらかった自分と付き合ってくれたな。

 

と感謝に変わりますね。

 

そういう風になりたいですよね。例えその人がもうそばにいなくても。

 

そう思えるためには、

 

まずは遠慮せずに生きないといけないんだと思います。じゃないと最後結局お前のせいで!ってなっちゃうもんね。

で、互いにお前のせいで!ってやってたら互いに後悔するよね。

 

そんなわけで、涼しい夏の夜、爆睡しようかと思います。

 

 

あでゅー

 

 

夏子

愛されるよりも愛したいか。ってかそもそも愛って無条件のはず。しかし。

  • 2017.08.08 Tuesday
  • 23:51

JUGEMテーマ:癒し・ヒーリング

 

夏休み疲れです、こんばんは夏子です。

 

もうこうなるとむしろ仕事が息抜き状態ですけれども。しかし子供も成長して1人でなんでもやるようになったなーってほんと思います。

 

まだ小学生なんで危なっかしいですけれども、なかなかにしてたくましい。そういうもんなんだなーと思います。

 

しばし熱く語っていた校長とのバトリングについてもなんだか私の範疇を超えて地域交えての問題となり、いろんな人が動いてるそうで。。良くわからないけどなんか投じちゃった、そんな感じなのかなと思います。いろんなことが臨界点に来ていたのでいろいろと皆で考えるタイミングだったのだろうと思います。いろいろと憤慨したりしましたが、全て繋がっていると言うのを感じます。

 

こないだは夜遅くまで三年ぶりぐらいにあったママ友と飲み明かすと言う場面もあり。

それほどプライベートで親しい人ではなかったのだけれども、この人とはなんかあるだろう、と思っていたらこんな感じでまた繋がって、

 

語ることはといえばものすごいお互い状況が似ていて、彼女に話をしているようで自分に語っているような不思議な時間でした。

こういう時って時間軸がぶっ飛ぶんだけど、1時間ぐらいかな、と思っていたら5時間語っていました。

 

面白い人でね。ものっそパワフル。生ビールかっこみながら弾丸トーク、かっこよかったです。三年ぶりにあったのに昨日もあったような不思議な感じ。あんまり時間って関係ないんだなって思います。

 

それから遅ればせながら「君の名は」を観ました、DVDで。何故か涙が流れるという不思議な映画。お話自体は良く練ってあって面白いストーリー展開なんだけれども、私この話の何にそんなに感動してるんだろう?って思ったらあんまり最初は説明つかなかった。

 

でも人間同士の運命って言うのかしら。理論的には説明できないことが起こるんだけれども、とある相手と猛烈に強い絆で結びつく、そんなところが羨ましかったり綺麗だと思ったり、すごいなと思ったり、そういうところにじわーと来たのかもしれないです。

 

斉藤由貴を見ているとあぁモテるだろうなって思って。個性的で可愛いってのはもちろんあるんだけれども、

 

私から見ると彼女って「個」が確立してるなって感じます。いろんな意見があると思うけれども。

 

多分彼女って「だって好きなんだもの」って言う基準しかないんじゃないのかなって感じる。それは倫理的にはどうよ?ってのはもちろんあるんだろうけれども、でも打算的じゃないっていうか、だから相手にどうして欲しいとかこうして欲しいとかって言うんじゃなくてただ好きだから好きなの、みたいな妙な潔さを感じてしまうわ。

 

この人に認めてもらうことで何かを確認したいとか、自分も奥さんでお母さんなんだからそんなことしたらダメじゃないとか、そういうのぶっ飛ばして、自分に正直で嘘がないんだろうと思います。そうは言ったってあんたの立場とか子供とかどうすんのよ!というところを世間はどうしても見てしまうけれども、彼女自身はそういうことで自分の真実はブレるところもない、そんな感じがします。

 

「君の名は」を見て滝クンと三葉ちゃんが引き合うのも、全然打算的じゃないですよね。ただただ引き合い惹かれ合うという。

 

それに比べて自分というのは愛するというアクションを見せることで愛してもらおう、愛して欲しいと言えないけれども言わずに相手がこっちにハマるように仕向けよう、などと、

 

ごちゃごちゃと自分の心の隙間を必死で他人に埋めてもらうことでひたすら愛をくれ!と叫び続ける心の貧しい人間なんじゃないかと思ったりしてしまいますわ。

 

結局のところ、自分が満たされていない分を誰かからパッチワークのようにあてがってもらって表面的には破れていない布をまとおうとしたところで、

 

無条件の愛など他人いあげられないし、もらうこともできないんじゃなかろうかと思いました。

 

例えばそれが自分の子供であっても、無条件で愛す、この子のためなら死んであげようと自動的に親になったら思えるのか?といえばそれは違って、

 

そう思えなければ親失格だ、と悩んだり、悩むことすらできずに放棄して痛め付けることを繰り返してしまう親もいるし、自分の子供が勉強出来なくてもスポーツ出来なくても何か問題があってもいつでも暖かい愛だけで包こんであげるよ、ジャッジしないよ、などと私自身も言えないなと思います。

 

KinKi Kidsの名曲、「愛されるよりも愛したい」というタイトルをなんだか思い出すわ。歌詞そのものは叙情的というかはっきりと何かを訴えているというよりは雰囲気の感じで私もあまり深く考察出来ないけれども、(映画の主題歌かなにかだったのかしら。だからストーリーに沿ってる内容なのかもしれないけれど)

 

あれも単に男が女がという意味ではなく、愛されたいとか認められたいとかトリッパグレたくないとか隙間を埋めて欲しいとか、損したくないとか常識だから無理とか、そういうことで自分は愛されるに値されるべき人間だ=誰からも責められない人間なんだ、と声高に叫び自分自身を納得させようとするのではなく、

 

自分のために自分を満たしたあと、無条件で誰かを愛す、ただその「愛す」だけに徹してみたいみたいなことなのかな、と私は解釈するわ。心の底からそれがどういう形で自分に返ってきても良いから、例えば一刀両断されて去られてもでも自分は「愛している」と言う思いを持ってそれを支えに生きられる、みたいな無条件さ。

 

多分そういうのやってみたいんだと思うわ。やってみたいって言うとおもしろ半分見たいにも聞こえるけれども、そういう境地に立ってみたい。

 

相手がどう反応するかはわからないよね、この場合。だから難しいのは「あなたを好きな自分が好き」がエスカレートしちゃうと変な執着というか曲がった形にもなるから微妙なところだけれども。「あなたが好き」という思いの存在をただただ認められるようになりたいというか。

 

なので男女でも親子でもお互いがそういう無条件さで思いあえるっていうのはすごい稀、というか普通にやさぐれて生活していたらなっかなか出会えないものなのかもしれないと思う。だからこそ私は君の名はの滝クンと三葉ちゃんみたいな繋がりとか、斉藤由貴の「だって好きなんだもん」みたいな身軽さに憧れをいだきながら、そんなのあるわけねーよとやさぐれながら、でも結果的に「いいなー」って思ってるのかもしれないわ。

 

今目下自分が無条件で命捧げても惜しくないと思えるのは子供だけれども、それが当たり前、とは思わない。そう思えるように徐々になってきた。。ぐらいかしら。それでもやっぱり思い通りにいかない時は子供をコントロールしたくなったり、彼等が私を慕っていることを知ってそれを逆手にとって自分を安心さそうともしていると思う。

 

そういう意味でまず自分が満たされてはじめて大いなる愛に気づく、生まれる、というのはほんとにどうしようもなく真実なのだけれども、

 

日々それでも七転八倒してむかつきながら、自分を卑下しながら、時に特別意識をもって気を休めながら生きているという現状なのだなと思います。

 

それから映画「LaLa Land」も借りて、新作だから明日返さないとならないんだけどまだこの時点で見てないので見ないとだわ。

 

でも夜更かしするとほんとに次の日、その次の日と持たないのよ、ほんとに。トホホ。。1人の時間がほしいわ。

 

とは言え孤独を求めながらもひとりぼっちになるのが怖いという矛盾。矛盾ばっかりだわ。

 

明日は東京37度ですってね。体温超え。死ぬ。でもソフトボール行く予定。。

 

そんなわけで慌ただしい夏ですけれども、皆さんもお体気をつけて。

 

ではね!

 

 

夏子

 

 

 

 

 

 

徒然反復更新。

  • 2017.08.04 Friday
  • 00:23

JUGEMテーマ:癒し・ヒーリング

 

再び髪の毛をカッティングしてきました夏子です、こんばんみ。

 

またちょっと短くなって色もダークにしてきましたけれども。いよいよ蓮舫のレベルに近づき始めてきたのでこれ以上カッティングしてカッティングエッジにならないようにします。

 

いやもう戻れないね、ロン毛。長いのもいいと思うんですけれども、こっから地味に伸ばしては揃えて伸ばしては揃えて。。がもう億劫です。白髪染めもありますからね、どうしても短い方が楽になってきちゃうんだろうねーこれねー。

 

こないだ片岡鶴太郎氏がテレビに出ていて、ヨガマスターになったそうで、朝7時間に及ぶ基礎運動から食事までの一連のルーティーンを披露していらしたのですけれども、

 

すごい。ここまでなかなか他の人はやれないと思いますけれども、でもなんかその研ぎ澄ましていく自分に面白さを感じるところ、ちょっとわかります。

 

しかしこの方の場合は何かの衝動をかき消すために自分をストイックにしている苦しさがなく、

 

純粋に反復をし続けて行くことで鍛え上がっていく自分の姿が楽しいのだと思います。

 

シックスパックのジムトレーナーの女性もそうですね。もう完全に喜び。こういうストイックさは他人の「なんでそこまで」など意に介さないというレベルではなく、それが自分の最上の喜びなのだから生き様そのものになっていくのですよね。

 

そうではなく、自分の心の隙間をストイックで埋めようとする人は独特のオーラがあり、すごくオーラが固い。何かを課している、制限をかけている自分の中でその規約を守ることに「正しさ」を見出して生きている意味を模索している。より頑張る自分、妥協しない自分でいることに自分の存在意義を感じてしまい、できなかったらダメ出しをしていくとどんどんどんどんきつくなってしまうのですよね。

そんなことも人間ってやっちゃいますけれども、それはなんか苦しいですよね。

 

片岡鶴太郎氏が言っていた言葉ですが、

 

最初っから絶対なんでもかんでもうまく行くはずがない。反復しかない。やり続けることでしかうまくなったり出来るようにはならない。如何に反復をしていくか、それだけです。

 

と言うような内容だったのですけれどもまさにそうだと思います。

 

ただ、心にエグエグした思いがあると反復運動が辛くて死にたいほどいやになってきますよね。なんでコンナコトやらにゃならんのじゃーーーと。そういう時っていのはあくまでも何か自分以外になろうとするために何かを自分に課している。課して制限して、これができないんだったらお前はアホの総本山じゃ根性なしめ!と罵っている状態なのですよね。そんな自分へのヤキ入れを続けたらそりゃ死にたくもなります。なので確かに反復しか人間である以上何かを習得するためには方法がないのですが、その目的が自虐なのか喜びか。見極める必要がありますよね。

 

まっっっったく話変わりますけど、最近ジュリーにハマっていて。あ、沢田研二ね??

 

ようつべでさんざん昔のお姿を観ております。色っぽいわぁ。私以前もジュリーの話ししたかしらね?覚えてねーわ?

 

この人、1970年代に居たっていうの結構奇跡ですよね。どえらいかっこ良かったと思いますよマジで。

 

あのお化粧が出来るのは日本人なら忌野清志郎とカールスモーキー石井にだけ許可します。ブルーのアイシャドーと深いノーズシャドーが出来る男はほんとに限定されるわぁ。

 

そんでまた西原先生の記事読んだんだけれども、

 

子供に期待をかけることで自分供養か。ほんとにね、ほんとそうなるよね。

 

自分ができなかったことを子供に経験させたり頑張らせたりすることで自分供養をしたくなるのよね。

 

この記事ではないけれども、貧困とDVのループにハマると抜けられないから初動が大事。それしか世界はない、という前提を覆すための情報が必要っていう記事も読んだんだけれども、

 

今までも書いてらっしゃるけれども、西原さん今後もそういう漫画描いてほしいわ。

 

自分ができなかったことを子供にやらせて自分供養する、というのも苦しい生き方で親も子も幸せにはならないんだけれども、

 

自分もできなかったんだからお前だって道連れにしてやる、って言う親もいるのも事実。

 

自分も可愛がられなかったし、ブスだバカだと言われたからあんただって同じ、ってかむしろ私よりひどいんだよ、ケケケみたいなことを平気で言う、特に母親などでそういう方向に行く人もいます。

 

そういう親に苦しんでいる人、苦しんだ人に対して言えることは、

 

それはあなたの問題ではなく、言ってる親の問題である

 

と言うことよ。自分を大事に生きられなかったからもうわかんなくなってる。世界は自分を責めまくって認めない場所で、親だとか子だという関係性がわからないくらい麻痺している人たちであり、その自分自身の姿を子供に見てなんとかコントロールしようとしたり馬鹿にしたりしながら「私は悪くない」と言うことを言いたいだけなのよ。

 

彼等の人生の敵討ちに加担してあげても特に良いことは何もない。愛があって当然なのにもらえなかった悲しみはある、でもその人たちにはそういう形でしか愛を表現できないのであって、改心させようとしても心を開こうとしても例えそれが子供の声でも聞こえないところに陥ってる人に他人が出来ることは本当にないのですよね。

 

西原先生が他の記事でも言っていましたが、

 

あなたの人格を否定出来る人は誰もいない、そして家の犠牲になってはいけない、ということ。家と言うのは親も兄弟も夫も含むと思うわ。

 

自由と責任というのは有料で、お金がないと果たせないっていうのも染みるわ。かじるスネがあるうちは思う存分かじってギフトを享受していいと思うんだけれども、かじり続けたいって思ってる人って実はいないよね。金持ちの男と結婚できててもそれで良いんだと思いきれている人に会ったことはない。

それは社会的にスネだけかじって生きるのは生き方的にアウトだから。。って言う社会常識的なことだけじゃなくて、

 

自分で自分の責任を取って生きることが一番「自由」であることを皆どこかで知ってるからなのだと思います。

 

いろいろいろいろいろいろありますよね、わかります、そうは言っても問屋が卸さねぇことが。

 

でもたどり着くところはそこなのかも。

 

働いて家を空けていますけれども、うちの子供たちはすごい羽伸ばしています。えー今日はママいるのぉ?とか言われちゃってね。

 

私がいないと子供らが寂しがるというのもMy 幻想で、家から出ない私の言い訳なだけだったことを痛感します。

 

彼等と一緒に居たくないからシャバで働いているとかあんたらのせいで働かざるを得ないじゃない!という心境だったらまた子供の反応も違ったと思います。 緩んだんだよね、なんか。皆あぁ、自由にしてていいんだーってのんびりしだしたというか。ヒーラー活動でも働いてはいたけれども、でもやはり今までの私は能動的ではなかった。これからはこちらの活動ももっと能動的にやっていこうと思います。

 

そんなんで日々と夏休みは続行していきますけれども。。早いですね、夏なんて。すぐ終わっちゃう。

 

楽しみましょう!

 

 

またぬーん♫

 

夏子

 

 

 

 

 

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