継続は力なり。とはいえ。

  • 2019.03.31 Sunday
  • 23:29

JUGEMテーマ:癒し・ヒーリング

 

さて。。。

 

お子様の保護者活動のドタバタも終わり、一息です。いやぁ忙しかった。。

 

しかし、いろんな気づきがあったなぁと思います。

 

子どもたち見ていると思うんですけれども、

 

親を喜ばそうとしてるんだなぁ、って思います。特に好きでもないけれども、やれって言われたから渋々やってたりもするし、泣きながらやってる場合もある。期待に応えようと頑張ってるんだよね。

 

親と子の向かってる先が一緒だとその涙も運命共同体みたいになって良いんですよね。コミュニティにも頑張って属するし、何としてでも続けようとする。子供の熱意があるけど、親が渋々。。の時もあるけれども、でもそれも何とか続くことは多い。もちろん金銭的な理由とか家庭の事情とか続けられない運命っていうのはあるけれども。

 

でも親が一方的に押し付けている場合っていうのはどうしても子供がどっかでおかしくなる。でも子供って一生懸命親の期待に応えよう、喜ばせよう、いい子になろうと思って一生懸命やってんですよ。

 

私なんかもそうなんですけれども、そこそこのずる賢さとか器用さがあると、すげぇ嫌なことでも割と続けられちゃうんですよね。一番にはなれなくてもとりあえずレギュラーとか。100点は取れないけれども78点とか。そうなると、あんまり好きでもないけれども、とりあえずひーひー言いながら続けちゃうってのもあります。

 

でも、

 

やっぱ、そういうのって、伸びしろが無いんですよね。初動は持ち前の器用さとかでささーっとうまくできたりするんです。でもいつか追い抜かれる。スポーツなんか顕著で、体の成長に合わせて突然できなくなってきたりもする。

 

最初は全然ダメだったけれども、5年、6年やって急にガラッとうまくなる子もいる。しゃがむ時期と伸びる時期ってのは常にあるんだと思います。

 

継続は力なり、という行けれども、結局は

 

情熱

 

がドライバーなんだと痛感します。どんなに下手だったとしても長く継続しているとやっぱり情熱がある子はどんどんうまくなる。そして辞めない。辞めろといっても続ける。

 

器用にこなしていたけれども、親に言われてやってた子はどっかで止まる。それでも頑張る子はトップをもぎ取ったりもするけれども、やっぱものすごく苦しそうなんですよね。で、大人になってからブローが効いてきちゃう。

 

いわゆる「いい子」をやってきてしまうと大人になってから人生迷子になってしまうケースっていうのは、こうやって嫌でもなんでもド根性でくらいついてきた子なんじゃないかと思うのよね。努力家なんですよ。で、その継続してきた力は確かに実力になってるんだけれども、喜びに使えなくて、“私はこんなにすごいのよ?”っていう印籠になっちゃっただけとかね。

 

結局エネルギーとしては外向き、というか他人軸なわけです。認めてもらいたいから、何でも頑張る。もはや何でもかんでも完璧主義の人っていうのは努力家でもあり、そこそこ器用さもある、という人で、それは良い事なんだけれども裏目にもでるのよ。

 

初動は悪かったけれども、絶対うまくなりたい、頑張りたい、っていう情熱の持ち主っていうのは10年後でも20年度でもどこかで“エセ情熱”と“情熱のない完璧主義”をスコーンとある日凌駕するんですよ。もしくは、その情熱をささげてきた充実した人生があるから、そのザ・自分軸っぷりに他人軸で鎧を着こんできた人間は敗北感を味わったりするのよ。

 

しかし親っていうのは自分の子供を自分の人生のリベンジマッチにどうしても使いがち。私もそう。私も男に対する嫌悪とか自分が無しえなかったことを特に息子にぶつけて根性根性ド根性をたたきつけてやや息子をつぶしにかかっていたわ。迷惑だったろうなと思う、息子。

 

で、今の子供ははっきりしているので、私たちがやったようには耐えない、と思う。教育ママに押しつぶされて。。っていう子もいるとは思うけれども、情報量、多様性が昔と全然違う。だから同じようには洗脳されないし、

 

子どもはあっさり親を抜くのよね。それって親のエゴですよね、っていうのを。そして昔よりより早期に見ぬき、あーはいはい、ってなると思うわ。そして親を抜いていくのよ。

 

情熱を持った人って出しゃばってやたらと団体を仕切ったりとかもしますよね。ちなみにそれは私もそうなんですけれども。

 

あれって子どもためとかみんなの為、というよりは自分の為で、自分のやりたいことをやりたいようにやりたいっていうエゴでもあるので、非常に迷惑な話でもあるんだけれども、

 

でもそのしつこい情熱を持った人がいてこそ何かが “興る” ってこともある。皆好きにやればいいじゃん、勝手にすればいいじゃん、やりたい人がやればいいじゃん、ってなると、

 

ボランティア団体とかPTAとかは崩壊するのよ。出しゃばりの古だぬきあってこその活動でもある。

 

でも形は変わっていくから、ずっとそのままってわけにもいかない。そこんところを変えるのは非常に時間がかかるし、

 

情熱を持ってた人、例えそれがエゴであってもその人たちにまかせっきりにして自分は何も言わずに横で愚痴ってるだけの人もいるじゃない? 旧式のものに文句は言いつつも、刷新しようとする勇気も執着もないというか。

 

今回子供二人の活動を通して、どっちのバージョンも経験したわ?

息子の活動の私は出しゃばり古だぬきバージョンで、娘の方の私は?なにそんないきってんの?と愚痴ってるバージョンね。

 

そして、そのどっちのも気持ちが私良く分かったのよ。そうなるよね、って。

 

出しゃばり古だぬきバージョンの私は決まりを守らない人とかが許せないわけ。言ったのにやってない、なぜ??とかで激高したりさ。

 

で、冷めきってる悟りバージョンの私は、え?なんでそんなめんどくせぇことにこだわってんの?馬鹿じゃね?って思ってるのよ。

 

そしてどちらのバージョンの人もいないと団体って成り立たないのよね。だから難しくもあり、面白くもあり。

 

でもなんか思ったのよ。私は良くも悪くも器用な子だったんだと。言い方を変えるとずる賢いってか。

 

全然やりたくないこともそこそこやってきちゃったっていう幸せでもあり不幸でもあり。全くできなかったらできない私、ということでもっと早めに“私がしたいことってなんだろう”って人生の転換ができたのかもしれない。決していい子ではなかったし、従順でもなかったけれども、反抗しつつも表面的には従う、みたいな全体的な中途半端さが否めないわ。そのブローは中年になってから結局来たけれども。

 

でもこれだけは確信したけれども、ほんとにやりたいことは下手でもなんでも人は続ける。そしていつか力になってくる。そして辞めない。途中で離れてもまた戻ってくる。

 

なんでこの子はこの習い事ができないのだろう、皆できているのに。。と悩む親御さんはいっぱいいると思うし、私もそうだったけれども、

 

よっぽど嫌がることはやらせなくていいのよ。無理やりやらせてもトラウマになってどうせやんないから大人になっても。それか機嫌よくやってる時期はやらせて、嫌がったら離す、とかね。で、好きだったらまた戻ってくるし。

 

なかなか勉強とかはそれほど手放して見守ることはできないし、自分がやっておいて良かった!と思うことはやらせた方がいいとは思うの。水泳とかでもさ。タイタニックが沈んだら0.00001%でも生存率上がるじゃん?泳げた方が。

 

でも泣いて嫌がってるのに、叩いたり罵声を浴びせてまでやらせたいこと、は完全に自分を投影してるだけのリベンジマッチであると考えた方が正解。

 

そんなにやりたきゃまず自分でやればいいのよ。そして楽しんでればいいのよ。その姿を見て初めて子供も、あぁ、面白そうだなぁあ、やってみようかなぁって思うだろう。

 

親が好きだったことを子供にやらせているバージョンは、いろいろどんな環境があっても親も耐えるし、子供も楽しそうよ。

 

でも親が歯を食いしばってお腹壊してでも頑張ったんだからお前もやれよ!ってことを子供にやらせてると子供もそのまま歯を食いしばってトイレに駆け込んでいる。

 

とかね。そんなことを思ったわ。

 

継続は力なりよ、ほんと。それは有名なスポーツ選手を見ていても思う。

楽しい事やってるって言っても、半分以上は辛いことじゃない?でも続けているのよ、それはやっぱり好きだから。好きなことだってやってりゃ辛い、でも辛いけどやりたいというスーパー自分軸で動いていれば後悔も被害者意識もないのね。

 

でも強制して自分以外の目的に向けて継続していることは、どっかで壊れるし、壊れないでやり遂げちゃうとそこには“自分と他人に対する厳しさ”しか残らないので、後々迷惑な親とか指導者になるんだろうな。あぶねぇ、なりかけてた。

 

 

長くなるから今日はこの辺でやめとくわ。なんかいろいろ湧いてきたわ。。

 

 

てか平成の次なんでしょうね。いっそアメイジング・ドリーム元年とか、レボリューション元年とかでも良くない?とか思うわ。

 

楽しみだ。

 

夏子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

心に響く言葉徒然。

  • 2019.03.24 Sunday
  • 01:08

JUGEMテーマ:癒し・ヒーリング

 

こんばんは、夏子です。

 

もう。。。疲れたわ。なんか一気に疲れたわ。

 

まぁ、暇より良いんですけれどもね。基本的に全部自分で呼び寄せてる忙しさなんで。

 

結構私の場合、思考を忙しくしていると感情に触れなくていい、みたいなところがあるので、もやもやをかき消そうとしているのかもと思うところもある、かもな。

 

やることないと【私の生きる意味って?】と考えても答えのないところで煮凝るのでねww

 

イチロー選手が引退しましたね。感慨深いわぁ。

 

ほとんど同い年なので、やはりあのイチローでも限界を見る年齢になったのかな、とかってやっぱ思っちゃう。

 

しかしほんとにレジェンドの方で。でもご本人の口から出るのは、成功の何倍も失敗と悔しさがあったということ。

 

好きなことをしていたって辛いことはたくさんあるし、表に出れば出るほど出る杭は叩かれるけれども、

 

でもその苦しさをその好きなことをやってる中で発散できる、といういい循環があるんだろうなぁ。

 

DJあおいさんが言っていたように、仕事のストレスが仕事で発散できるのが良い仕事というか好きな仕事なのかなと思う。

 

 

だもんであんまスピスピした日常ではないんですが、

 

時間があるときにピックアップした他の人の言葉で胸に来るものがいくつかあったわ。

 

・DV被害者はみな加害者意識を刷り込まれ、その罪の意識に支配されている。

 

DJあおい氏のブログの一節。そうなんですよね。自分は悪い子なのでは?と思うと辛くていられないから、自分は加害者ではない、私は悪くない、を示すために、常に私は“かわいそうな子”でなければならない、つまり被害者でならないと自分が保てなくなる。そうすると、私をこんな目にあわせているのは○○のせい、と社会だったり言いやすい相手だったり、といつの間にかストレスを流し込み、いつの間にか自分が加害者になってしまうという図。重いわ。でもすべての根源は結局“自責”なんだろな。

 

・不満からした選択はやがて罪悪感にむずびついて周りを不幸にしているように見えてしまう

 

根本裕幸さんのブログであった言葉。私がおぉと思ったポイントとブログの内容はちょっと違うかもだけれども、

 

イラっとしたり、私の権利みたいなのを主張したり、意地になったりしたときに“私はこうしますけど何か?”って選択したことって後で自分の首絞めるなって思います。結局どこか罪悪感があるんですよね。つまり、ほんとに自分が選択したいことを選んだんじゃなくて、その選択をした私に対して、“大丈夫?”とねぎらいが欲しかったり、“えぇーこまるーなっちゃんがいなくなったら代わりいないよー”とかいうのを欲しがったりしていて、要するにかまってちゃん状態で発した“はい、あたしに注目して―!!”な選択っつか。

 

こういう時っていや、俺はこれを選ぶんじゃぁ!!!と大口を叩いたものの、周りは迷惑だったんじゃなかろうかとか、なんでこの状況でそれを選ぶんだろうねと悪口言われているんじゃないかとか、あの人の事を怒らせたんじゃないだろうか、とかいろいろ後になって自分を責めちゃいます。自分の行動に自分で責任が取れてない状況。

 

こういう時って以外と自分は“うおー私の決断、嵐巻き起こしたかも??A RA SHI!”とか1人盛り上がるんですけれども、意外と反応薄かったりして肩透かしとか。

 

つまりほんとに単純にかまって欲しい、求めて欲しい、気にしてほしい、それだけなんだわね。

 

そしていざ選択したことをやろうにも、心からやりたかったことでもなくかまってちゃんだっただけなので、その選択した事のめんどくささと責任の重さで苦しくなってしまったり。

 

かまってもらうことが行動の基準でなくなったとき、かまってもらえないことが“つまらない”と感じなくなった時、

 

それが自分の道を行っている時、喜びに従ってる時なのかしらん。

 

でもここでイチローがまた浮かぶんですよ。あれだけ皆にかまってもらってるけれども、本人はそこんとこピンと来てない。

 

そんで、羽生先生が素晴らしい復帰をなさったじゃない?(すっかり敬語)

 

で、“謙虚になったらダメなんだと思いました。王者らしくなくてはならない”

 

っていうお言葉もすげぇーーーって思いました。日本で一番どや顔が似合う男、ゆづるはにゅー。

 

でもさ、やっぱ、結弦様もイチロー選手も、苦労ばっかりですけれども、

 

その状況に一つも不貞腐れない、周りを責めない、この姿勢。

かなり究極だけれども、喜びに生きるってそういうことなんだろうって思うわ???

 

周りのせいにしてはいけない!とかすら思ってないのよ。別にかまってもらいたいことすらない、っていうか、俺は俺の人生忙しいから、かまわないで?ぐらいの清々しさ。

 

全然近づけないけれども、かっけーな、と思いました。

 

ちょっと眠くて支離滅裂ですが、そんなわけであっつーまに日々が過ぎます。でもまぁエキサイティングっちゃぁエキサイティング。

 

また書くわーん。

 

 

夏子

 

 

 

 

 

時代の速さを感じるわ?

  • 2019.03.20 Wednesday
  • 00:16

JUGEMテーマ:日常

 

チョーお久しぶりんこ、夏子です。

 

ダブルワークになってからほぼフルタイムで死んでました。どうしても慣れるまでは。。ねぇ。

 

でもこの新しい仕事の環境はちょっと今までにないわ。ちょーーバイリンガルってか英語オンリー。

 

外資渡り鳥としてはそういう環境に今までもいたつもりだったんだけれども、ここはちょっとすげぇわ。そんで妙にスピリチュアル。

 

しかし、

 

世の中変わったなぁってほんっと思います。年寄の発言みたいだけれども、実際ミドルエイジだけれども。

 

いろーーんなコミュニケーションツールがあって、まずそれを使うのがどうやっていいのかがわからん。この翻訳はこちらから、このデータはこちらから、この記録はこちらから。。とありとあらゆるアプリケーションがあるのよ。チャット機能みたいなやつでもさぁ、もうスカイプやらスラックやらハングアウトだけじゃなくてあふぉみたいにたくさんあって、いろんなところからちょこちょこメッセージが来るわけなんだけれども、で、それが何かしら全部繋がってやがるのよね、じわっと。

 

お母さんもうちょっとハンドルできないわ。でも若い人にとってはもうこれって普通の事なんでしょうね。

 

かつてホリエモンが買収騒ぎの時にTシャツとジーパンかなんかでテレビで会見?みたいなのやった時に、なんでネクタイしてないんだ、常識がないと騒がれてた記憶があるんだけれども、

 

今の会社でそんな恰好してるやつ一人もいないし。むしろそんな恰好で来られても困るし、ぐらいの感じ。

 

そういう事がもう基準じゃないんでしょうね。ほんとに時代が変わったんだと思う。で、今の会社はシェアオフィスにあるんだけれども、カフェみたいなスペースとか座敷とかもあって、なんかあたしここで住めるわ?マジで。

 

とは言え全部の会社がそうであるとは思わないけれども、でもここ数年で見た都内の若い会社はほぼそんな感じ。こんなこと一昔前には許されなかったけれども、今や普通なのね。

 

友達の娘が中二くらいなんだけれども、ライン打ってるスピードが尋常じゃない。ええええ???って速さで打ちまくってて、昔ファックス送信ができないうちの母を見て肩を落としたことがあるけれども、今もしかしたら、いやもしかしなくても私自身があの時の母の状態なんじゃないだろうか?と思う。

 

それとか会社のシステムにログインができなくてテクサポの人とと繋がって、リモートで処理してもらう時も、はいじゃぁ、今からダウンロードしてみるから、あなた側で○○を開いて○○をEnableにしてくれる?とか当然のように言われるのだけれども、そのすべての指示がわからん、という。こ・わ・い・わ??

 

でもう振り返ったら今年もすでに三月じゃん?こうやって私の今年も走馬灯のように過ぎていくのだろうと感じてやまないわ。

 

価値観って変わるんだなって思います。私たちの親世代の価値観に対して私が唾を吐いたように、私もそう思われる時がたぶん来る。その違いは埋められないのかもしれない。でも、互いに理解しつつ、どちらが正義だ!と主張して戦わないためにも、

 

自分の納得いく生き方をしないとダメなんだろうなと思います。そんな〜♪時代も〜♪あぁーったねとぉ♪と笑い合えたらいいよねって話。完全に分かり合えるとこはないのだけれども、どうしても【私の方の主張の正しさをわからせよう】としてしまうのがスピリチュアル反抗期でもあると思うんだけれども、自分ですら若者の価値観が理解できなくなってるように、それはわかってもらおうと思う方が間違ってるのかもしれない。あくまでも【ちがうもの】として理解し、リスペクトした上で、でも一緒にいるとムカつくからちゃんと距離を置き、自分は自分の道を行き、いいディスタンスで付き合っていくってことなのだね。

 

しかし、

 

今の新しい会社もそうだけれども、とにかく、

 

そんなに頑張らなくていい

 

と言われます。頑張ってるつもりはないんだけれども、やっぱりどうしても私は気合入りすぎてるのかもしれない。

 

ていうか、あんまり気合入れられても困る、みたいなニュアンスも少し感じる。押しつけがましかったんだろうか、やっぱり。

 

勝手に盛り上がって気合入って、なんでこんなに私が??とかなってると自然と被害者意識になりますよね。で、自分で勝手につぶれる。

 

新しい会社の人たちはほんとにマイペースで、他人が何やってるかを監視してない。あの人はあの人、私は私。ちゃんと守らないとならない期日もあれば、全体を統括する人もちゃんといるけれども、皆いい意味で緩い。この緩さが今私には必要なのかなと思います。テキトーなぐらいでちょうどいいってやつですね。

 

今はどの職場に行っても人間関係で困ることってあんまないです。皆すごいいい方。でもそれは私の周りに良いエネルギーを引き寄せられてきた!とかいう事ではなく、多分自分が他人をジャッジしなくなってきたからだと思います。

 

とどのつまりはやっぱり自分の心持ち次第なんだな。始まりはいつも雨。否、いつも自分。その環境をいいものにするのも悪いものにするのも自分なんだけれども、

 

心が弱ってて被害者意識が強い時って、ここに敵は潜んでいるか??とまず自分が被害にあう前提で行っちゃって、受け入れてくれるなら行きますけど?と妙に上から目線のプンスカ娘状態になっちゃったりしますよね。で、なんかあるとほらやっぱり!!!!と怒り泣きくれ。

 

だからもうほんと一人芝居なんですよ、実際は。私しだいでどうとでも捉えられる。

 

一時期はやった【本当の私】みたいな個人起業家ブームとかもあったけれども、

 

会社なんかくそくらえ!脱社畜!とかここにいる私は本当の私じゃないから!とかありましたけれども、

 

さっき見ていたテレビでサントリーの緑茶の開発してる人とか、すげぇ楽しそうだなと思いました。日本中の人が飲んでるのよ?ペットで。しかも大きな会社の福利厚生ももらいつつ、定休もありつつ、組合もありつつ。最高じゃん?

 

サラリーマンってすごいクリエイティブで、喜びをもって社会にめちゃ貢献している人がホントはたくさんいるのよね。

 

会社生活が嫌で一人で独立して“何か”を始めたい!とか言っても結局なんの発想もなく、自分自身を売り込む深さもなく、という現実に落ち込むだけだったわ。

 

会社員であれ、自営業であれ、アーティストであれ、公務員であれ、

 

そこをクリエイティブで楽しい場所にしたり、金を稼ぐ場所として割り切って働き、そこ以外のライフを楽しんだり、

 

全部自分次第で、環境さえ変われば○○な自分になれるなんてことはないのだわと感じます。

 

相変わらずスピリチュアルに傾倒していた時の自分の心の弱さっていうか【誰か何とかしておくれよ!】状態のときの自分を振り返ることが多いです。ある意味熱かった。何かの個人起業家になってドカンと一発言わせたかった時代もあるわ。全然具体性が無いんだよね、特別意識で自分を自己否定沼から引き揚げようとしてる時って。

 

いまでも私は自分で一体どうすりゃいいのか、どうしたいのかは良くわかりませんけど、まぁとりあえず今手元にあることを一生懸命やるしか答えはないと思います。

 

そんなわけでまた睡魔が襲ってきましたので、一人思ったことをゲロッて締めずに無責任に去るわ?ぎゃはー!

 

早く花粉が終わりますように。。。

 

 

またねーん

 

 

 

夏子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

流れに任せる。そして自分を愛する。再び。

  • 2019.03.03 Sunday
  • 23:55

JUGEMテーマ:癒し・ヒーリング

 

あー、ちょっと一段落しました。夏子です。こんばんみ。

 

あわただしかったのですが、一段落。。( ´ー`)。。

 

新しい仕事が明日からのはずだったんですが、少しキャリーオーバーになりまして、来週以降になり、

 

でも明日からスーツ着て出勤。。となるとちょっと正直体力持たなかったので、結果余裕が生まれました。

 

面白いものねぇ。

 

いい具合に調整されるのですよ。こんな感じで。

 

ホント流れがあるのだわ。それに任せていればいいのだわ、と思う。みちよさんのブログにもあったけれども、今目の前の状況ってそのまんま、その人に必要なことが起こっていると信じていいのかもしれません。

 

嫌なことだったとしてもよ。なんか知らんけれども今それで嫌な思いをすることで向き合わされているのと、

 

その嫌なことが無いと何かに気づけない、次のステップに行けない、ということで全てはプロセスなのだと思います。

 

なるべく失敗したり恥ずかしい思いをせずに、そしてなるべく効率よくトップパフォーマンスを成し遂げてみたい全国山登り女子の皆さんも多い事かと思うけれども、

 

途中で足くじいたり酸欠になったり、人に抱えられながら歩いた経験も人生よ。そこでいかに助けてもらったり助けたりが人間味。

 

決して完全無欠にはなれない自分をそのまんま受け止める、それでいいのよね。

 

ま、いろいろと感じたことが最近多いんだけれども、

 

ホントその人の立場になってみないとわからないってこと多いなって思う。昔自分が【け。くだらね】と思っていたこととかたくさんある訳なんだけれども、

 

この年になって実際にその立場になるとわかるのよねぇ。あの日あの時あの人たちがそうならざるを得なかった状況が。

 

あの時あんな悪態ついて大変失礼だったなと思う。しかも思いっきり私はそれを顔に出してやっちゃうので、今になってあーぁと思う事たくさんある。でもそれも私のプロセスらしい。こうやってぶつかりながら生きていくしかないのね。

 

自分を愛するっていうのはこういう自分すら「認める」ってことなのよ。色々あって達観できなくて拗ねて悪態ついていた自分もそんときゃそれしか思いつかなかったことを「認め」「許し」、そしてあの時、あんな失礼な私を許してくれていた周りの人に感謝すること。。よね。

 

素直になるっていうのかしら。素直が一番ってそういうことなんだろうなって思います。

 

異性に求めるものとして、「絶対浮気しない人がいい。私だけを大事にしてくれる人がいい。」と誰しも思うものなのだけれども、

 

でも、男からひどい扱いを受けないために必死に「いい女」になろうとする人がいるじゃない?ピカピカに自分を磨いたり、テクニック的なものを授受しようとしたり。

 

でもそういう時って、自分不在なのよね。どっしりとした軸が自分にないから相手の行動に合わせてヒヤヒヤしたり束縛してみたり、拗ねてみたり、と。

 

「いつ裏切られるか、いつ裏切られるか」みたいなものを抱えながら自分磨きをしている人は苦しい。そういう人に限ってものすごい潔癖で、誕生日にはこれしてもらって、こんな言葉が欲しくて、ラインはすぐ返事してもらいたくて。。些細な言葉を深読みして「あれはどういう意味?」とか問い詰めてしまったり。

 

そのまんまの自分を愛してもらいたい、無条件に大事にしてもらいたいと切に切に願いながら、

 

等の自分は「今の自分でないもの。もっともっといいもの」にずっと一生懸命なろうとして、もっともっといい女、尽くせる女にならなきゃ、とありのままの自分を認めずに、どんどん鎧を着こんでしまう。そしてその行動が相手を苦しくさせてしまうのよね。

 

自分が自分を扱ってる通りに人から扱われるのは真実だと思うの。

 

着飾ってピカピカでなんでもいう事聞く自分にならなきゃ愛されない、と思えばそのまんま、

 

着飾ってピカピカで何でも言う事聞くから、愛してあげる、って人が現れる。

 

でもほんとはそうではなくて、ステテコ履いて、家事もめんどくせ、とか思ってる自分だって受け入れてもらいたいし、

ボロボロになってものすごく傷ついたハートで生きてる自分の事も知ってもらいたいわけじゃないのさ。

 

だから結局今、どんな服着てても何をしていても、これが私で、精いっぱい生きてきた自分であり、そんな自分自身を理解してやってないと、

 

誰かがそれを認めてくれることは無いのよ。人に頼んでもだめなのよ。

 

そこんとこがたぶん「エネルギーの法則」なのよ。

精神論ではなくて科学。大いなるものの一部である私たちは全てが「自分から」しか変えられない仕組みらしいと思うわ。

 

「私は私でこれでいい。」と思えたら、

 

やっとそのままがモーレツに好きだぁ!!!って人が出てくるんじゃないのかしらね。

 

世の中見渡してみてごらんなせーよ。

 

「人としてどうよ?」と思うような人でも、配偶者がいたり、仲間がいたり、パートナーがいたり、家族がいたり。

 

完璧だから愛されているわけではないのですよね。その人の欠点も良いところも含めて、「その人だから」好きだ、愛している、と思ってくれている人がそばにいる。そのままで愛されている。別にあなたに嫌われてようと愛してくれている人がいて、それはそこで成り立っているし、同様に自分の周りにも自分と友達でいてくれたり、家族だったりパートナーだったりがいる。

 

でも自分の事が嫌いで、今の自分はダメだダメだと思っていると、

 

そのままでスキだ、と言ってくれている人が「くだらなく」感じたりもする。自分が嫌っている自分を好きな人なんてくだらない!みたいな感じなんだと思う。今以上の自分に「持ち上げてくれる」気がしない人がくだらなく感じる。

 

でも、本当に探している人って、持ち上がらなくても、今ここの自分をそのまま受け入れてくれる人なんですよね。

 

今以上、これ以上を求めている時ほど、「全世界の人に愛される、求められる自分」みたいなものになろうとしてしまうのよね。ああいう人がいい、こういう人がいい、と。しかし、いう割にターゲットが絞られてないというか。絵に描いた王子様みたいな人の事を求めていて、そこにはその人物の「唯一無二性」がなかったりね。

 

自分を好きになる、というのはすごい難しい。いろんな取り方をしてしまうわ。

 

嫌いな奴に悪態ついといた、そんな私も私だもの、ありのまま!!!(心ざわざわ罪悪感)

 

とかでもないのよね、これがまた。

 

あくまでも人はみな同じで、尊敬とやさしさをもって付き合わなければならない。ならないっつーかそれが当たり前だから。素晴らしいことでもなんでもなく。

 

でもそこで、自分の感情を抑えてうわべだけで聖人君子をやることがこれまた正解ではない。

 

失敗をしながらも、きちんとしょんぼりし、きちんと自分の感情を素直に認めて、ありのままを肯定するっていうか。

そして一生懸命頑張ったことは何かしら必ず自分の身になってくる。それがふんわりと言わば自信、みたいなもんになるんでしょうね。

 

これもまぁ難しいですけれども。でも究極はそういうことなんだろうなって思うわ。

 

そんな人に皆なろうよならなきゃダメよとか言える立場でもなく、

 

こんなこと言ってるけれども私も目下叶わぬ欲望とかをメラメラ頭に描いて自分を修行に追い込み人に悪態つく昨今よ。今日もまた怒りに任せてちょっとぶっこんできちゃったわ。

 

わかっちゃいるけれども止められないのよ。ほんとに。なんででしょうね。

 

まぁ何とか。。何とかやるわ。

 

でも今年は思いのほかいろんな動きがありそうだわ。

 

 

夏子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

罪悪感と自分を許すこと。

  • 2019.02.27 Wednesday
  • 00:40

JUGEMテーマ:癒し・ヒーリング

 

こんばんはー夏子です。

 

またしてもしばらく間が空きましたけれども、二月ももうすぐ終わっちゃうわねぇ。

 

いろいろとやってたんですけれども、ひゃだ今日も長くなりそうだけどまとめを書くわ、自分の為に。

 

面白いもので、

 

すっごいいろんな話が沸き起こっていたのですよ。新しい仕事や活動やなんやらと。で、今週中に決めますとか来週までには何とかとかいろいろ期日があったんだけれどもなんかうまくいかない。

 

今まではその際にキリキリとなんで約束やぶるんだよとかそういういい加減な姿勢がダメなんだよとかで、

返事が来ないところに鬼電とかしてぎゃーすかやってたと思うんですが、

 

まぁいいや、殺されるわけでもない。という事でほったらかしにしていたんですよね。後は首突っ込まないというか、他人の事は他人の事として。

 

そしたらまぁ面白いように、ものすごいタイミングで物事が片付いたんです。細かく書くと面倒なんで割愛しますがw、まるで細かいパズルがぱちぱちと当てはまるようなタイミングで、

 

結果として残るものは残るし、いやーどうかなーと思っていたものは私が断るまでもなく相手から断ってくれたりとか。

 

なんだ、うまくいってんじゃん。私が「一人責任感」で突っ走って怒ったり怒鳴り散らしたりしなくても、周りはちゃんと回っている。大変大変、、、と騒いでいたけれども、全部一人芝居で、世の中を掌握したような気分になってたのは私だったんだな、と感じました。

 

とは言え、

 

色んなミッションが重なると私の中の戦国武将が、「で、斬るの?斬られるの?」と暴れだし、相変わらずおっさんモード全開で、「この戦乱の世は我が一人で納めねばならぬ」みたいな武将モードに入っていたんですよ。

 

そんなときにふいっと、

 

昔のみちよクラスのクラスメートのMちゃんが、夏子さん、ヒーリングのモニターになってくれないか?と依頼を受けたんです。

 

で、ラインビデオ電話でやってもらったんですが、いやーやってもらってよかった。。。

 

このままのおっさんモードで新しく追加した仕事やその他のもろもろをやっていたら、また私やらかしてたな、と。

 

やらかすっていうのは、一人で突っ走って、山のてっぺんの旗を取るのは俺だ!とまた周りを蹴散らし、自分には一点の曇りもない!とやりつつも、そのエゴが周りを嫌な気分にさせる、っていう私のおなじみのそれです。

 

寸止めみたいな形で気づかせてもらいました。Mちゃんありがとう。ほんとに助かりました。モードチェンジしてみます。。。

 

結局、自分を苦しめているのは自分の罪悪感なんだな、と思いました。

 

その前に自己否定ってのがあります。このまんまの自分では受け入れられないだろうから人は何とかして認められようと頑張る訳なんですよね。

 

そして常に自分の中のルールがあり、世間で「正しい」と言われる人物になろうなろうとしている、だからこそ周りにも目を光らせ、怠けている人だとかずるい人だとか、自分が必死で守ってる掟をたやすくやぶっているように「私からは見える」人をばっさばっさと批判したり中傷したり、揶揄したり。。と。

 

でも私のその態度っていうのは他人からしたらものっそ失礼なんだと思います。お前に何がわかる?と言われてもしょうがない。お前に何がわかる?と思われるようなことをする、という事は私自身が常に世の中に対してお前に何がわかる?をぶつけているからでもあり、つまりわかってもらいたいわけですよね、そのルールに必死で沿おうとして頑張ってる正しいはずの自分を。

 

常に常に何か他人の物差しで自分を測り、世間的に正しい自分を演じていると、そのルールに従わない人に対して批判的になります。で、実際に批判もします。批判をして、それを真に受けてくれそうな人に向けてぶつけてしまう。

でもそれをすると必ず周りから怒られたり嫌われたり、がっかりされたりしますよね、当然。

 

自分としては正しくなければなければ。。と思って頑張ってきているのに、でもその自分が思いっきり「正しくない」ことをしている、人に煙たがられることをしている。その事実になかなか向き合えません。やっちまった!って思う。でもそれをごめんなさい!どうしてもできない。それはなぜかというと、

 

自分が許せないのよね。常に正しいはずの私がそんな人に嫌われるようなことをしてしまったなんて、そんな自分が許せない。それはものすごい罪悪感を伴い、自分にナイフをどすどす突き刺してしまうんですが、でもここで、

 

だって私だってつらかったんだもん、苦しかったんだもん!わかってよ!っていうインナーチャイルドが暴れだします。

 

罪悪感を持ってるのは本当につらいので、自己防衛反応として、罪悪感を感じないようにするために、急にそのナイフの矛先を変えて、周りを責めて自分を正当化しようとするんですよね。

 

私も悪かったかもしれない、、、いやちょっとまて、そうでもないぞ?と。 どうしても周りの環境のせいにしたくなるし、もしくはそんなことをしてしまった私は許されるべきじゃない?あれってしょうがないと思わなーい?と「他人」に許しを乞うてしまう。

 

昨日ネットニュースで昔の「スーフリ事件の和田さん」が15年の刑が終わって手記を書いていた記事を読みました。

 

手記を書いたからって反省していることにはならないけれども、でもその中で彼がどんどん女性をモノのように扱って行ってしまった自分の精神状態について書いていて、

 

彼も女の子を酔わせて輪姦するなんてことは悪いことであり、罪悪感があった言っています。でも、どんどんその罪悪感を感じないように感じないように自分を逃がしていくうちに麻痺していく。

 

自分だけじゃない、むしろ自分はみんなのために場所を提供している良い人だ、自分だけおいしい思いをするのは悪いとか、女性の方だって回を重ねて参加している人もいるんだから嫌なだけじゃないはず、とか。

クレイジーですよね。でも当時の和田さんは完全に自分は麻痺していて、むしろみんなの為にやってる、ぐらいの気持ちだったといいます。

 

どんどんどんどん自分を正当化して行ってしまう。そしてもう取り返しがつかないところまで行ってしまいましたし、許されることはないかもしれない。でもこの和田さんの向かっていった罪悪感⇒被害者意識⇒自己の正当化の図は誰にでもあることだと思います。

 

でも、もっと早い段階で、自分の過ちを過ちとして認め、自分がひどい事をしてしまったことを自分で「許す」ことをしていたらここまで肥大したエゴの中で自分自身を失うことはなかったのかなと思います。

 

自分が許せない - というのは、自分が誰かに愛されるために必死で守ってきたもの、相手を喜ばすこと、相手に認められることだと信じて一生懸命やってきたのに、そんな期待を裏切るような言動を、思想を、感情を持ってしまった自分が情けなくて、みじめで、期待外れな人間なのだという思いがあり、他人の期待に応えられなかった自分が許せないのですよね。

 

でも人間誰だって間違うこともあるし、失敗もする。誰が何と言おうと自分の感覚は自分の感覚なだけで誰もそれを否定できない。

そして人の評価を基準に生きていると必ず人をがっかりさせるようなこともするし、そもそも誰かの言われたとおりになんて生きられないんだけれども、真面目な人ほど他人の期待通り、世間の期待通りにできない自分がなっかなか許せないのですよ。

 

許せないから正当化して気持ちのバランスを取ろうとする。私は絶対悪くない、私だって苦しかった、わかってよ!ってなっちゃいます。

 

私の中にはものすごくルールがあります。完璧に何かをこなせないとならないとか、人より早く山に登って旗を取りに行くとか、誰からも嫌われることなくうまく人間関係を回すとか。。完全無欠を貫かなきゃならない、みたいな。実際はできてないです、でもそうでなければ【愛されない】という刷り込みがある。

 

でも、リーディングをやってくれたMちゃんが言ってくれたように、

 

そのルールを破ることはほんとに怖いことかもしれないけれども、もうギブアップしていい、という事なんでしょうね。

 

つまりは、私は悪口もいうし、口も悪いし、てっぺんも目指したくはないし、旗を取ったこともなければ取ってもそれが誰かからの愛を受けるための印籠にはならなかったし、私を嫌ってる人もいるし、気に食わない人もいるし、という私の実存を自分で許す、って感じでしょうか。

 

許すっていうのは「反省しない」という事ではないのです。人を傷つけたことは傷つけたことでスーフリの和田さんの罪が消えないようにもう塗り替えられない。

 

ただ、二度と同じことを繰り返さなくていいように、その私の他人に対するネガティブな気持ちはどこから来ていて、そしてどんな気持ちがあって、どんな罪悪感が自分をそうさせたのか、出どころを知って自分の苦しみを感じてあげることなんだと思いました。

 

そしてそんな自分であっても、私の良いところと悪いところを知りつつも、見捨てず見守ってくれている人が家族にも会社にも友達にも居る、という事実に感謝です。

 

ゲスくなっていい、というスピリチュアルの流れもありましたよね。でも確かにゲスくていいのだと思います。その匙加減と程度っていうのは人それぞれだとは思いますが、

 

自分のルールを破っていく。それはほんとに怖い事だけれども、少しづつやっていって、とMちゃんにも言われました。

 

ホントにそれでいいんだろうか。がっかりされないだろうか。今まで頑張ってきたものが壊れないだろうか。

嫌われないだろうか、使えない人間だと思われないだろうか。嘘つきだと思われないだろうか、いい加減な人だと思われないだろうか。

 

そんな風に思います。正直。でも、もはやそれが今私にはとても必要なんだという事もどこかで「わかって」います。

 

そんなんでいろんなことがシリーズで起り、今に至ります。

 

あなたを苦しめているのは罪悪感だ、とずっと言われてきましたがあまりピンと来ていなかった。私は私を責めてなんかいない、むしろ世間を責めてますが?と思っていたんですが、やはり責めているのは自分自身だったのだ、と思うし、自分自身を責めていながらも責めたくなくて、過ちを素直に認めなかった自分がいざこざの種を撒いていたのだと感じます。

 

長くなったわ。。。ごめんなさいね。。。

 

そんなんでしばらく疲れてしまってどんよりしていたんですがいろいろ苦しいですけれども、一個一個手放していきたいと思います。。

 

 

夏子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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